お盆が近づくとまた読みたく(観たく)なる…そんな小説&映画を紹介します。梶尾真治氏の「黄泉がえり」。原作の小説に何度も涙で頬を濡らし、竹内結子さんと草薙剛さんの映画に胸が締め付けられる…感涙必至のSFファンタジーです(2025.8.7)
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映画はロングラン大ヒット
2003年に公開された映画「黄泉がえり」は、もともと3週間の期間限定公開だったそうですが、手元にあるDVDの背表紙を見ると「230万人の観客動員を記録、ロングラン大ヒットとなった」とあります。多くの人の心を揺さぶったのは間違いありません。
原作は熊本在住のSF作家・梶尾真治氏。以前に「おもいでエマノン」で紹介したこともあります。
でも、いちばん知られている小説は?と聞かれれば、やはり「黄泉がえり」でしょう。
からだの一部(遺骨、髪の毛、へその緒…)が残っていて、想い続けてくれている人がいる場合に限って、死者がよみがえるーー。テレビ番組が名付けて広まった「黄泉がえり」現象を描いた長編小説「黄泉がえり」は、1999年に熊本日日新聞の夕刊に連載され、2000年に新潮社から単行本化されました。
ちなみに、映画のキャッチコピーは
「人は黄泉がえる。儚(はかな)く切ない想いのもとに…」
というものです。


超生命体というSF的設定
原作では、冒頭、”彼”と呼ばれる超生命体が出てきて、「火の玉」が落ちる目撃談を載せた熊本の地元紙の記事が紹介されるので、読者は、死者がよみがえる現象がこれに起因することは最初に知ることとなります。
そして、超生命体が熊本を襲う地震を防ごうとし、それが死者たちが消失する時期であることも、物語の3分の2ほど進んだところで明かされます。
黄泉がえりの少年が地元紙「肥之國日報」記者の川田平太にこんなふうに説明します。
ぼくたちって”彼”の一部なんです。”彼”は、この熊本へ落ちてきた。落ちてきたというよりも”力”を求めてきたんです。来たとき、”彼”はパワーを失くしていた。ちっぽけな状態だったんです。”彼”が何故、熊本を選んだのかというと、地下の力が溜まっていたからです。うーん、私たちの言葉で言えば、火山性地震のエネルギーかな。
形を得た黄泉がえりのぼくたちは”彼”の一部でもあるし、”彼”の上でしか存在できない。(中略)”彼”は相対的には、この場所が気にいったようです。できるだけ、この地にとどまりたいと思っています。しかし、それはできません。
”彼”のエネルギーが飽和状態を迎えようとしているからです。”彼”の予測によると、三月二十五日の終わりに、この熊本市の地下で新たな火山性地震エネルギーが生じるそうです。そのエネルギーは、”彼”の臨界を超えたものらしい。その前に、この地を離れないと、”彼”そのものが消滅してしまう。
この独創的な設定から、2016年の熊本地震を”予言”した小説といった世評も生まれるわけですが、「黄泉がえり」の魅力は決してSF的設定にあるのではありません。
ふたたび訪れる別れ
想い続けていた人たちにとっては、ひそかに願っていたことがかなう喜びが大きいぶん、ふたたび別れを経験しなければいけなくなる悲しみが襲うことになります。
例えば、4年前に交通事故で夫を亡くして一人息子を育てる34歳の古書店員の相楽玲子の場合ーー。
「他でも聞いたの。黄泉がえった人たちは、皆、いっせいに三月二十五日にいなくなってしまうって。これ、嘘なんでしょう。デマが流れているんでしょう」
「……………」
周平は口ごもった。玲子から視線をそらす。
「周平が、またいなくなってしまった世界のことを想像してみたの。そしたら、私、怖いの。何でやっと私たち……周平も、翔も……私も幸福を取り戻したのに失わなきゃいけないの? 私が、どんな悪いことをしたっていうの。今度、また、あなたがどこかへいなくなってしまったら、私は、もう生きていく自信がない。私と翔と、もう、そんな元気なくなる」「三月二十五日になっても……ずっと、ずっと、私……相楽周平は私と翔を置き去りにしません。二人のそばにずっといます。そう約束してください」
別のケースも紹介しましょう。会社社長が黄泉がえった老妻の場合ーー。
「また、お迎えが来るというんであれば、今度は、私も一緒しますからに」
