〈守り人〉の転換点:国家の非情とチャグムの葛藤描く「虚空の旅人」 

〈守り人〉の転換点:国家の非情とチャグムの葛藤描く「虚空の旅人」 

全10巻から成る〈守り人〉シリーズ。第1~3作まで主役は女用心棒バルサでしたが、チャグムを主役の座に据えた最初の作品がシリーズ第4作「虚空の旅人」。国家の持つ非情な側面をみながらチャグムが自身の求める道を探し当てる重要な作品です(2024.11.14) 

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「旅人」はチャグムが主人公

〈守り人〉シリーズ全10巻(短編集・外伝を除く)のうち、タイトルが「旅人」となっている作品が2冊あります。シリーズ第4作目の「虚空の旅人」と第7作目の「蒼路の旅人」です。 

バルサが主人公の巻が「守り人」、チャグムが主人公の巻が「旅人」という分類で、しかも執筆当初、「旅人」シリーズは外伝という位置づけだったそうです。 

作者の上橋菜穂子さんは「虚空の旅人」(偕成社版)のあとがきでこう書いています。 

『虚空の旅人』は当初、シリーズの外伝という位置づけで世にでましたが、『天と地の守り人』までのシリーズ十巻を書きおえた現在の視点で考えなおしてみると、「外伝」ではなかったのかもしれない、と感じるようになっています。 

このあたりの経緯をさらに詳しく書いているのが新潮文庫版のあとがきです。 

わたしは基本的に行き当たりばったりで物語を書いているので、『精霊の守り人』を書きはじめたときは、これをシリーズ化しようなどとは全く思っていませんでした。『闇の守り人』が生まれたときも、『夢の守り人』が浮かんできたときも、突然、その物語が心に浮かんできたから書いた、というだけで、「シリーズ」にしようという計画ありきで書いていったわけではないのです。ですから、『精霊』も『闇』も『夢』も、一話で完結する物語でしたし、またバルサの物語が浮かんだら書こう、というくらいの気もちでいたのでした。 

けれども、この『虚空』を書き終えたとき、どうも、それではすみそうにないぞ、という予感が、ぼんやりと胸に揺らぎはじめたのです。 

上橋さんが「虚空の旅人」執筆時点でも「ぼんやりと胸に揺らぎはじめた」と書きますが、物語のスケールが一気に広がったのがこの作品です。 

登場する国名が一気に増える

それは登場する国名ひとつみてもわかります。 

第1作「精霊の守り人」は、チャグムが皇子(のち皇太子)の新ヨゴ皇国しか出てきません。第2作「闇の守り人」は、バルサやジグロの出身国のカンバル王国しか出てきません。 

第3作「夢の守り人」は、物語の舞台となるのは新ヨゴ皇国ですし、バルサが物語の冒頭で放浪の歌い手ユグノを助ける場面で「サンガル人の奴隷狩人」が出てくるだけです。つまり、第3作目の時点で、国名が出てくるのは、サンガル王国を含めてたった3つです。 

ところが、第4作「虚空の旅人」は、物語の舞台はサンガル王国ですし、サンガルの新王即位儀礼に招かれた国としてロタ王国やカンバル王国が出てきて、サンガル王国で内乱を画策するタルシュ帝国が出てきます。 

第5・6作「神の守り人」の舞台はロタ王国で、ここでもロタの内乱を画策するタルシュ帝国が出てきます。 

第7作「蒼路の旅人」は、タルシュ帝国の軍門にくだるサンガル王国へ向かったチャグムがタルシュの密偵に囚われ、タルシュ帝国に連れていかれる物語です。 

そして第8~10作「天と地の守り人」は、タルシュ帝国が新ヨゴ皇国に戦端をひらく時期が迫る中、タルシュ帝国から逃れたチャグムがロタ王国、カンバル王国を回って北の国々の同盟関係構築に奔走し、新ヨゴ皇国に帰還してタルシュ帝国の野望と対峙するーーという展開となります。 

国家に属さず何物にも従わない孤高の存在バルサが主人公の第1~3作とは明らかに異なります。それまで”後衛”に退いていた国家間の駆け引きや支配層の非情さが前面に出てくる第4作以降は、むしろ主人公の位置を占めるのはチャグムのほうです。 

このようにみれば、第4作「虚空の旅人」こそが〈守り人〉シリーズの転換点となった重要な作品であることがわかっていただけるでしょう。 

隣国サンガルの新王即位儀礼に招かれた新ヨゴ皇国皇太子チャグムと星読博士シュガは、〈ナユーグル・ライタの目〉と呼ばれる不思議な少女と出会った。海底の民に魂を奪われ、生贄になる運命のその少女の背後には、とてつもない陰謀がーー。海の王国を舞台に、漂海民や国政を操る女たちが織り成す壮大なドラマ。シリーズを大河物語へと導くきっかけとなった第4弾、ついに文庫化! 

