「陰陽師」に繋がる鬼にまつわる傑作アンソロジー:夢枕獏「鬼譚」

「陰陽師」に繋がる鬼にまつわる傑作アンソロジー:夢枕獏「鬼譚」

きょうは夢枕獏氏が鬼に関する文章を集めた「鬼譚(きたん)」を紹介します。鬼にまつわる小説や漫画、古典、評論が揃うだけでなく、夢枕獏氏の代表作「陰陽師」シリーズがいかにできたかが窺える名アンソロジーです(2025.2.24) 

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ちくま文庫から2014年再刊

「鬼譚」の単行本は1991年に天山出版というところから出版されました。長らく絶版でしたが、2014年にちくま文庫から再刊されています。わたしの手元にあるのは91年出版の単行本ですので、そちらで紹介します。 

「鬼譚」(ちくま文庫)

「鬼譚」は次の構成となっています。 

  • 桜の森の満開の下  坂口安吾 
  • 赤いろうそくと人魚  小川未明 
  • 安達が原  手塚治虫 
  • 夜叉御前  山岸凉子 
  • 吉備津の釜  上田秋成 
  • 僧の死にて後、舌残りて山に在りて法花を謡する語、第三十一  今昔物語集 
  • 鬼、油瓶の形と現じて人を殺す語、第十九  今昔物語集 
  • 近江国安義橋なる鬼、人を嗤う語、第十三  今昔物語集 
  • 日蔵上人吉野山にて鬼にあふ事  宇治拾遺物語 
  • 鬼の誕生  馬場あき子 
  • 魔境・京都  小松和彦・内藤正敏 
  • 桧垣ー闇法師  夢枕獏 
  • 死にかた  筒井康隆 
  • 夕顔  倉橋由美子 
  • 鬼の歌よみ  田辺聖子 
  • 解説ー鬼たちの宴  夢枕獏 

小説が2篇続いた後、漫画が2篇続いて、そこから古典が並び、評論(鬼の誕生)、対談(魔境・京都)まで幅広く網羅しています。解説で夢枕獏氏はこう書いています。 

遙かな以前から、ぼくは、鬼をテーマにした、かような本をアンソロジストとして編纂してみたいとの欲望を抱いていたのである。
(略)
本書の中には、ぼくの好きな鬼の話ばかりが収められている。

「陰陽師」の創作につながる

夢枕獏氏の代表作「陰陽師」シリーズについて、以前に書いた記事で文藝春秋の特設サイトから引用した部分を再掲します。 

死霊、生霊、鬼などが人々の身近で跋扈した平安時代。陰陽師安倍晴明は従四位下ながら天皇の信任は厚い。親友の源博雅と組み、幻術を駆使して挑むこの世ならぬ難事件の数々。 

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この「陰陽師」シリーズの記念すべき第1作「玄象といふ琵琶鬼のために盗らるること」が雑誌に掲載されたのは1986年のことです(雑誌掲載時の題名は「陰陽師」) 

単行本としてまとめた「陰陽師」が1988年に文藝春秋から出版され、同書が文庫化された1991年に出版されたのが「鬼譚」です。 

なぜ「陰陽師」発表の年にこだわるかと言うと、「鬼譚」は、夢枕氏の「陰陽師」シリーズの創作に深くかかわっているからです。 

『鬼が造った国・ニッポン』

魔境・京都」に関する解説で夢枕獏氏は次のように書いています。 

小松和彦、内藤正敏の対談集『鬼が造った国・ニッポン』から、この章を、本書のためにいただいたものである。
これは、ぼくらのような仕事をしている人間にとっては、舌なめずりしてしまうような、生ツバごっくんもののネタ本である。
ぼくは今、奈良時代から平安時代にかけての、とてつもなく長い物語を書こうと、ひそかにくわだてているのである。
それを書く時の、実にいい刺激を、この本は与えてくれるのである。
本当は、この本を、ここに紹介するのはたいへんにためらわれたのだ。こんなにいいネタ本があることを、わざわざ自分から天下に広めてしまっては、同様のことをやろうと考えている(必ずいるんだよなあ)同業者が、たちまちおいしいところを持ち去っていってしまうのではないかと思ったからである。
しかし、これを入れないでおけば、このアンソロジーが不完全なものになってしまう。
それほど、この本は、ひとつの鬼のありかたをみごとに捕えているのである。
ええい、もうかまわない。
どんどん読みなさい。同業者でも、節操のないマンガ家も、この本をネタにして、どんどん好きなことを書きなさい。
そのかわり、あなたは、この夢枕の獏ちゃんが、渾身の力を込めて何年後かに書き出すことになる、とてつもない奈良、平安時代の鬼の物語と張り合うことになるのだぜ。
その覚悟がある方は、さあ、どこからでもかかってきなさい。

著者本人が「生つばごっくんもののネタ本」と言っているのですから、「陰陽師」シリーズに大いにインスピレーションを与えたのは間違いないでしょう。 

「陰陽師」の第2作目「陰陽師 飛天ノ巻」が出版されたのが「鬼譚」から4年後の1995年。以来、すでに30冊近い本が書かれています。

まさに「とてつもなく長い物語」となった「陰陽師」シリーズの起点となった鬼に関するアンソロジー、それが「鬼譚」だと言えるでしょう。 

田辺聖子「鬼の歌よみ」

夢枕獏氏が選んだ作品ですから傑作揃いですが、ひとつだけ選んで紹介します(というより、1回で書ききれないので複数回紹介します) 