「あなたが還ってきて、あー、やはり今まで私は抜け殻みたいなもんだったんだなって実感しましたよ。あなたがいなくなったら、誰の世話をしろというんですか。もう、何にも生きてる甲斐って残りませんから」
そう打ち明けられた黄泉がえりの会社社長は、しかし三月二十五日の話を打ち明け、「今度のお迎えも、一人で行かなきゃいかんようだが、シメ、寂しがるな」と言うと、老妻はからだを震わせて怒った。
「どうして今度逝くときは、一緒に連れていく。そう言って頂けないんですか。ほんとに呆れました。自分の都合で還ってきて、自分の都合でお迎えだなんて」
想っていた人が黄泉がえったぶん、”二度目の別れ”の悲しみ苦しみはとてもつらいものとなります。
「だめ。行っちゃだめ」
しかし、無情にも三月二十五日はやってきます。ふたたび相楽玲子の場面ーー。
玲子が、叫んだ。
「だめ。周平。行っちゃだめ」
玲子はテーブルの向こうから、飛びかかるように、周平の身体を掴んだ。
「お父さん」
息子の翔も、玲子に言いふくめられていたのか、周平のシャツを握り泣きべそをかいていた。
(中略)
しかし、今も、自分は”彼”とつながっている。周平は思う。玲子と翔を救って、その身代わりになるんだ。それしか方法はないんだ。
「行かないでぇ」
玲子の叫びは、殆ど悲鳴に近い。
床から、何かが噴き出すように湧き出てくる。”彼”が力を出し尽くしたという証しだ。白い……白い……まるで、部屋の中に入浴剤を溶かしこんだように。
周平には、すでに見慣れた部屋の風景は何も見えなかった。すべてが乳白色だ。
ただ、周平の視界にあるのは、しがみつく玲子の震える肩と、翔の泣き顔だ。
電撃的に、周平は思った。
自分は、この二人を残して行くわけにはいかない。自分も、二人をこんなに愛しているのだから。しかし……。
「玲子、ゴメン」
せつない”二度目の別れ”が続けざまに起こる後半は、ページをめくるたびに落涙です。
竹内結子さん演じる葵
映画版の「黄泉がえり」のことも書いておきましょう。原作は未読で映画だけ観たという人は多いのではないかと思いますが、映画版の主人公ーー竹内結子さん演じる地元の市役所職員の橘葵は、原作には出てこないオリジナルキャラクターです。
草薙剛さん演じる厚生労働省のエリート官僚・川田平太の幼馴染で、しかし平太の友人・俊介から結婚を申し込まれ、婚約中に俊介が水難事故で死亡。黄泉がえり現象の中で俊介が黄泉がえってこないことに苦悩する……という設定です。
映画の主役は草薙さん演じる川田平太でしょうが、観る人の心を鷲掴みにするのは竹内さん演じる葵でしょう(ちなみに原作の川田平太は地元紙「肥之國日報」記者です)
監督は塩田明彦氏。脚本は塩田氏を含めて3人の名前が連ねてありますが、葵の設定を思いついた人には感謝しかありません。
竹内結子さんは、映画出演時は22歳。「黄泉がえり」が主役級の映画デビューで、ウィキペディアによると、
映画 『黄泉がえり』に出演した頃には、「泣きたい夜には、竹内結子」というキャッチフレーズ入りポスターが東宝によって作成された。
とあります。2020年に40歳の若さで亡くなり、自死と言われていますが、とても残念でなりません。
原作にインスパイアされた別作品
映画版「黄泉がえり」には、原作に登場する人物に設定がよく似ている人も出てきます。
周平を失った後ラーメン店を切り盛りする玲子(演じるのは石田ゆり子さん)がそうですし、学校でのいじめを苦に自殺した中学生の黄泉がえり(演じるのは市原隼人さん)も出てきます。
黄泉がえりとして三月二十五日に野外コンサートを行うRUI(演じるのは柴咲コウさん)も、原作ではマーチンという歌手と設定が似ています。 RUIが野外コンサートで唄う「月のしずく」は大ヒットしました。
しかし、完全に原作と同じ設定の登場人物はひとりもいません。ですから、映画版は原作「黄泉がえり」にインスパイアされた別作品と思うといいかもしれません。
そのぐらい映画版「黄泉がえり」は、原作にはいない葵の登場によって、原作に勝るとも劣らない作品となったと思っています。
映画版「黄泉がえり」は、U-NEXTなどの有料動画配信サービスで視聴できます。
「黄泉がえり」のことは一回で書ききれません。次回は「黄泉がえり」のアナザーストーリーと続編について書きます。
(しみずのぼる)
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