きょう紹介するのは氷室冴子さんの青春小説「海がきこえる」です。スタジオジブリのアニメ映画の原作として有名ですが、新装版で表紙が一新したのを機に、ぜひ小説でも読んでほしい作品です(2024.9.11)
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ジブリアニメ化が前提の小説
最初に、何も知らない人がいると困る(いるのか?)ので、あらすじを紹介します。

高知の高校を卒業した杜崎拓は、東京の大学に進学し、一人暮らしを始めた。その矢先、同郷の友人から武藤里伽子が東京の大学に通っていると聞く。里伽子は高知の大学に行っていたのではなかったのか? 拓の思いは、自然と2年前のあの夏へと戻っていった。高校2年の夏のあの日、訳あって東京から転校してきた里伽子。里伽子は、親友が片思いする相手だったはずなのに……。その年のハワイへの修学旅行までは……。
「海がきこえる」は、ジブリでアニメ映画化することを前提に書かれた小説です。 ジブリの鈴木敏夫氏がブルーレイのブックレットでこう記しています。
企画というものは、いつだって、誰かの不純な動機から始まる。今作の場合、それは徳間書店の編集者だった三ツ木早苗である。彼女は最初から目論んでいた。当代の大人気作家だった氷室冴子さんに本を書かせ、その原作を元にジブリで映像化する。なにしろ氷室さんは、当時、集英社のお抱え作家で、そこへ徳間が食い込むことは至難の業だった。それをジブリを餌に実現したのだから、見事という他ない。
(略)
事はどんどん速やかに順調に進んだ。最近の映画の主人公は不良ばかり。優等生を主人公にすると、いま、どうなるか? 舞台は土佐の高知。地方都市を舞台に、やがて、都会へ出て行く高校生たちの青春群像。卒業の時、高知は東京へ行く人と関西へ行く人に分かれる。そこがおもしろいと氷室さんは、一気に話した。それを傍らでニコニコしながら、頷き、相づちを打つ三ツ木早苗。タイトルは、海がきこえる。
その後、アニメージュで連載が始まるが、間を置かず、映像化の話も同時進行する。日本テレビでの放映もあっという間に決まった。(以下、略)
ですから、ジブリのアニメ映画「海がきこえる」(望月智充監督、1993年製作)が好きな人は、絶対、氷室さんの原作も好きになります。でも、仮にアニメ映画を観ていない人でも、単体の小説としても抜群におもしろい……。それが氷室冴子さんの「海がきこえる」です。

別の氷室作品きっかけで読む
わたしはどうだったかと言えば、アニメ映画が先でした。子どもが小さかった頃、まだDVDがなかったころはナウシカやラピュタをVHSで買い、DVDでジブリ作品が出てからはトトロを買い…というふうに自宅観賞用のジブリ作品は増えていきましたが、「海がきこえる」の場合は、最初はレンタルビデオでした(いまはブルーレイで所持してます)
「海がきこえる」は、当時小学生だった子どもたちにはそれほど響かなかったようですが、一緒に観ていたわたしの琴線にビビッと触れたアニメでした。
原作を手にしたのは、アニメを見てから数年後、1999年に文庫化(徳間文庫)した時でした。 これもきっかけは氷室さんの別の小説を読み、

そう言えば「海がきこえる」も氷室冴子だったな…
と思って、ちょうど文庫化されてすぐで手に取った、というのが実際のところです(ちなみに「別の小説」というのは「なぎさボーイ」「多恵子ガール」「なんて素敵にジャパネスク」です)
ところが、原作の「海がきこえる」と続編「海がきこえるII アイがあるから」を読み、これまた琴線に触れてしまったのです。
ここで「海がきこえるII」のあらすじも紹介しておきます。

大学1年の夏、杜崎拓は故郷高知に帰省した。親友・松野と里伽子のわだかまりも解け、気分よく東京に戻った拓の部屋に、年上の女性、津村知沙が入り込み泥酔して寝ていた。「その年上の女、たたるぞ」という松野の言葉が拓の脳裏に甦る。不倫の恋に傷ついた知沙。離婚した父とその再婚相手との間で傷つく里伽子。どうしたら人は人を守れるのだろう? さまざまな思いと痛みが交錯しながら拓は東京ではじめての冬を迎えるーー。
結局、わたしにとって、氷室冴子さんの小説でいちばん再読率の高い小説となったのが「海がきこえる」と「海がきこえるII」でした。

