きょうは篠田節子さんの「聖域」を紹介します。強いてジャンル分けすればサスペンス小説でしょうが、せつなさ溢れるホラー小説の趣もあって、事故死した女性への主人公の想いが本書をただのサスペンスとは思えなくさせています(2024.6.13)
〈PR〉
資格不要で稼ぐなら「クラウドワークス」ジャンル分け不能の初期作品
最初にあらすじを紹介しましょう。
関わった者たちを破滅へ導くという未完の原稿「聖域」。1人の文芸編集者が偶然見つけるが、得体の知れぬ魅力を秘めた世界へ引きずりこまれる。この小説を完成させようと、失踪した女流作家・水名川泉(みながわせん)の行方を捜し求めるその男は、「聖域」の舞台である東北へ辿りつく。
「聖域」(1994年)は篠田さんの初期作品のひとつで、このあと「ゴサインタン」(1996年)で山本周五郎賞を受賞。1997年には「女たちのジハード」で直木賞を受賞しています。
恥ずかしながら「女たちのジハード」は読んでません。「ゴサインタン」に衝撃を受け、「神鳥(イビス)」(1993年)や「夏の災厄」(1995年)などとともに手に取ったのが「聖域」でした。
コロナ禍でふたたび脚光を浴びた「夏の災厄」は明らかにサスペンス小説でしょうが、「神鳥」はホラー小説として読みました。「ゴサインタン」と「聖域」はジャンル分け不能で、ただひたすら「物語世界に惹き込まれる小説」と形容するしかありません。
昭川市…。どこにでもあるような町にミクロの災いは舞い降りた。熱にうなされ痙攣を起こしながら倒れていく人々。後手にまわる行政の対応。撲滅された筈の日本脳炎がニュータウンを死の町に変える…戦慄のパニック・ミステリ(「夏の災厄」角川文庫)
夭逝した明治の日本画家・河野珠枝の「朱鷺飛来図」。死の直前に描かれたこの幻想画の、妖しい魅力に魅せられた女性イラストレーターとバイオレンス作家の男女コンビ。画に隠された謎を探りだそうと珠枝の足跡を追って佐渡から奥多摩へ。そして、ふたりが山中で遭遇したのは時空を超えた異形の恐怖世界だった。(「神鳥(イビス)」集英社文庫)
豪農の息子・結木輝和は外国人花嫁斡旋業者の仲介でネパール人のカルバナ・タミと結婚し、言葉の通じない妻を淑子と呼んだ。従順だった淑子が神がかり始めると、信者と名乗る人々が結木家に集まってきた。惜しみなく与える淑子によって全財産を失った輝和は……。生き神様となった妻に翻弄された輝和が、辿り着いた再生の境地とは!?現代人の根源を抉る社会派大作。(「ゴサインタン 神の座」(集英社文庫)
篠田さんの初期作品を並べてみると、「聖域」は、「神鳥」と「ゴサインタン」を合わせたような作品だったんだな…と思えます。
棄民の山で魑魅魍魎と対峙
さっそく「聖域」の紹介に入りましょう。
ビジュアル誌から文芸誌の編集部に異動してきた実藤(さねとう)は、退職した篠原の荷物を整理していて大部の原稿用紙を見つけた。原稿用紙にして600枚近く。作者の名は水名川泉、小説のタイトルは「聖域」だった。
水名川泉作の「聖域」の舞台は、蝦夷制服の完成期にあたる東北。主人公の慈明は比叡山から派遣された仏僧で、地方の者を仏法に帰依させることが目的だった。
しかし、飢饉と反乱から所期の目的は挫折。自らの非力を悟り、慈明は「魔に打ち勝つ、人智を超えた力を身に帯びる他はない」と思い定め、行人や修験者たちから「そこに籠もり修行すれば大変な霊力を授かる」と伝え聞いた北の果ての山、雪花里山(つがりやま)を目指した。
慈明は山のふもとの蝦夷の集落に辿り着いたが、山に登ることは阻止された。掘っ立て小屋を建てて暮らすことは許されたが、村長(むらおさ)から「あれは魂の登る山だ。この世の者が足を踏み入れてはならない」と言われ、何度も試みては村の男たちに引き倒された。
しかし、村長が猪に襲われ、村人が右往左往している機会をとらえて、慈明は禁忌の山に足を踏み入れた。
ここからは水名川泉作の「聖域」の文章をそのまま引用しましょう。
無数の物が、むしょうに近しく魂の深部に語りかけるものが、堂のそこここにうごめいていた。その馨(かぐわ)しさ、しどけなさ、明媚さ、卑猥さ、雄渾さ……それは有り余るエネルギーと若い肉体を閉じ込めた慈明自身の作り出した幻であろうかとも思われた。それほどに絢爛として毒々しい、季節外れの春情と見まがうばかりのものであった。
正気を奪うもの、狂気を与えるもの、そして燃えさかる火玉にその身を変えるもの、色も形も無く、そのくせ不可解な妖怪じみた瘴気を吐き出す何物かが、間口二間、奥行三間の小さな堂の隅々までも埋め尽くしてゆく。
