きょうはフィリップ・K・ディックが1950年代に著したSF短編「なりかわり」(原題:Impostor)を紹介します。本物と見分けがつかない偽物が現れたらどうなる?というテーマを偏執狂的に追い求めた作家の一篇で、この面白さに憑かれたら”ディック沼”一筋です(2025.4.7)
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本物と見分けがつかない偽物
映画「ブレードランナー」「トータル・リコール」などの原作者として有名なフィリップ・K・ディックについては、以前に2度記事にしています。「この卑しい地上に」という短編を紹介した記事で、次のように書きました。
初期から晩年まで共通するのが、「実は我々が現実と思っているものは虚構ではないのか」というテーマです。ブレードランナーをご覧になった方はわかると思いますが、人間と寸分変わらぬ精巧なアンドロイドを追いかけ戦ううちに、アンドロイドと人間の違いは何なのかわからなくなる男が主人公でした(確か映画にはなかったと思いますが、原作では、主人公自身、自分が本当に人間かどうか確信を持てなくなり、機械でチェックする場面が出てきました)
ディック的悪夢:フィリップ・K・ディック「この卑しい地上に」

「本物と見分けがつかない偽物」というテーマを扱ったディックの小説は、非常に多いです。「ブレードランナー」の原作長編「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」(ハヤカワ文庫SF)がそうですし、映画「トータル・リコール」の原作短編「追憶売ります」(「模造記憶」新潮文庫所収=品切れ)もそうです。
長編「高い城の男」(ハヤカワ文庫SF)ーー第二次世界大戦で日本とドイツが勝利して東西に分断されたアメリカで「実は本当は連合国が勝利した」という非合法の本がひそかに読まれている…というストーリーも、本物と思っていたものが実際は本物ではないとしたら…というテーマです。
そんなディックの十八番とも言えるテーマを短編に凝縮したのが「なりかわり」ですが、訳書によっては「偽者」「にせもの」という表題がついています(「偽者」は仁賀克雄編「人間狩り」ちくま文庫=品切れ、「にせもの」は大森望編「アジャストメント」ハヤカワ文庫SF)


にもかかわらず、わたしが「なりかわり」を選んだのは、これが頭木弘樹氏が編纂した傑作アンソロジー「トラウマ文学館」(ちくま文庫)に収められていて、そのタイトルが「なりかわり」(訳者は品川亮氏)だからです。

誰しも、子供の頃などに読んで、トラウマのようになってしまっている物語があるもの。タイトルも作者も忘れてしまっても、物語の肝心なところは、忘れようにも忘れられない。そして、もしかすると、それを読んだことが、今の自分に大きく影響しているのかもしれない……。そんな物語ばかり集めてある文学館。ここを訪れてしまったら、出てくるときには、もう前と同じ自分ではいられない……。(「トラウマ文学館」背表紙より)

異星人のスパイとして逮捕
「近いうちに、まとまった休みを取ろうと思うんだ」朝食のときにスペンス・オラムはそう言って、妻のほうを見た。「それくらいしたっていいよな。十年も働きづめなんだから」
「なりかわり」はこんな書き出しで始まります。
主人公のオラムは、異星人と戦う地球防衛部隊で武器開発に従事する《プロジェクト》の一員。その日の朝もふだんどおり高速艇ーー《プロジェクト》の送迎シャトル便に乗り込んだ。
高速艇に乗ると、同僚のネルソンの隣にやや年輩の男が乗っていた。ネルソンが「ピーターズ少佐だよ」と紹介した。
「こんなに早くからどうしたんです?」「《プロジェクト》でお見かけした記憶はありませんが」
ピーターズは国家安全保障機関に所属していると明かして「実はですね、オラムさん。あなたに会いに来たんです」と続けた。
「私に? なんのため」
「異星人のスパイとして、あなたを逮捕しに来たんです」
そう言うやいなや、ネルソンはオラムの脇腹に銃をつきつけた。「すぐ殺すべきです」
どういうことか教えてくれ
オラムには、なぜ自分に異星人のスパイ嫌疑がかけられるのか、まったくわけがわからなかった。高速艇で月の裏側まで運ばれ、そこで破壊されると通告され、ようやく「どういうことか、教えてくれ」と声を絞り出した。
「もちろん教えるとも」ピーターズはうなずく。「二日前、我々は報告を受けた。異星人の船が一隻《防衛ドーム》に侵入したとね。その宇宙船から、ヒト型のロボットが地上に降下した。ロボットに与えられた命令はこうだ。ヒトをひとり殺し、その人間になりかわる」
ピーターズは静かにオラムを見つめた。
「ロボットの中には核爆弾が仕込まれている。我々の調査では、起爆方法を探り出せなかった。だが、ある特定の言葉の組み合わせ、つまりキーフレーズを口にすることで起爆するらしい、というところまではわかった。ロボットは、殺した相手の人生を生きる。その人間の日常に入り込み、職業をこなし、人間関係も続けるのだ。ロボットはその人間そのものになるようプログラムされている。誰にも、本物かロボットか見分けることはできない」
オラムは必死に訴える。「おれはオラムだ。確信がある。なりかわりは起こらなかったんだ。今も昔も変わらぬオラムなんだよ」「自分ではわかってるのに、証明できないだけなんだ」
オラムはピーターズらの隙を突いて高速艇を奪取して、地球に戻って自分がオラム自身であることを証明しようと異星人の船が到着した場所へ向かうーー。
アイデンティティーのゆらぎ
この短編について、頭木弘樹氏はこんなふうに紹介しています。
思春期には、精神が不安定になるものです。
みんなが自分を見ているような気がしたり、みんなが見ている世界と、自分が見ている世界はちがうんじゃないかと思ったり、すべては自分が見ている夢なんじゃないかと思ったり、自分は本当に自分なのかと、そんなことまで不安になったり……。
そんなアイデンティティーのゆらぎを、フィリップ・K・ディックほど見事にとらえてくれる作家はいないのではないかと思います。
まったく同感です。ディックお得意の「現実崩壊感覚」(自分は本当に自分なのだろうか…もし自分ではないとしたら?)をSF短編に昇華させるストーリー構成は見事としか言いようがありません。
ちなみに、ディックの短編を数多く日本に最初に紹介した仁賀克雄氏は、この「なりかわり」を以前に紹介した「地図にない町」とともに自身のベスト5に挙げています。

2001年に映画化される
わたしは未見ですが、「なりかわり」も2001年に映画化されていて、日本でも「クローン」のタイトルで劇場公開されているそうです(原題は原作と同じImpostor)
「アジャストメント」のあとがきで編者の大森望氏は次のように紹介しています。
何度も各種アンソロジーに再録されてきたディック初期短編の代表作。「自分は人間なのか、それとも人間そっくりの機械なのか?」という終生のテーマを正面からストレートに描き切った作品。
(映画「クローン」は)ゲイリー・シニーズ演じる主人公スペンス・オーラムの逃亡劇が始まってからは、見せ方のテンポは抜群で、手に汗握るサスペンスが連続する。原作にはない映画オリジナルのエピソードや結末のひねりもディック世界とうまく調和し、地味ながら、ディック・ファンには一見の価値がある作品。
ディック的世界を知る格好の一冊です。「トラウマ文学館」や「アジャストメント」は今も簡単に入手できるので、ぜひ手に取ってみてください。
(しみずのぼる)
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