幸せな気持ちになれる極上の短編集:伊坂幸太郎「パズルと天気」

幸せな気持ちになれる極上の短編集:伊坂幸太郎「パズルと天気」

きょうは伊坂幸太郎氏の新刊「パズルと天気」(PHP研究所刊)を紹介します。5つの短編が収められていますが、読後幸せな気持ちになれる佳篇が詰まっています(2025.7.4) 

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伊坂氏の新刊短編集

伊坂氏の小説を取り上げるのは今度で4度目です。伊坂本は結構読んでいて「あれも紹介したい、これも紹介したい」と心がうずくのですが、いかんせん紹介しにくいのです。伏線の回収が秀逸の小説ばかりのため、下手に紹介して面白さを半減させてしまうのでは…と気おくれしてしまいます。 

「パズルと天気」も、とにかく伏線の貼り方が巧妙で、各ストーリーの最後の数ページで「ああ、そういうことかあ!」と膝を叩きたくなる小説ばかりです。よって、かなり中途半端な紹介にとどまってしまうのはあらかじめお許しください。 

「パズルと天気」に収められているのは5つの短編で、帯に書いてある紹介文をそのまま引き写します(なんと安易な!) 

パズル」 悩みを抱えた「僕」は、マッチングアプリでしか出会えない「名探偵」に依頼する。 
 
竹やぶバーニング」 出荷した竹にかぐや姫が混入!? 仙台七夕まつりで大捜索が始まった! 
 
透明ポーラーベア」 動物園で会ったのはシロクマ好きで行方不明になってしまった姉の、元恋人だった。 
 
イヌゲンソーゴ」 花咲か爺さん、ブレーメン……俺たちの記憶を刺激するあの男は誰だ? 
 
Weather」 友人・清水の結婚式に参加した大友は新婦からある相談を持ち掛けられていてーー。 

登場人物は全部ばらばら。しかも、書き下ろしの「パズル」を除いた4つは、過去にアンソロジーのために執筆した短編です。いちばん古い「透明ポーラーベア」は2005年のアンソロジー所収というのですから、20年も発表時期がばらけた短編です。 

だというのに、なんとも不思議なことに味わいがとても似通っているのです。読後「幸せ」な気持ちになれるのです。 

「幸せ」をテーマにした短編を

その中でも、ひときわ多幸感に包まれる読後感が印象的なのが、「パズルと天気」の掉尾を飾る「Weather」です。 

あとがきに執筆秘話が載っています。 

ある時、僕の住む仙台に担当編集者とライターTさんが来て、短編小説の依頼をしてきました。短編小説を書くのは得意ではないため(そもそもアイディアがないため)、断らざるをえないことが多く、この日もそのつもりではいたのですが、企画内容を聞くと、「著者名に『幸』という漢字が入っている作家に、『幸せ』をテーマにした短編を執筆してもらおうと思っています」と言うので意表を突かれました。「『幸』の字が名前に入っている作家って、そんなにいるんですか?」と訊ねると、「それが、いるんです!」と教えてくれます。面白いことを考えるものだな、とうっかり感心してしまい、「せっかく名前に『幸』がつくのに参加しないのももったいない気がするな」と思い、気づけば短編小説を書く約束をしていました。 

ほんとに面白いことを考えるものですね。でも、その企画力に感謝です。こんな幸せな気持ちになれる伊坂さんの小説が読めるんですから。 

女性にモテる友人の披露宴

「Weather」は、主人公の大友の目を通した結婚披露宴の情景が描かれています。 

新郎の清水玲は大学時代からの付き合いだが、とにかくモテる。女性の付き合いの豊富さをつぶさに見てきた大友は、紹介される女性の前でうかつなことを言えない。 

「そういえば、この間、清水とあのカフェに行ったんだってね」と口に出すと、清水が、「まずい」と言わんばかりに小刻みに頭を振る。同時に、清水の恋人の顔が強張るのが見える。「そうか、それは別の女性と行ったのか」と察し、慌てて、話題の映画の感想を聞くと、ますます清水の目つきが鋭くなる。恋人も不愉快を露わに鼻息を荒くする。「ああ、そうだ、この彼女は食通が高じて、レストランでウェイトレスの仕事をはじめたんだった」と思い出し、今度は、どこのお店で働いているのですか、と話題を変えるが、それがまたしても的外れで、空気が凍りつく。 

そんな場面を幾度も経験するうちに、当たり障りのない天気の話題ばかりするようになり、やたら天気にくわしくなった。 

そんな大友が清水から紹介された結婚相手は、大友の幼なじみで高校時代に一時付き合ったことのある明香里だった。どちらも小学生の頃に両親が離婚し、父親不在の家庭で育った者同士で親しくなった。 

新婦に「スパイ」役を命ぜられ

大友は清水から紹介された元恋人の明香里から、清水が何か自分に秘密にしているからと言われ、清水の「スパイ」役を命ぜられたーー。 

「玲君、結婚式の会場を検討しはじめた頃から、ちょっとそわそわしはじめたの。そわそわ、というより、こそこそ、かなあ。だから、レストランのスタッフとか、司会の人とか、そういう女の人と、仲良くなったのかとも想像したんだけど」 