きょう紹介するのは田辺聖子氏の「鬼の歌よみ」ーー田辺氏の「鬼の女房」(角川文庫)所収の一篇です。 

王朝の夜は、一寸先も見えない漆黒の闇だった。その闇の中を、鬼は、御所の内に、橋のたもとに、北山に、時に天空を翔り、彼岸・此岸をも自在に往来し、わが物顔に徘徊した――。若く美しい人間の女房をもてあました、中年のユーモラスな鬼、当代随一の歌よみに挑んだ芸術鬼など、さまざまな鬼の姿を軽妙洒脱な語り口で描く、鬼ものがたり六話。

田辺聖子「鬼の女房」(角川書店、のち文庫化)

書き出しは「今昔物語」や「古今著聞集」など古典文献に出てくる鬼の話から始まり、この鬼は好きだ、この鬼はきらいだ…といった寸評がしばらく続いて、芸術と鬼の話になっていきます。 

当時の人は、芸術は鬼神をも感動させる、とかたく信じていた。
それゆえ、鬼のあるものは、しばしば、人と芸術の交歓をおこなう。

『古今著聞集』の巻十七、「変化」のくだり、昔、玄象という琵琶の名器があった。これが紛失した。
人々はおどろいて、密教の秘法を、二七日修した。
効験あらたかに、朱雀門の上から、琵琶の首に縄をつけておろしたものがある。何もののしわざともしれぬ。修法の力で、おろしたものと人々は噂し、鬼のしわざと信じた。

「玄象といふ琵琶鬼のために盗らるること」

田辺氏の「鬼の歌よみ」ではさらりと書いてあるだけですが、この琵琶を盗んだ鬼が夢枕獏氏「陰陽師」シリーズの記念すべき第1作「玄象といふ琵琶鬼のために盗らるること」となります。 

夢枕獏「陰陽師」(文春文庫)

すこし脱線して夢枕獏氏の「玄象といふ琵琶鬼のために盗らるること」(「陰陽師」所収)から引用しましょう。 

嫋。
と、琵琶が鳴る。
嫋。
嫋。
哀しくも美しい音色である。
痛ましいほどであった。
「さても、世には隠れたる秘曲があるものよーー」
博雅は思った。

「羅城門の上のあれは、人ではないな」
博雅が言った。
「人でなければ何だ?」
「わからぬ。鬼であろうよ。いずれにしろ、人でなければ晴明の仕事だ」
「そういうことか」
「玄象をとりもどす、それもあるが、どうにもまたあの琵琶を聴きたくてな」
「つきあおう」
「おう」
「そのかわり、ひとついいかーー」
「何だ?」
「酒を持ってゆく」
「酒を?」
「おれも、酒を飲みながら、その琵琶を聴いてみたくなった」

紀長谷雄と勝負する鬼

田辺氏の「鬼の歌よみ」に戻ります。 

琵琶を盗んだ鬼の後、詩文を創作する鬼の話となり、紀長谷雄(きのはせお)という当時の詩文の大家に挑んだ鬼の話になっていきます。 

長谷雄は、詩想のみを大切にする。古来の秀句名文をよむのを愛する。それだけである。
相手に負けまいと思う心が萌したとき、芸術の神はもはや、長谷雄にほほんでくれないのだ。
それを長谷雄は知っている。
知っているということは、彼が、いかに同時代の詩人仲間に競争心を燃やし、嫉妬し、自分が劣っているのではないかというコンプレックスに苦しめられたか、ということではないか。

そんな長谷雄が朱雀門を見あげると、朗々と詩歌を誦する声が聞こえた。 

耳をすませて聞けば、
「三五夜中、新月の色
  二千里の外、故人の心」
と、いい気持でうたいあげているのだ。
それにしても……あんなに丈のたかい男がいるものであろうか。

(変化の者だな……)
逃げようとしても、足がすくんで動かない。
「あんなに背の高い者は鬼のほかにあろうとも思えぬ)
しかし、鬼は、詩の朗読に夢中である。
さらに、声をはりあげて、
「燭を背けては共に憐れむ深夜の月
  花を踏んでは同じく惜しむ少年の春……」
とその詩句に、心を蕩ろかし肝も消える思いになるばかり、陶酔しているようだった。
長谷雄から恐怖が消えた。
詩を吟じて、それに惑溺する者をみれば、鬼であろうと人間であろうと、長谷雄は共感をおぼえないではいられない。

すると鬼がうめきだした。続く詩句が思い浮かばず苦吟していた。 

長谷雄は思わず、下から叫んだ。
「林 容輝を変ずれば 宿雪 紅なり」
「きまった、ぴったりだ!」
楼上の鬼は手を拍っておどり上り、ついでにぎょっとしたように下を見た。
「誰だ。そういうお前は、紀長谷雄だな」
「そうだ。お前は誰だ」
「鬼だ」
鬼はおどり上り、髪をかきむしってわめいた。
「うぬ、なんでまた、口を出す! このくそばかめ、なんで、おれが言おうと思ってる通りのことをすらすらというのだ。許せん。けしからん、あまりにも、ぴったりした詩句をもって来たな」

じだんだを踏んで悔しがる鬼は長谷雄に詩句で勝負を挑み、勝負事がきらいな長谷雄も、さすがに相手が鬼ですから、いやいや鬼と勝負することになる……というお話です。 

この鬼はいまも生きている

紀長谷雄と鬼の勝負の行方は「鬼の歌よみ」を読んでいただきたいのですが、田辺聖子氏はこの小篇をこんな文章で結んでいます。 

私は、この鬼は、いまもなお生きていると思う。「芸術の鬼」という手合いは、全く、処置にこまる執念に、こりかたまっているのだから。 

夢枕獏氏が選んだ鬼にまつわる文章ーー。ぜひ「鬼譚」を手に取ってお楽しみください(他の収録作も別の機会に紹介します) 

(しみずのぼる) 

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