熊本在住のSF作家梶尾真治氏の感涙SFファンタジー「黄泉がえり」には、その秀逸なプロットから優れたアナザーストーリーや続編があります。特に熊本地震(2016年)を踏まえた続編は笑って泣けてお勧めです(2025.8.8)
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目次
アナザーストーリーと続編
「黄泉がえり」には、映画が公開された2003年に出版された「黄泉びと知らず」(新潮文庫)と、梶尾氏が熊本地震からの復興を強く意識して熊本日日新聞にふたたび連載、2019年に出版された「黄泉がえり again」(新潮文庫)があります。
前者は短編集で、巻頭に収められている「黄泉びと知らず」から紹介します。
「ねぇ、知ってます? 九州の方で、死んだはずの歌手が生きていたって」
「いいえ。それって本当の話ですか?」
白木悦美が、黄泉がえり現象について耳にしたのは、そのときが初めてだった。
「黄泉びと知らず」は、こんな書き出しで始まります。
10歳の息子を喪った女性
名古屋で美容院を営む悦美は、3年前にひとり息子の穂(みのる)を亡くしていた。わずか10歳の若さだった。
客から黄泉がえり現象のことを聞く機会が増えた。
「その人、一昨年にご主人を白血病で亡くされたらしいの。死んだ人が生き返ってくるって、あの話を知ってから、狂ったようになって、(熊本に)行ったんだって。でも、ご主人、黄泉がえってこなかったって」
「生き返ってきた人たちのこと、”黄泉がえり”でしょう。返ってこない人たちのこと、”黄泉びと知らず”って言うんですって」
笑いながら客は話すが、悦美は笑えなかった。
もし、熊本へ行って、穂が蘇ってこなかったとしたら……。
それほどの絶望があるだろうか。
もしもあのとき…ifの連続
穂を亡くしたのは、家族3人で岐阜のキャンプ場に行った時だった。
「穂は? まだ戻ってこないのか」
睦夫は、バンガローの前で文庫本を読んでいた悦美に、そう尋ねたのだ。
「えっ。パパと一緒じゃなかったの?」もしもあのとき、キャンプへ行こうと睦夫が言いださなければ。もしもあのとき、睦夫が穂を一人残してなければ。もしもあのとき、三人で水辺を歩いていなければ。もしもあのとき、自分も一緒に食材の買いだしに行こうとしていたら。
出口のない問いかけに過ぎない。どれだけ堂々めぐりのifを繰り返したところで、遣る瀬ない想いがつのるばかりだ。
穂を喪ったあと、悦美は夫の睦夫と離婚した。
別れた夫からの電話
黄泉がえりの地へ行ってみたい。
でも、穂が現れてくれなかったら。
そちらの方が、より怖い。
そんな逡巡と葛藤に苦しんでいたとき、別れた夫から電話があった。
「実は……。お願いがあって電話したんですけれども」
「穂の……穂のヘソの緒があったと思うんですけれど、悦美……さんが保管していたと思うんです。ありますか? 今でも。ヘソの緒」
遺品があれば黄泉がえるーー。その情報にすがって熊本へ行こうとする元夫に、悦美はわたしも一緒に連れていってほしいと頼んだ。
だが、すでに三月二十五日が迫っていた。ふたりは無事に熊本にたどりつけるのか。そして息子の穂と再会できるのかーー。
完成度の高い書き下ろし
落涙必至の「黄泉びと知らず」は、短編集の刊行に合わせて執筆した書き下ろしだそうです。梶尾氏はあとがきで、
「黄泉がえり」のアナザーストーリーという要望で、ストックにはない話です。待機中のアイデアたちが、「何で、俺じゃないんだ」と騒ぎたてるのを尻目にこさえたのですが…
と書いていますが、「こさえた」という表現はまったく当てはまらない、とても完成度の高い短編です。
熊本地震の2年後の設定
次に2019年に出版された「黄泉がえり again」の紹介ですが、こちらは前作「黄泉がえり」の内容を伏せながら紹介するのがムズカシイ…

あの大地震から二年。熊本で、死者が次々生き返る“黄泉(よみ)がえり”現象が再び発生した。亡くなった家族や恋人が帰還し、驚きつつ歓迎する人々。だが、彼らは何のために戻ってきたのだろう。元・記者の川田平太は、前回黄泉がえった男とその妻の間に生まれた、女子高生のいずみがその鍵を握ると知るのだが。大切な人を想う気持ちが起こした奇跡は、予想を遥かに超えたクライマックスへ――。