懐かしい気持ちになれる
「海がきこえるII」(1999年刊行の文庫版)のあとがきに、脚本家の岡田惠和氏がおもしろいことを書いています。
「海がきこえる」好きな男性は、たいていこんな風に言います。
「懐かしい感じがする」
「そういえば、俺にも似たようなことがあったなぁ」
でも、これも錯覚なんじゃないかと私は思うのです。
私もそんな気持ちになりました。
「あぁ、そういえば……」
でも、私は東京生まれの東京育ちだし、この本に出てくるような出来事なんて、ほとんど重なることはなかった。
でも、懐かしい気持ちになれる。
これって、何なんでしょうね。
わたしも親が転勤族で「ふるさと」と言えるような故郷を持たない人間です。それでも、とにかく「懐かしい」という気持ちを駆り立てられる……。それが「海がきこえる」の魅力のひとつです。
少女達が普遍的に持ち合わせる鎧
「海がきこえる」好きな男性は…という書き出しもミソです。というのも、 「海がきこえる」は「なぎさボーイ」「多恵子ガール」と並んで「男性にもファンが多い氷室作品」と言われているからです。
氷室冴子さんはもともと集英社コバルト文庫でたくさんの作品を発表して「少女作家」と称される代表格だった方です。だから「男性にもファンが多い」という言い方をされるわけですが、では、「海がきこえる」を女性が読んだらどういう反応なのかーー。
これは、2023年に出版された新装版「海がきこえるII」の文庫解説を書かれた作家の斜線堂有紀さんの文章を紹介しましょう。
前巻『海がきこえる』の表紙を見た時、こちらを睨む里伽子に胸を打たれた。
彼女の瞳は勝ち気で真っ直ぐで、見ている人間をたじろがせる。高く結われた髪も相まって、彼女は戦場にでも出て行くようにも見える。天真爛漫で相手を振り回し、他人のことなんてお構いなしに自分本位で突き進んでいく。何も知らない周りが抱く印象はそんなところだろう。
だが、里伽子の本質はそこではない。彼女のそういった振る舞いは、ある意味で少女達が普遍的に持ち合わせる鎧なのだ。ジブリアニメ版の主題歌「海になれたら」では、里伽子が演じる理想の自分が歌われている。彼女が鎧として纏うのは理想の自分、海のような自分。そうして里伽子は孤独を乗り越えてきたのだ。この鎧でも防げない一撃は世に多く、現実から襲い来る槍は里伽子を貫く。
この小説が書かれたのは一九九五年で、私がまだ物心のついていない頃だ。描かれている風景や街の様子には馴染みが無く、ある意味でレトロな世界観に疑似的なノスタルジーを覚える程である。それなのに、里伽子が纏っている鎧は私にも痛々しいくらい覚えがある。そうしなければ守れなかった心が自分にもある。恐らくは、どの世代を生きるどんな少女にも、同じ鎧があるはずだ。勝ち気で奔放な少女のロールプレイをしなければ、少女として生きられない瞬間がある。
以下つづく斜線堂さんの本書の分析は鋭く激しく熱く、「う~ん、女性はこういう読み方をするのか…」と目からウロコが落ちるようなすごい文章でした。
”疑似的なノスタルジー”でお気楽に「懐かしい~」と言っている男性(=わたしのこと)だけでなく、女性にも強く共感される小説であるのは間違いないでしょう。
「海がきこえる」が月刊誌「アニメージュ」に連載されたのは1990年から92年にかけて。書き下ろしの「海がきこえるII」が出版されたのが1995年。まだインターネットも大衆化する以前で、もちろんスマホやSNSは影も形もない、そういう時代の青春小説です。
にもかかわらず、1993年生まれで30代前半の斜線堂有紀さんが熱っぽく「海がきこえる」論を語ってしまうほど、現代でも通用する、まったく色褪せていない青春小説の傑作です。
装丁改め独立した作品に
1999年出版の文庫版はジブリのアニメに寄り掛かった印象でしたが、2022-23年に出版された新装版の表紙は、雑誌連載で挿画を担当したアニメーター近藤勝也氏の装丁に改まりました(文中にはさまれる挿画は1999年版と一緒です)


ジブリアニメとは切り離せない「海がきこえる」ですが、それでも、アニメから離れて独立した小説として手に取ってほしい……。そんな気持ちが込められた新装丁であると感じます。
氷室作品に再び脚光を…
2008年に51歳の若さで亡くなった氷室冴子さんは、間違いなく一時代を画した作家です。
ところが、中学生や高校生の読書傾向がわかる学校読書調査では、2000年を最後に名前が登場することはなくなったそうです(嵯峨景子氏の「増補版 氷室冴子とその時代」河出書房新社、348ページ)
小説も大量生産&大量消費される時代ですから、やむを得ない部分もあるでしょうが、それだけに「海がきこえる」が新装版で復活したのを機に、氷室作品が多くの人に手にとってもらえたら…と願ってやみません。
最後に、せっかくスポティファイのサンプル音源もあるので、サントラ盤からわたしがとても好きな「ファーストインプレッション」(作=永田茂)と、斜線堂有紀さんが「里伽子が演じる理想の自分が歌われている」と言う「海になれたら」(歌=坂本洋子、詞=望月智充、作=永田茂)をつけておきます。
誰もいない波間に
ゆっくりと身を任せてただよえば
思うままの私になれる
傷つかず強がりもせずに
おだやかな海になれたら
いつかきみに好きと告げるよ
言葉にする気持ちもわからずに
部屋で泣いていた
私にさよなら Good bye
飛ぶ鳥のようにかわらない
あたたかな海になれたら
どんなときも会いに行けるよ
遠すぎた道 灯りをありがとう
ひざを抱いていた
時間にさよなら Good bye
(しみずのぼる)
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