きょう紹介するのは日本SF史上屈指の美少女「エマノン」です。SF作家の梶尾真治氏の原作「おもいでエマノン」を、学生の頃からファンだったという漫画家の鶴田謙二氏がビジュアル化。原作×漫画の奇跡のコラボレーションとなっています(2024.8.21)
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最初に梶尾真治氏と鶴田謙二氏の紹介です(Amazonの著者欄より)
梶尾真治:『黄泉がえり』や『この胸いっぱいの愛を』といった映画化作品も増えている人気のSF作家。SFファンの信望が厚いのみならず、最近では一般読者も多い。
鶴田謙二:多くのファンを持つが、寡作で知られる。近年ではイラストレーターとして人気。代表作は「Spirit of Wonder」 (*)
(*)元の原稿は古い情報をそのまま転記したため一部修正しました(2024.8.22 6:10)
このふたりを結びつけたのが梶尾氏の人気SF連作集「おもいでエマノン」シリーズです。
「おもいでエマノン」の初出は「SFアドベンチャー」1979年12月号。その後、連作短編集として1983年に徳間書店から出版され、1987年に文庫化されますが、鶴田氏のイラスト入りで徳間デュアル文庫から復刊したのが2000年のこと。
後述の漫画版「おもいでエマノン」のあとがきで梶尾、鶴田両氏が経緯を述べています。
(梶尾氏)
短編「おもいでエマノン」を書き上げてからは、自分の中ではエマノンは完成していたのですが、数ケ月後にその頃の担当編集さんに予想もしていなかった依頼を受けました。
エマノンの評判がいい。エマノンを主人公にした短編を書いて欲しいと。私としてはシリーズ化するつもりはなかったので寝耳に水でありました。そして作品数は増え続け……。
そして「さすらいエマノン」の出版を最後に作品は途絶えるのですが、それも「SF Japan」の創刊で再生を果しました。このときのO編集長さんが、鶴田謙二さんに引き合わせてくれることになるのです。その鶴田さんのイラスト・エマノンを見て驚きました。
はまりすぎてる。
以降のエマノンを執筆するとき私の中でのイメージは鶴田さんのエマノンになっています。(鶴田氏)
エマノンに出会ったのは主人公と同じ大学生の時でした。(略)漫画化の話が出たのは「SF Japan」挿絵、デュアル文庫版挿絵と続いたあたりだったと思います。小説の漫画化は今まで散々却下され続けて来たのに、今回はどういう風の吹き回しか、「SF Japan」O編集長が大乗り気、早々と熊本まで出向き、梶尾先生から許可もいただいていました。
こうやって見ると、徳間書店のO編集長が”縁結びの神様”だったと言えそうです。著者の梶尾氏が言うとおり、「はまりすぎてる」ーーエマノンと言えば、鶴田氏のイラスト以外に想像がつかなくなったファンは数多いでしょう。
フェリーで出会った少女
前置きがたいへん長くなりました。記念すべき第一作「おもいでエマノン」はこんな書き出しで始まります。
一九六七年といえばジェミニ計画が一段落した翌年で、まだアポロも月に着陸していなかった。万国博のことがぼつぼつ話題にのぼりはじめ、新聞ではベトナム戦争の拡大が騒がれていた。巷には「帰ってきたヨッパライ」が繰り返し流れ、七〇年安保を控えて学生たちはにわかに騒然となり始めていた頃だ。
ぼくはというと相変わらずの日和見で、SFびたりの日々を送っていたような気がする。
主人公の「ぼく」は失恋の痛手で感傷旅行の毎日。九州へ向かうフェリーの中で、ひとりの少女から「ここ、あいてるかしら」と声をかけられた。
少女はぎゅうぎゅう詰めのナップザックを抱えこむようにペタリと胡坐をかいた。ジーンズに粗編みのセーターで、髪は胸まである。少し、そばかすが残っているけれど、瞳の大きな掘りの深い異国的な顔立ちで、予想外に美人と思ってしまった。
ナップザックには「E・N」のイニシャル。混雑してきて、毛布をかぶって寝入ると、その少女から起こされた。ほかの客に酒を勧められて嫌だったから…という理由で、主人公と少女はデッキに出て言葉をかわすようになった。
「名前、何ていうの」
「……名前なんて記号よ」
「でも、呼びかけにくいし。……さっきのナップザックにE・Nってあったけどイニシャルなんだろう」
「なんでもいいわ。イー・エヌだったら、エマノンでいいじゃない。うん、それがいいわ」