「疑い過ぎだ」僕は笑った。が、ありえなくもない、と内心ではうなずいている。 

「だから、大友君は当日も、司会の人とかよく観察しておいて。疚しさが態度に出るかもしれないから」 

不穏な話題だらけの披露宴

披露宴が始まってからも不穏な話題だらけです。新婦の友人たちに大友は話しかけられます。 

「実は、三ケ月くらい前なんですけど、わたし、表参道のレストランに行ったんですね。すごく人気のお店で、半年前から予約していたんです。そうしたらちょうど、清水さんとすれ違ったんですよ。会計しているところで」 

これはまずいな。注意報が頭の中で鳴りはじめる。雲行きが怪しい。経験上、こういった会話を無自覚に続けていると落とし穴にはまっていることが多い。どれほど何気ない会話であっても、清水の場合は、重要な機密事項に繋がる可能性がある。 

「結婚式を挙げる会場を探して、明香里さんとお店巡りでもしていたのかな」隣の先輩が、心震わせる低音で訊ねる。 

それは駄目だ、と内心で僕は大きく批判する。理由はない。直感だ。この会話の先は危険なので、これ以上、進んではいけません! 標識を出したい。止まって止まって。 

「明香里さんとは一緒じゃなかったみたいなんですよね」白ストールの彼女の言い方はどこか、あっけらかんとしていた。 

ほら。どいつもこいつも、と僕は苛立ちを隠すのに必死だった。 

清水と明香里の不穏な披露宴は無事に終わることができるのか!? 

そもそも清水は何を秘密にしているのか。やはり女性絡みなのか? 

そのあたりはぜひ「パズルと天気」を手に取ってお確かめください。

でも、「著者名に『幸』という漢字が入っている作家に、『幸せ』をテーマにした短編を執筆してもらおう」という企画で書かれた短編ですからね~。不穏な話題の数々がすべて伏線だったとわかった時の驚きと言ったらもう……。多幸感に包まれること間違いなしです。 

マッチングアプリの名探偵

巻頭の書き下ろしの短編「パズル」も簡単に紹介しておきます。 

「で、何に関する謎を解いてほしいんですか」目の前に座る財音杏は、冷たい無表情のまま訊いてきた。 

こんな書き出しで始まる「パズル」の主人公は、職場で知り合った友人から「マッチングアプリ上に、悩み事を解決してくれる女性がいる」という話を教えてもらった(この友人、天気に詳しいとあるので「Wheather」の大友かも…) 

「解決できない不思議なことってあるじゃないですか」
「あまりないけれど」
「ネット上に噂があるんですよ。あるアプリのプロフィール欄に、『解けない謎があります』と書いておくと解決してくれる人とマッチするって」
「悩みじゃなくて、謎なんですか」
「秀磨さん、悩みを解決できるのはせいぜい、医者や弁護士ですよ。税理士とか、カウンセラーとか、ああ、結構いますね。ただ謎を解決できるのは、俗に言う『名探偵』じゃないですか」
「はあ」

そんな雲をつかむような話を頼ってマッチングアプリの名探偵ーー財音杏に主人公が相談したのは、マッチングアプリで知り合った朝田寧々のことだった。 

「なるほどね」「どうしてそれを」

徐々に親しくなったはずの朝田寧々がにわかによそよそしくなった。主人公の母親の様子もおかしい。自分の周囲で何が起きているのか……。そんな不可思議な謎に、財音杏は自信たっぷりに「なるほどね」と繰り返します。 

「それで?」とさらに言ってきた。「いつ、あなたのお母さんが登場してくるの?」 

またしても僕は言葉を失う。「どうしてそれを」 

財音杏はこうも聞いてきた。 

「私の勘だけど、朝田寧々と会えない時期、あなたのまわりに別の魅力的な女性が現れなかった?」 

そのとおりだった。驚く主人公を前に「惜しいことをしたね」「だって、朝田寧々とはもう、仲良くはできないし」と言って、 

財音杏は、僕の相談内容に、回答をはじめた。つまり謎を解いた。 

さて。紹介はここまでにしておきます。主人公も(つまり読者も)まったく五里霧中の謎の中におかれているのに、ひとり自信たっぷりな財音杏が口にした「回答」とは!? 

最後のページで主人公はこう述懐します。 

あの「真相」を聞いた時はそれこそパズルのピースがぴたっとはまり「これが真実だ!」と感じた。彼女も自分の導き出した答えに揺るぎない自信を持っているようだったから、 

「だったから、」の続きはネタバレになるので控えますが、こちらも伏線の貼り方が凄すぎます。ぜひ「天気とパズル」を手に取って、財音杏の名探偵(迷探偵)ぶりをお確かめください。 

カバー絵に詰まった幸せ」

5つの短編を読み終えたら、帯をはずして本のカバーをひろげてみてください。 

「パズルと天気」のカバー絵(装画はならのさん)

右側のウェディングドレス姿は明香里だな。左側の後ろ姿はマッチングアプリの恋愛を成就させた「パズル」の主人公だろうか… 

一枚のカバー絵にいっぱい詰まった「幸せ」に、気持ちがホッコリしてきます。お勧めです。 

(しみずのぼる) 

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