きょう紹介するのは樋口有介氏の探偵ミステリー〈柚木草平〉シリーズの第1作「彼女はたぶん魔法を使う」です。年齢38歳、妻と別居中で小4の娘に翻弄され、恋愛相手は刑事時代の元上司(夫あり)というフリーライター兼探偵が主人公。事件で遭遇するのは美女ばかりで、主人公の気取った台詞と美女たちとの会話が楽しい連作シリーズです(2024.5.25)
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最初に作者の樋口有介氏(1951-2021年)のことを書いておきます(ウィキペディアより要約)
中学校を卒業後、高校にも行かずに母親の実家の看板屋を手伝うなどして過ごしていたが、短期間通った夜学の友達から、当時の自分の学力でも入れるだろうという高校の存在を聞き、進学を決意。そして勉強の代わりに今まで読んだこともなかった小説を読んでみたところ1冊で夢中になり、16歳で作家を目指す。こつこつ執筆し、年に2回ある文學界新人賞に毎回応募し続ける。大学中退後は世界各地を放浪。劇団員、業界誌記者など様々な職業を経験しながらも小説は書き続けるが芽が出ず、そのうち長い間交際していた女性とも別れることになり、秩父の廃村にこもって執筆に没頭する。気の済むまで書いても実らなければその時他の道を考えようと思っていたが、5年目にあたる昭和63年(1988年)、『ぼくと、ぼくらの夏』が第6回サントリーミステリー大賞の読者賞を受賞し、作家デビューすることになる。青春ミステリ、または中年を主役にした青春ハードボイルド小説を得意とする。2021年10月に沖縄県那覇市の自宅で死去していたことが同月26日に判明した。71歳没。
お恥ずかしいことに亡くなったことを知りませんでした。樋口氏の小説は結構読んでいるのに……。
東京創元社の担当者の方が追悼文を書いていて、〈柚木草平〉シリーズの最終巻を打ち合わせ中だったと出てきます。
〈柚木草平シリーズ〉は最終巻に向けて故郷(札幌)に向かう話はどうかとか、尾道を舞台にしたノンシリーズの青春ミステリを次は書こうか、と相談している段階でした。ともにロケハンが必要な土地柄でしたので、久しぶりにお会いできるかなと考えていたのですが、それもかなわずです……。
〈柚木草平シリーズ〉の再刊をお願いに初めてお目にかかったのは2005年頃かと思います。同僚と共にご自宅にお邪魔すると、にこやかに迎えてくださいました。ご自宅ではいつも、手料理(しかもとてもおいしい!)で迎えてくださり、夜8時頃になるとなじみの店をはしごしていくのが常でしたね。
樋口有介さんのこと
この追悼文に出てくるとおり、〈柚木草平〉シリーズは創元推理文庫から再刊され、これまでの全12冊すべて読むことができます。
初期の作品は講談社文庫でしたし、単行本で読んだものには別の出版社だったものも含まれますが、樋口有介氏と言えば、やはり代表作は〈柚木草平〉シリーズでしょう。
ウィキペディアに樋口作品を端的に表す表現があります。
青春ミステリ、または中年を主役にした青春ハードボイルド小説を得意とする。
この「中年を主役にした青春ハードボイルド小説」が〈柚木草平〉シリーズです。「青春+ハードボイルドって何だ?!」と思われる方がいるだろうと思いますが、でも、この表現がピッタリです。
美女たちの真実を探り当てる
記念すべき第1作「彼女はたぶん魔法を使う」を紹介しましょう。
元刑事でフリーライターの柚木草平は、雑誌への寄稿の傍ら事件調査も行なう私立探偵。今回もち込まれたのは、女子大生轢き逃げ事件。車種も年式も判明したのに、車も犯人も発見されていないという。被害者の姉の依頼で調査を始めたところ、話を聞いた被害者の同級生が殺害される。私生活でも調査でも、出会う女性は美女ばかりで、事件とともに柚木を悩ませる。人気シリーズ第1弾。
この「私生活でも調査でも、出会う女性は美女ばかり」なのがミソです。その美女たちに眩惑されながらも、柚木草平は事件の真相だけでなく、その美女たちの真実を探り当ててしまう…というのが毎回お決まりのパターン。
う~ん、樋口さんは実生活で美女になにか嫌な思い出でもあるのかしら…
その美女たちに気取った台詞をつい口にしてしまうのが柚木草平の癖で、それが樋口作品の特徴、味わいとなっています。
たとえば、「彼女はたぶん魔法を使う」に登場する最初の美女は、妹の轢き逃げ事件の調査を依頼する姉の島村香絵。香絵が亡くなった妹の由美の写真を渡す場面です。
「可愛い子だ。俺がデートに誘っても、OKはしてくれなかったろうな」
「そういう言い方は奥様に嫌われます」
「君が女房の幼なじみでないことは、調べてある」
俺の台詞を首をかしげてしばらく考え、それから、くすっと島村香絵が笑った。
香絵から妹の友人がわかるアドレス帳を借りた柚木の別れ際の台詞も紹介します。
「それから、どうでもいいことを二つ……」
唇をすぼめて、島村香絵が、困ったような目で俺の顔を見かえしてきた。
「一つはコーヒーがうまかったこと。もう一つは、君に言われなくても、女房にはとっくに逃げられてるということ」
どうです? こんな物言いをする人って現実にいますか?