「エマノン?」
「ノー・ネームの逆さ綴りよ」
すべてを記憶している少女
主人公がSF好きだと知ると、エマノンは「じゃあ、あなたは、どんな突飛な話を聞かされても、それを受け止めるだけの思考の柔軟性は持っているわけね」と言って、こう続けた。
「私が生まれたのは、昭和二十五年。だから、今十七歳。だけど、これは私の肉体的年齢にすぎないの。私の精神年齢は……たぶん三十億歳くらいになるらしいの」
エマノンはこう続けた。
「私は地球に生命が発生してから現在までのことを総て記憶しているのよ」
エマノンはしかし、そんな自身の能力に飽いていた。「何故、私みたいな人間が存在しているのかってことよ。正直な話、もう記憶の重荷にうんざりしているの」
疲れちゃったわけ、もう死んじゃおうかしら。そう続けたところで彼女は、そんな科白がサマになりそうなのだ。
「じゃ、ぼくの考えを言うよ」次の言葉をぼくは一所懸命に模索した。
「ぼくは総ての生命には必ずその存在価値があると思う。その中で特殊な能力を備えたきみの存在は他の人類以上の使命を持っているはずだ」
「……………」エマノンは救いを求めるような瞳でぼくを凝視めていた。
「きみは地球上生物の進化の生証人なんだ」
力説する主人公をみて、エマノンはがらりと快活な口調に変わった。「私の話も面白かったでしょう。かなり独創的なアイデアだったと思わない。SFでこんな話はあったかしら」
「……とすると今の話は全部フィクションなのかい」
エマノンはケラケラ笑い続けた。
「あったりまえよ」
そこからは様々な話題で楽しく会話を楽しんだが、翌朝目がさめるとエマノンは姿を消していた。
13年後に邂逅する8歳の少女
主人公は淡くせつないエマノンの思い出を胸に大人になった。「見合をしてあっけなく結婚生活」に入り、「SFを絶対に読まない女房との間に男の子を二人もうけた。父を亡くし、係長に昇進した」。あれから13年の月日が経っていた。
エマノンの面影をとどめる女性を見かけたのは、出張帰りで駅のホームで列車を待っていた時だった。勇気を出して声をかけた。
「あなたは、確かエマノン……って名乗られましたよね。ほら、船の中で」
しかし、その女性は「申し訳ございませんが、あなた様は人違いなさっているんではございませんか」と答えた。
主人公が人違いを詫びた時、8歳くらいの少女が駆け寄ってきた。
「あら、ママの知合いの人なの」
「いいえ、人違いだったらしいわ」
主人公は母娘に一礼してベンチに座ると、少女に呼び止められた。
「さっきママを誰と間違えたの」
「おじさんが昔、会ったことのある人だよ」
「何年ほど前のこと」
「十……三年かな」
「船の中でなの」
「ママに今聞いたのかい」
「いいえ、だって……あなたも面影が残ってたもの」
主人公と少女の会話を紹介するのはここまでにしておきましょう(でも、だいたい予想がつくでしょう?)
2008年に鶴田氏が漫画化
「おもいでエマノン」は、2000年に徳間デュアル文庫から復刊した8年後、同じ徳間書店から漫画版が出版されています。
主人公が13年後に邂逅する8歳の少女が、
「私 あなたのこと好きよ 多分永遠に忘れないわ」
と言った後、原作にも漫画版にも出てくる(総ての記憶を持つエマノンならではの)名セリフとなります。
数時間一緒にいても
数十年間一緒にいても
好きだったという思い出は
私にとっては同じことなんだもの
わたしの手元にあるエマノン・シリーズは「おもいでエマノン」「さすらいエマノン」「かりそめエマノン」(と漫画版「おもいでエマノン」)だけですが、その後も出版され続け、原作は6冊、鶴田氏の漫画版は4冊になっています。
漫画版「おもいでエマノン」の帯(裏面)に、こう書いてあります。
ぼくが出逢ったのは〈永遠〉の美少女
風に揺れる長い髪にそばかす。編みの荒いセーターに洗い古されたジーンズ。ナップザックを肩にかけ、両切タバコをくゆらせる彼女の瞳は、あどけなくもあり、ときおり哲学めいた輝きをたたえるーー彼女こそが日本SF史上屈指の美少女・エマノン
わたしも「日本SF史上屈指の美少女」と思います。すべての起点となる「おもいでエマノン」が気にいったら、ぜひ他のシリーズにも手を伸ばしてみてください。
(しみずのぼる)
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