3連休を利用して家族で映画を観に行きました。「ブルー きみは大丈夫」(原題:IF)。一見すると子供向けですから、周囲は小さなお子さんを連れた家族連れが目立ちました。でも、きっと映画をみて涙したのは、お子さんたちではなく、お父さんお母さんだったはず……。わたしも気持ちよく泣きました(2024,7,16)
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この映画は、妻が予告編を観て「行きたい」と言ったため選んだもので、わたし自身は「ファミリー向けの映画もきらいじゃないから…」程度のノリで、なんの基礎知識もなく観た映画でした。
まず、あらすじと字幕版の予告編をごらんください。
幼い頃に母親を亡くした12歳の少女ビー(ケイリー・フレミング)は、ある日、おばあちゃんの家で、子供にしか見えない不思議な”もふもふ”ブルーと出会う。ブルーが友達だった子供は、今は大人になり彼の事を忘れてしまい、居場所が無くなったブルーは、もうすぐ消えてしまう運命に。少女は、大人だけどブルーが見える隣人の男(ライアン・レイノルズ)の力を借り、ブルーの新しいパートナーになってくれる子供を探すのだった。
https://blue-movie.jp/ より
映画の原題は「IF」。劇中でブルーが説明します。
君たちにしか見えない友達(イマジナリー・フレンド)だよ
でも、邦題が「IF」では観客は増えそうにないですよね。だから「ブルー」になったのはよくわかります。
ブルー(というより紫色?)のモフモフしたキャラクターは目立ちますから、それを見て子供向けの映画と思って家族連れが多く観にきてほしい…と(配給会社が)思ったのもよくわかります。
その意図があたってか、映画館を訪れた客層をみても、子連れのお父さんお母さんが目立ちました(わたしの並びの席の方も、小学生前の男の子を連れたお父さんでした)
IFが見えなくなった大人たちへ
でも、映画そのものは子供向けの映画では決してありません。
例えば主人公のビー、12歳の少女の造形ひとつ見ても、子供には少し難しい設定です。
母親を小さな時に癌で亡くし、いままた父親が心臓の病気で入院。母方の祖母の家に預けられ、手術を控えた父親を見舞って病院通いする日々です。「もう子供じゃないから」と口にしながら、心は痛いと訴えている雰囲気を、ケイリー・フレミングはとてもうまく演じています。
一見するとブルーをはじめとする様々なIF(イマジナリー・フレンド)たちが魅力で、子供の観客を惹きつけるかも…と思いながら観始めましたが、実はそんなことはなくて、いつのまにかIFが見えなくなってしまった大人たちの心に訴える映画だと思い直しました。
特にビーを預かる祖母が、かつてダンサーを夢見ていたこと、それを思い出させるためビーがレコード(バレエ音楽「スパルタクス」)をかけるシーンは感涙ものです。
懐かしいメロディを聞きながら、ふだんは背を丸めた祖母がすっと背を伸ばし、バレエダンサーのように両手を上げて……。それをみつめる祖母のIF、ブロッサムが光輝きはじめて……。もうこのあたりから涙がとめられなくなりました。
もちろん(邦題で)主人公に位置づけられるブルーをIFにしていた大人も登場します。
クライアントへのプレゼンを前に緊張する太った汗っかきの大人の肩に、そっと手を乗せてブルーが「きみは大丈夫」と声を掛けるシーン……。もうボロ泣きです。
こんなにネタバレしていいのかと言われそうですが、字幕吹き替え版の予告編はそこまで明かしているので、ギリギリここまでなら許されるかも…と思ったので、どうぞお許しください。
大人になった子供にこそ必要
父親の心臓の手術を控えて、ビーの心の痛みはどうなってしまうのか。大勢のIFたちと出逢ったビーは、心の屈託をどう乗り越えるのか。このあたりはぜひ劇場に足を運んでご確認ください。
監督はジョン・クラシンスキー。映画では心臓手術を控えたお父さん役を演じています。
監督の映画に込めたメッセージは、きっとIFの古株ルイス(ボロのテディベア)が劇中で語るこのセリフでしょう。
大人になった子供たちこそ
わたしたちが必要なんだ
日々の生活に追われて人生に少し疲れていたら、ぜひ劇場に足を伸ばしてみてください。疲れた心が心地よく涙で洗われること請け合いです(ブルーやブロッサムたちIFにケラケラ笑っているお子さんに「お父さん、なんで泣いてるの?」と聞かれて困るかもしれませんが……)
(しみずのぼる)
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