サンガルの要は王女たち

バルサに助けられた時は11歳だったチャグムはすでに14歳。側近の座にあるシュガがサンガル王国のことを説明する場面が出てきます。 

「殿下。ごぞんじのことと思いますが、サンガル王家は、海運で国を開いた家柄。根は商人であり、非常に計算高いといわれております。帝の〈即位ノ儀〉にサンガル王みずからがこられたのも、帝のお人柄をはかりに訪れたのです。同盟国として大事にすべき国か、それとも、一気に攻めこんで、支配をしてしまったほうが利益になるかを。
サンガル王家は、根は商人と申しましたが、一方では、周辺の島々を縄張りにしていた海賊たちを攻めては支配におさめ、広大な王国を築いていった、激しい武人の血も流れております。……殿下は、国を背負って儀礼に参列されるのだということをお忘れなきよう」

そのサンガル王国を影で成り立たせているのは王女たちだった。 

島守り(=サンガルの支配下にある12の小国の王)たちと王家をむすぶ、もっとも大切な絆は、結婚によってサンガル王家の女たちがむすんできたのだった。
(略)
もし、妻が、夫を島守りとしてふさわしくないと断定したら、〈女たちの集い〉と呼ばれるサンガル王家の女たちの会議にかけて、賛同を得られれば、夫と離縁して、もっと能力のある男を選びだして再婚し、彼を島守りにすることができた。

島守りが代替わりするときも、〈女たちの集い〉が王宮で開かれる。サンガル王家の血をひく、大勢の女たちのなかから、王家への忠誠心があつく、賢い女が選びだされ、新しい島守りを夫として選ぶ大役をまかされるのだった。
王家の血をひく女たちは、まさに王国の要なのだ。

呪術で罠を仕掛ける密偵

そんなサンガル王国で、島守りたちに内乱をそそのかしているのがタルシュ帝国の密偵で呪術師のラスグ。ラスグは呪術で罠をしかけてサンガル国王の次男タルサンが新王即位儀礼の場で長男カルナンを襲わせる。チャグムら招かれた賓客の前での失態に、国王から死刑を宣告されたタルサン。タルサンの姉サル―ナが頼ったのは、儀礼式で接遇したチャグムだった。 

「わたしたちの生命を、どうか、おたすけください」 

「……とんでもないご迷惑をおかけすること、心から申しわけなく思っております。でも、こうするしか、生きのびる道を思いつけなかったのです」 

サル―ナは、タルサンが兄に銛を放ったことを覚えていない、その一点からタルサンを救うことにしたという。 

「この弟のことを生まれたときから知っているのです。短気で幼いところのある弟ですが、自分のしたことを、忘れたといって逃れようとするような卑怯さは、なにより嫌う男です。そんな卑怯なことをするなら、みずから死を選ぶ男であると、わたしは知っています」 

シュガが「両国のあいだに、不信の芽をつくられるおつもりか」と難詰すると、チャグムはシュガを鋭く見据えた。 

「わたしはいま、生命を託されたのだ!」 

「約束したはずだな。陰謀を知りながら、人を見殺しにするようなことを、決してわたしにさせるなと。目をつぶることで危険から逃れようとするのは、愚か者の選択だ。おまえがいうように、サンガル王は疑うだろう。だが、証拠がなければ、それはあくまでも表沙汰にできる疑いにすぎぬ。そのくらいの不信は、つねに国のあいだにはあるものだ。そんなもので国同士の関係をぎくしゃくさせるほど、わたしは、無能ではないぞ!」 

こうしてチャグムとシュガはタルサンにかけられた呪術をたどり、タルシュの密偵がサンガル王家に仕掛けた罠に立ち向かう……という展開となっていきます。 

「ちがう考え方」の為政者

もうひとつ、チャグムのその後にとてもかかわりのあるエピソードを紹介します。 

〈ナユーグル・ライタの目〉と呼ばれる不思議な少女ーータルシュの密偵が呪術をしかけた少女の命をチャグムとシュガが助けようとする場面です。サルーナがシュガにこう言います。 

「禍根を残さずにすむ、もっともよい方法は、審議することで公平さを表明しておいてから、暗殺してしまうこと。ーーわたしは、為政者として、そうせよと教えられてきました」 

「でも、ちがう考え方をする為政者もいるのですね。ーー殿下のお考えが、どのような結果を生むか、この目で見とどけたいと思います」 

著者が「虚空」に込めた意味

国家というものは非情なものです。「最大多数の最大幸福」という言葉がありますが、裏を返せばマイノリティーの幸福は切り捨てられがちで、それを感情を切り捨てて選択することは為政者として避けがたいことだとも、サンダル王国の王女の口を借りて語っています。 

そうではない道ーーチャグムが追求しようと心を定める道の険しさこそ、筆者の上野さんがタイトル(「虚空」)に込めたものです。 

「精霊の旅」でバルサに抱きついて「おれ、皇太子になんか、なりたくないよ!」と泣きじゃくった少年が、自分だけが幸せになってもむなしいこと、民を幸せにしなければ本当の幸せになれないことを自覚する過程を描いたのが「虚空の旅人」です。 

すべてが終わった時、チャグムはシュガに「わたしは危うい皇太子だな」と語り掛ける場面を紹介して拙文を閉じます。 

「わたしは、あえて、この危うさをもち続けていく。天と海の狭間にひろがる虚空を飛ぶハヤブサのように、どちらとも関わりながら、どちらにもひきずられずに、ひたすら飛んでいきたいと思う。
 そして、いつか、新ヨゴ皇国を、兵士が駒のように死なない国に……わたしが、薄衣など被らずに、民とむきあえる国にしたいと思う。ーー幼い夢だと思うか? だが、この幼い夢を、わたしはずっと胸にいただいて飛んでいきたい」

(しみずのぼる) 

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