きょう紹介するのは上橋菜穂子さんの〈守り人〉シリーズで、第7作目にあたる「蒼路の旅人」です。最終巻「天と地の守り人」(全3巻)につながる重要な作品で、ファンが多い作品でもあります(2024.11.15)
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最初に「ファンが多い」と書いたので、作家の佐藤多佳子さんが偕成社版の解説で書いている文章を紹介しましょう。
シリーズ十巻の中で、わたしは、この『青路の旅人』がいちばん好きだ。海が舞台の話が好きだし、神秘的というより冒険的なカラーの物語が好みだし、曲者キャラのヒュウゴがすごくカッコイイ。でも、最大の魅力は、やはり、皇子チャグムが繊細な少年から、もがき苦しんで脱皮して、心身ともに強靭な若者に変わりつつある、その過程のみずみずしさと美しさだ。
とてもよくわかります。佐藤多佳子さんは、作者の上野菜穂子さんとの対談で「少数派だと思うけど、実は、『守り人』シリーズより『旅人』シリーズのほうが、ちょびっとだけ好きなんです」「バルサも大好きだけど、でも、私はチャグムなんです」と打ち明けたそうです。
チャグム派なら間違いなく「蒼路の旅人」がナンバーワンになるだろうな…とわたしも思います。
十五歳になったチャグムは、新ヨゴ皇国内の改革派の期待を一身に集めながらも、帝派からは疎んじられていた。そこへ、タルシュ帝国と交戦中だというサンガル王国から援軍の要請がくる。周辺国との同盟を提案し帝の怒りを買ったチャグムは、罠と知りながら、祖父トーサ海軍大提督とともにサンガル王国へむかうこととなる。トーサを失い、虜囚となったチャグムは、逃亡をはかるもタルシュの密偵ヒュウゴに捕まってしまう。ヒュウゴに連行された先には、タルシュ帝国の第二王子ラウルが待ちかまえていた。兄である第一王子と帝位をめぐって争うラウルは、チャグムを利用して戦をせずに新ヨゴ皇国を掌中にしようと画策していた。圧倒的な力の差に愕然としつつも、チャグムは故国と民を救うため、単身危険な賭けにでる。国々の動きと人々との思惑がせめぎあい、うねりとなって『天と地の守り人』へつながっていくシリーズ第七巻(「『守り人』のすべて」偕成社より)
タルシュの虜囚となるチャグム
「旅人」シリーズの前作「虚空の旅人」で、14歳のチャグムは「いつか、新ヨゴ皇国を、兵士が駒のように死なない国に……わたしが、薄衣など被らずに、民とむきあえる国にしたい」と決意を述べます。
「幼い夢だと思うか? だが、この幼い夢を、わたしはずっと胸にいだいて飛んでいきたい」
しかし、15歳になったチャグムが直面する現実は、チャグムの想像をはるかに超えて厳しいものでした。
密偵ヒュウゴが説く選択肢
タルシュの密偵ヒュウゴに捕まり、タルシュ帝国に連れていかれる道中で、ヒュウゴはチャグムに様々なことを教え説きます。
「わたしは、ターク〈鷹〉と呼ばれる密偵として、ここ数年、新ヨゴ皇国の国力を調べさせていただきました。……殿下、ご存じですか。新ヨゴ皇国の総兵力はわずか三万ほど。これに対して、新ヨゴ皇国攻略のためにタルシュ帝国が送りだすことができる兵力は、二十万。サンガルとの戦を終えた今も、無傷で残っている戦闘艦船の数は千隻をこえるのですよ」
表情を動かすことはなかったが、チャグムは胃のあたりがこわばるのを感じていた。
千隻の戦闘艦船……。新ヨゴの軍船の数は、商船を軍船に変えて数を増やしても、やっと百隻ほどだ。この男の言葉がほんとうだとすれば、新ヨゴ皇国海軍など巨人のひと息で飛ばされるゴミのようなものだ。
(略)
「国が滅びるとき、なにが起きるか、思い描くことができますか。
敗戦につぐ、敗戦。しだいに都に近づいてくる敵の足音。守る者のいなくなった都の大門の外で、整列したタルシュ軍が打ちならす、海鳴りのような軍鼓の響きを……」
ヒュウゴは、タルシュ帝国に滅ぼされて〈枝国〉となったヨゴ皇国の出身だった。
「わたしの故国は、タルシュ帝国との戦で多くの死者を出しましたが、それでも、都を焼かれることはなく、かろうじてヨゴ人の暮らしは保たれています」
「わたしが、殿下を帝にしたいと申し上げたのは……それがたぶん、われらとおなじ祖をもつ、新ヨゴ皇国という国を戦火から救う、ただひとつの道だからです」
「タルシュ帝国の王子たちは、ヨゴの皇族とはちがう。戦費もかからず、兵士も殺さないですむ方法があれば、そちらを選ぶ。ーーあなたが、やつらの兵力を後ろ盾にして国に帰り、父に退位を迫って、帝になれば……そして、サンガルの王族のように、タルシュ帝国に従う道を選べば、新ヨゴ皇国は、焼野が原にはならないでしょう」
