人食い婆の手作りの料理に号泣してしまう…手塚治虫「安達が原」

人食い婆の手作りの料理に号泣してしまう…手塚治虫「安達が原」

きょうは手塚治虫の名作「安達が原」を紹介します。謡曲にもなっている安達が原の鬼塚伝説をモチーフに、哀切極まりないSFに昇華させた作品です。手塚漫画の優れた短編群への手がかりにもしてほしい傑作です(2025.2.26) 

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能や歌舞伎にもなる鬼塚伝説

最初に鬼塚伝説について書きましょう。 

安達ヶ原(阿武隈川東岸の称。安達太良山東麓とも)に棲み、人を喰らっていたという「安達ヶ原の鬼婆」として伝えられている。
能の『黒塚』も、長唄・歌舞伎舞踊の『安達ヶ原』、歌舞伎・浄瑠璃の『奥州安達原』もこの黒塚の鬼婆伝説に基づく。

ウィキペディア「黒塚」より 

どんな伝説かというと、 

神亀丙寅の年(726年)の頃。紀州の僧・東光坊祐慶が安達ヶ原を旅している途中に日が暮れ、一軒の岩屋に宿を求めた。そこには一人の老婆が住んでいた。祐慶を親切そうに招き入れた老婆は、薪が足りなくなったのでこれから取りに行くと言い、奥の部屋を絶対に見てはいけないと言いつけて岩屋から出て行った。しかし、祐慶が好奇心から戸を開けて奥の部屋をのぞくと、そこには人骨が山のように積み上げられていた。驚愕した祐慶は、安達ヶ原で旅人を殺して血肉を貪り食うという鬼婆の噂を思い出し、あの老婆こそが件の鬼婆だと感付き、岩屋から逃げ出した。
しばらくして岩屋に戻って来た老婆は、祐慶の逃走に気付くと、恐ろしい鬼婆の姿となって猛烈な速さで追いかけて来た。鬼婆は祐慶のすぐ後ろまで迫り、絶体絶命の中で彼は旅の荷物の中から如意輪観世音菩薩の像を取り出して必死に経を唱えた。すると菩薩像が空へ舞い上がり、光明を放ちつつ破魔の白真弓に金剛の矢をつがえて射ち、鬼婆を仕留めた。

ウィキペディア「黒塚」より 

というものです。能や長唄、歌舞伎などの題材にもなった鬼婆伝説ですが、これを見事なSF作品にしたのが手塚治虫の「安達が原」です。

なお、夢枕獏氏が編纂した鬼にまつわるアンソロジー「鬼譚」(ちくま文庫)にも収められ、夢枕氏は「手塚治虫の作品の中でも、特にぼくの好きな話である」と書いています。 

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殺し屋のユーケイと老婆

「安達が原」はアニメ化され、冒頭3分はユーチューブで観ることができます。最初にそちらをごらんください。 

手塚プロダクション公式チャンネル – 安達が原

宇宙ロケットが着陸したのは辺境の荒れ果てた惑星だった。 

いよいよきみの出番だな ユーケイ
相手は うわさに高い魔女だ
脳みそを吸い取られて
骨までしゃぶられるなよ

管制官に激励されて惑星に降り立ったのは四等調査官ユーケイ。「宇宙でもあいつの右に出る殺し屋はいないだろうな」と恐れられる男だ。 

手料理をふるまう老婆

いくつものロケットの残骸を横目に、ユーケイは「魔女の館」に向かった。出迎えたのは杖を持ち腰の曲がった老婆だった。「ようこそ お若い方」 

計器が故障しての不時着で部品のスペアがあれば分けてほしいと嘘を言って老婆に近づくユーケイ。「今夜じゅうにだして進ぜよう。ゆっくりお休みになるとええ」と奥に案内する老婆。ユーケイがヘルメットを脱ぐと、ユーケイの顔をみて息をのむ老婆……。 

老婆はユーケイに手料理をふるまった。 

さあ 何もないが
ロケットのたべものよりは
手料理のほうが味もよかろう

ユーケイは料理に解毒用の薬をふりかけた。 

用心深いことだの
わしの手料理に毒なんかいれんわえ

いや…つい…ほかの星で
食いものをみつけたときのくせが出た

ユーケイは老婆に「どうしてこんなへんぴな星にひとりぼっちでくらしてるんだ」と訊ねると、老婆は「待っておるんじゃよ」と答え、自分の部屋に戻ると机に突っ伏して、ひとり号泣したーー。 

身の上を聞かせてくだされ

ユーケイは案内された部屋が毒ガス室なのを突き止め、館の中を探索。そして無数の人骨が散らばる地下室を見つけた。 

なぜーー見た!?
わしはあなたに何もしていない!
あなたに夕食をつくり
あたたかい床まで用意した!
それなのにーー
それなのになぜ……
わしをうたぐって
夜中に家のなかを調べるのじゃ!?
なぜ…あけてはならぬ
この地下室へはいった?