美女を前にボギーを気取る
もうひとりの美女ーー妹の由美の幼なじみでバンドデビューに燃えている千枝とはこんな会話をします。
「うちあげ、本当に、来られない?」と、顔の汗をふり払うように肩で息をして、千枝が言った。
「好きな女の子を遠くから見守るのも、男のロマンだ」
「決まった。今の、リチャード・ギアだね」
「俺はハンフリー・ボガードのつもりだった」
「次のライブもチケット、頼んでいいかなあ」
「それはリチャード・ギアに言ったのか」
「ハンフリー・ボガード」
「ボギーのほうならもちろん、チケットぐらいで吝嗇なことは言わないさ」
美女には目のないボギーを気取る男ーーそれが柚木草平です。
由美のアドレス帳を調べて、そこに出てくる大学の同級生及川と会い、その後に訪ねた千枝から、由美が及川の車に乗っている時に事故に遭ったことを聞かされた。
「いつだったかなあ、五月ごろだったかなあ。そういえばそのとき、由美、他の男の子と一緒だったなあ」
「及川照夫?」
「及川……そうだったかしらね。なんか軽い感じの、よく喋る子だった。十万円儲かったとか、そんなようなことを言ってたわ」
「十万……及川照夫が、そのライブの日に?」
「なんだか知らないけど、ライブへ来る前、他のクルマにこすられたんだって。それで十万円もらったとかね」
「由美さんも一緒にか」
「そうだと思うわよ」
柚木はその事故の話を聞こうと及川にふたたび接触しようとしたが、及川が死体となって発見された。
及川が事故を起こした相手は誰か。それが由美の轢き逃げ事件と関係しているのなら、その理由はなぜか……というように、事件の犯人と動機がページをめくるたびに明かされていきます。その過程で明らかになる美女たちの素顔も驚きです。ミステリーとしても十分楽しめます。
美女との会話が楽しい
もうひとり、おそらくタイトルにも関係する美女と柚木草平の会話が楽しいエンディングについて書いておきましょう。
由美の親友で、柚木の助手役を買って出る夏原祐子。事件を無事解決して吉島冴子(元上司、不倫相手)がこれから部屋に来るというタイミングで、柚木のマンションに押しかけてきます。
「この部屋、柚木さんの仕事部屋か、なにかですか」
「仕事部屋でもあるし、ここで寝泊まりもしている」
「自宅っていうのは、どこですか」
「そういうのは、ない」
「それじゃ奥さんとかお子さんとかは?」
「二人とも出かけている。三年ほど、帰ってきていないが」
(略)
「柚木さん、あれからまた一人でこそこそやりましたね」と、ビールを三分の一ほど空け、口の前でグラスを構えたまま、夏原祐子が言った。
「俺は、こそこそなんか、なにもやってないさ」
「隠しても無駄です。わたしだって新聞ぐらい読みます」
「若い子が新聞を読むのは、いいことだ」
「とぼけでも駄目です。あのこと、知っていたんでしょう?」
「あの、なにを……」
「由美を殺した犯人が捕まったこと。新聞の夕刊にちゃんと出ていました」
自称助手に事件のことを話さなかった言い訳をするうちに、吉島冴子のために用意した料理とワインに夏原祐子が気づいた。
「わたし、わかってましたけどね」と、テーブルに置かれたピザに流し目のような目つきで微笑みながら、夏原祐子が言った。「柚木さんみたいなタイプ、見かけによらず料理は上手なんです」
「言われたことは、なかった」
「それは柚木さんが、気取っているからです」
(略)
「それより柚木さん、あのワイン、いつから冷やしてるんです?」
「七時、ちょっと、前」
「それならちょうどいいですよ。シャトー・マルゴーって、冷やしすぎないほうがいいですからね」
状況に流されるまま夏原祐子にワインをふるまい、柚木が事件の解説をしていると、そのときドアチャイムが!
俺がいったい、どんな悪いことをしたのだ。居留守を使おうにも部屋の明かりは台所の窓から漏れているし、冴子は部屋の合い鍵だって持っている。生き別れになっている実の妹が二十年ぶりに訪ねてきたと言ったら、俺の言葉は、どれぐらいの信憑性をもってくれるか。
ぴんぽーんと、さすがに苛立たしそうな音で、三度目のチャイムが鳴り渡った。
向かいのソファではへんに色っぽく脚を組んだ夏原祐子が、ワインのグラスを持ったまま、相変わらずその不思議な目で俺に微笑みかけている。
今年初めての蝉が、俺の耳の奥で、じーんと泣きはじめる。
これが「彼女はたぶん魔法を使う」のエンディングです。なんともはや、このあとの修羅場がちょっと知りたくもあります。
作者の樋口有介氏は、タイトルの「彼女」は誰を指すのか、小説の中では明確にしていません。わたしは勝手に「柚木草平の女癖の悪さを引き出す美女たち」あるいは「別居中の妻、愛娘、不倫相手を含めて、柚木草平がかかわる女性すべて」と解釈していますが、その中でも柚木草平に女癖の悪さを引き出す魔法をかける「彼女」の筆頭は夏原祐子のような気がします。
主人公と美女たちの会話が楽しい〈柚木草平〉シリーズの魅力は、一度の記事では言い表せません。次回も続けます。
(しみずのぼる)
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