ヒュウゴの説く「戦火から救う、ただひとつの道」は、新ヨゴ皇国がタルシュ帝国の〈枝国〉となり、チャグムが傀儡の帝になることだった。
「おまえを帝にしてやる」
チャグムが連れていかれたタルシュ帝国の第2王子ラウルとの場面も紹介しましょう。
壁一面に、大きな地図が描かれていた。地図の上のほうには、ナヨロ半島とサンガル半島、カンバル王国とロタ王国、その西にひろがる不毛の大地と、さらにその先にある、小国群が、きちんと描かれている。チャグムにとって見おぼえのあるのはそこまでで、……そこは地図の片隅でしかなかった。
地図の大半を覆っているのは、南の大陸の国々と海だった。その大陸の多くが、青い線でくっきりと囲まれ、その中に、赤い線で囲まれた部分がある。
「青い線で囲まれているのが、タルシュ帝国の領土だ。赤い線で囲まれた国は、おれが、この手で征服した土地だ。ーー見るがいい。これが、いま、われらにわかっている世界の姿だ」
(略)
手をあげて、ラウル王子は北の大陸を指さした。「あそこは、おれに残されている獲物だ。まず新ヨゴ皇国を枝国にし、軍の足場を固めて、カンバルとロタを攻略する。まあ、かかっても、四年というところだろうな。四年後には、あそこは赤と青の線の内側に囲まれているだろう……」
チャグムにとっても、淡々と征服の手順をラウル王子が説明するのを聞いて、「たしかに四年後には、そういうふうになっているかもしれない」という思いが広がった。
「安心しろ。おれは、支配した民を幸福にする為政者だ。必要のない殺生はしないし、おれの翼の下に入ることを選べば、それまでよりも豊かな暮らしをあたえてみせる」
「おれが、おまえを帝にしてやる。枝国の支配権を、その手で、しっかりとにぎるんだぞ」
〈枝国〉の裏面も垣間見る
しかし、チャグムはタルシュ帝国への道程で、〈枝国〉の裏面も垣間見ていた。
沿道に多くのオルム人が出て、むこうからやってくる騎馬の行列の脇に駆けより、泣き喚いている。
荷車に載っていたのは棺だった。
チャグムは、脇を通り過ぎていく荷車の群れの車輪の響きと、人びとの恨みの声を聞いていた。タルシュ帝国に支配された人びとの、感情をむきだしにした生の叫びが、奔流のように馬車を揺らしながら通り過ぎていく。
枝国になるということは、こういうことなのだ。タルシュ帝国の戦に駆りだされ、タルシュのために民が死んでいくということなのだ。
抵抗せずに降伏すれば、新ヨゴ皇国は戦火の中で滅ぶことはないだろう。……けれど、降伏したあとにやってくるのは、こういう未来なのだ……。
ラウル王子の軍門にくだるか、それとも抵抗するかーー。チャグムが選んだのは、北の地にひとり向かってタルシュ帝国と対抗するロタ・カンバル・新ヨゴの同盟関係を構築しよう…というもので、それが最終巻「天と地の守り人」の3冊となっていきます。
著者の上橋菜穂子さんは新潮文庫版のあとがきで、こう書いています。
チャグムの選択は、まだ青い、少年の思いが選ばせた道でした。
彼の、その青い思いを、大人たちがどう支え、あるいはどう潰していくのか……。それを、私は、本書に続く三部作『天と地の守り人』で描きました。
うごきだした物語ーーチャグムとバルサの行く先を見守っていただければ幸いです。
成長を遂げたチャグムとの再会
「天と地の守り人」は手に取ってぜひ読んでほしいので、あらすじの紹介は控えますが、チャグムとバルサがふたたび再会する場面だけ紹介するのをお許しください。
「精霊の守り人」で運命の出会いとなったバルサとチャグムは、第3作「夢の守り人」で再会を果たします。「あのころは胸のところまでしかなかったチャグムが、今は、バルサの肩に顔をうずめていた」と、チャグムの成長を「夢の守り人」は描写しています。
それ以来となる2度目の再会は、第8作「天と地の守り人 第一部 ロタ王国編」で、タルシュ帝国の放った刺客に襲われたチャグムを、ロタ王国北部の雪が降る山道でバルサが助ける場面です。
男が身動きしなくなったのを見とどけて、バルサは脇腹を手で押さえ、青い闇の中にたたずんでいく人影にむきなおった。
背の高い若者が、顔半分を血に染めて立っていた。
「チャグム……?」
バルサがつぶやくと、笛のように細く音をたてて息を吸い、若者が近づいてきた。
「バルサ……」
気がついたときには、バルサは、自分より背の高い若者に抱きしめられていた。
11歳だった子供が、少年となり、青年となり、そして若者となり……。 そんな成長を遂げたチャグムによる「青い思い」の選択の結末は、ぜひとも「天と地の守り人」全3巻を読んでお確かめください。
(しみずのぼる)
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