ユーケイは叫んだ。 

だまれ魔女!
おれは地球からダモクレス大統領の直命で
きさまを殺しに来た四等調査官のユーケイだっ
きさまが宇宙船をおびきよせては
その乗組員を殺しているという情報を受けて
その証拠をおさえにわざと泊まったんだ

逃げ出す老婆、追うユーケイ。もう逃げられないところまで追いつめられた老婆は、ユーケイにすがった。 

…待ってくだされ
殺すなら 殺されよう
ただ ひとつだけおねがいが…
死ぬまえに…
ユーケイとかいうお方
あなたの身の上を
聞かせてくだされ
ばばの死にみやげに…

ユーケイは自身がジェスと呼ばれていた若かった頃のことを語りだしたーー。 

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以下ネタバレを含みます

(以下ネタバレを含みます。結末を知らずに「安達が原」を読みたい方は、以下の文章は読まないでください) 

反政府運動に明け暮れる中、恋人アンニーと過ごす毎日が唯一の心の安息だったこと。アンニーの手料理が大好きで、「きみの料理はさめててもおいしいんだ」と言って口に運んだ幸せな日々……。しかし、政府に逮捕されたジェスはロケットで流刑地送りとなり、政権転覆で英雄として地球に呼び戻されるものの、人口冬眠中に60年の歳月がたっていたーー。 

ここまで明かせば、老婆がジェスとの再会を心の支えに辺境の惑星で人肉を口にしながら生き永らえたアンニーであることはわかるでしょう(ネタバレもはなはだしいですね。すみません) 

なぜ…なぜ
きみがアンニーだときがつかなかったんだろう!!
さっき きみの手料理を喰ったのに!!

なんて悲しいストーリーなんでしょう。台所に残っていたアンニーの手料理を泣きながら口に運ぶユーケイのコマに続いて、謡曲「黒塚」の引用でものがたりは閉じます。 

あさましや はずかしの わがすがた
やと いう声は なお ものすさまじく
いう声は なお すさまじき夜嵐の
音にたちまぎれ うせにけり
音にたちまぎれ うせにけり

名作揃いライオンブックス」

「安達が原」は、手塚治虫氏の短編集「ライオンブックス」第1巻に収められています。 

第1巻には「荒野の七ひき」という名作や、個人的に好きな「あかずの教室」が入っています。 

汎地球防衛警察同盟の決死隊員、潮と味島は、二百人の宇宙人を倒した後、車両の爆発のため、砂漠を徒歩で帰還する羽目となる。五人の宇宙人を捕虜に連れて。その長く苦しい行程で、宇宙人たちは意外な能力と「心」を示す(「荒野の七ひき」)

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幼い頃から兄浩一に劣等感を抱くヒトシは、不思議な力を秘めていた。兄弟が中学生となったのち、ガールフレンドみゆきをめぐる確執から、ヒトシは感情と能力を爆発させる。そして教室は三人だけの地獄の密室と化した(「あかずの教室」)

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第3巻は「マンションOBA」というユーモラスな作品が入っています(「花の精」がカワイイです)

新開地住宅建設のためムサシ野を追われたオバケたちが、人間の姿でマンションに住み着いた。目的は人間たちへの復讐。その手段として人間の少年タカシを不良、悪人に育て上げようとしたことから、騒動が持ち上がる(「マンションOBA」) 

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第5巻には、名作のほまれ高い「百物語」が入っています。 

戦国時代、切腹寸前の身を悪魔の娘スダマに魂を売ることで救われた武士一塁半里は、その契約により美男子不破臼人に変身。みちのくの地で富と権力を手中に収めるが…。ゲーテの古典『ファウスト』の二度目のマンガ化(「百物語」)

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「安達が原」を手がかりに「ライオンブックス」(電子書籍版は全7巻)にも手を伸ばして頂けたらと思います。 

ライオンブックス第1巻
ライオンブックス第3巻
ライオンブックス第5巻

最後に「鬼譚」の解説で手塚治虫について触れた夢枕獏氏の文章で拙文を閉じたいと思います。 

まったく、どうして、手塚治虫のような才能がこの世に生じたのかわからない。
現在の日本の、コミック誌の数、漫画本の数、アニメの量、それは世界でも世界史でも希な現象である。四五〇万部ーーせこい新聞よりも、よほど部数が出ている『少年ジャンプ』。
こういう現象を造ったその元にあるのが、手塚治虫である。
何故、イギリスやアメリカやフランスに、日本のようなこのコミック氾濫現象が生じなかったのか、ぼくには長い間不思議だった。
何故か。
ある人が、ぼくに教えてくれた。
「それはね、手塚治虫が、イギリスやアメリカ、フランスに生まれず、日本に生まれてしまったからだよ」

(しみずのぼる)

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