「前回黄泉がえった男とその妻の間に生まれた女子高生のいずみ」という部分ーー。ここが前作のネタバレとなってしまうのがネックなんですが、あえてここには触れずに紹介しましょう。
黄泉がえりの女性と恋愛
前作でも登場する「肥之國日報」の川田平太は、新聞社を辞めてフリーライターとして忙しい日々を送っている。特に熊本地震からまだ二年で、復興途上のなかで仕事漬けの毎日だった。
そんなさなか、ふたたび黄泉がえり現象が始まった。新聞社時代の後輩・室底記者から教えられたが、平太の母親もまた黄泉がえったひとりだった。
平太は市役所で母親の手続きを行っているとき、隣の席にいた女性に心惹かれた。勇気を出してデートに誘った女性ーー山口美衣子も黄泉がえりだった……。
清正公も恐竜も黄泉がえる
「again」は平太と美衣子の恋愛模様を織り交ぜながら、前作とは比べものにならないバラエティ豊かな黄泉がえりが登場します。
熊本でセイショコさんと慕われる加藤清正公、化石から黄泉がえった恐竜ミフネリュウ……。
そのぶん笑いの要素が前作と比べて格段に増えたわけですが、最初読んだときは正直「そこまで脱線しなくても…」と思ったものです。
でも、物語の途中から「女子高生のいずみ」の危機を、アクションものさながらに救出する場面で清正公とミフネリュウがふんだんに活躍するので、ちゃんと理由があって登場させたんだな…とわかります。
「この一日」の大切さ
「again」は笑いあり、アクション(?)あり…ですが、もちろんそれだけではありません。
平太と結婚した美衣子がこんなセリフを口にします。
「黄泉がえってよかった。本当に今日ほど、そう思える日はありません。いつまで私に時間が与えられているのかわかりませんが、こうして平太さんと出会えて、一緒になれた。それだけで、これからは一日一日を大事に生きていこうと思えるようになりました。前は、人生はいつまでも続くと思っていた。でも今は、この一日が大事なんだってわかるようになったんです」
「again」は、清正公まで黄泉がえらせるぐらいですから、全篇通じて熊本復興への熱いエールが底流にあるのは承知しています。それでも、
ふたたび生を得たからこそわかる「この一日」の大切さ
という部分に、前作「黄泉がえり」から「黄泉びと知らず」「again」までを通す、一本の芯のようなものを感じます。
介護のアナザーストーリーに落涙
なお、「again」には本筋と関係のない2つのアナザーストーリーが、室底記者の取材メモというかたちで挿入されています。
1つは、妻にも子供にも黄泉がえりを歓迎されない老人の話です。生命保険が取り消されたと子供から文句を言われる老人は、誰が想ってくれて黄泉がえったのか…
そしてもう1つは、認知症が進行する老母の世話をする男性の話です。
介護のせつない描写が続いて、ついに息子のこともわからなくなった老母を前に、介護職員に「もう、これ以上、母の意識が好転することはないでしょうね」とこぼす……。
「今、熊本は死んでも還ってくる黄泉がえりが多いそうですよね。黄泉がえった人は、亡くなる前の病気や怪我がよくなって戻ってくるそうじゃないですか。母もいっそ死んだら黄泉がえって元気になって還るんじゃありませんか? 認知症もなおって」
驚いたように介護の職員が岳夫を見た。
「本気でそう思うんですか」
ここからの数ページ、わたしは思わず泣いてしまいました(「again」でもっとも泣ける場面は間違いなくココです)
前作と違って「笑いあり、アクション(?)あり」なのに、こんな予想もしなかったところで泣かせるなんて、恐るべしカジシン!
「黄泉がえり」未読の方は、ぜひ前作「黄泉がえり」を読んでから「again」を手に取って、前作とどうつながるのか確かめてください(もちろん「黄泉びと知らず」もお忘れなく)
(しみずのぼる)
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