なにもない、と慈明は自らの心に言い聞かせる。仏の智恵をもってすれば、すべては自らの迷妄から作り出したもの。執着し、差別(しゃべつ)する心が見せる幻。
(略)
見我身社発菩提心、聞我名者断悪修善、聴我説明者得大智恵、知我心者即身成仏……。一心不乱に唱えたそのとき、風のような陽のような何かの気配が脇を擦り抜け、視界のすみを横切って消えた。もやだつような緋を帯びた陰りであった。慈明は、息を呑んだ。悲しくも優しい思いが胸を乱した。別れて久しい母の記憶が、香とともに息遣いともつかぬ、ほのかな気配に、鮮やかによみがえってきたのである。
(略)
それは幼くして別れたきり、記憶の底に美しく住まう女人のはかない姿ではなく、ありとあらゆる煩悩を身にまとい、苦海を泳ぎ渡っていく、逞しくも愚かで、汚れに満ちた母親の姿であった。それがどこから現れたものか、慈明は見当もつかぬまま、いっそう声高に経を唱える
いかがですか。水名川泉作の「聖域」の物語世界に惹き込まれませんか。
篠田さんの「聖域」がすごいのは、冒頭かなり長く続く水名川泉作の「聖域」の圧倒的な物語世界にあると言って間違いありません。
「焼き捨てろ」「忘れろ」
ところが、先に引用した部分で、その物語が途切れていたのです。物語世界が圧倒的だったからこそ、実藤の困惑に読者はそのまま惹き込まれていきます。
間違いない。原稿は、全部読んだ。しかしここで終わっている。あとは、どこへ行ったのだろう。
翌日、どうしても「聖域」の続きを知りたいと思った実藤は、原稿の持ち主だった篠原の自宅を訪ねた。しかし、篠原は原稿の束を見るなり顔を強張らせ、実藤に言った。
「俺のようになりたくなかったら」
「焼き捨てろ。それができなきゃ、忘れろ」
篠原に拒ばまれてもなお、実藤は水名川泉を探し出して続きを書かせたいと思って独自に調べを重ねるが、その過程で、水名川泉と接点のある人間は、篠原を含めて全員が精神的に壊れて破滅していることを知るーー。
あらすじをまとめれば上述のようになります。
実藤の調査を通じて、東北の地で棄民の行為がいまもあることや、新興宗教団体への潜入などを読者は”追体験”することとなり、そして最後に、死者や祖霊の言葉を人々に伝える役割を持った巫女の世界にいざなわれます。その意味で一種のロード・ノベルとも言えます。
事故死した千鶴への想い
水名川泉の探索行が物語の縦軸なら、主人公の実藤が豊田千鶴への思慕の念を強めていく過程が横軸であり、物語の終盤で両者が交錯していきます。
豊田千鶴は、実藤がビジュアル誌の編集部で一緒に仕事をしたライターで、実藤の住まいに一度だけ遊びに来たことがあった。しかし、篠原宅を訪問した直後、千鶴がチベット取材で行方不明になったと知らされた。
チベットから戻ったら、また来る。確かにそう言った。
今、実藤はその言葉に一縷の望みを託していた。ぎらつく蛍光灯の下で、床に両膝をついたまま、どうか無事に戻ってもう一度ここに現れてくれ、と祈っていた。
だが、実藤の願いむなしく豊田千鶴は遺体で発見された。 千鶴の死後、実藤の家に手紙が届いた。差出人は千鶴だった。「帰ったら真っ先に電話します。また行っていいですか。あの部屋、気に入りました。たぶん実藤さんがいるからだと思うけど」と書かれていた。
なぜ、水名川泉と関わった人間は皆、破滅するのか。なぜ篠原は「焼き捨てろ」「忘れろ」と言ったのか。
千鶴への思慕の念を強くする実藤は、ようやくの思いで水名川泉を見つけたものの、篠原らが何を見て身を滅ぼしたのか、自らの身に同じ”体験”が押し寄せることで知ることになる……。
うーん、ネタバレしないでぎりぎりまで許されるのはこのあたりまででしょうか。
せつないホラーの要素
ひさしぶりに再読して文章にまとめてみると、実は、水名川泉作の「聖域」が、実藤や篠原らが”体験”する中身を暗示していることがわかります。
慈明は、息を呑んだ。悲しくも優しい思いが胸を乱した。別れて久しい母の記憶が、香とともに息遣いともつかぬ、ほのかな気配に、鮮やかによみがえってきたのである。
わたしがはじめて読んだ時、篠田さんの「聖域」を「せつないホラー」と思ったのも、このあたりに理由があります。
文中こんなくだりが出てきます。
恋をしたことのない者に、本当の恋物語は書けない。人の本当の哀しみを知らぬ者に、胸を打つ作品は書けない。姿無きものへの本当の恐怖を知らぬ者に、ホラー小説は書けない。虚構でありながら、小説は書き手の真の心の有り様を映し出してしまう。
篠田さんはどんな実体験をお持ちで「聖域」を書かれたのでしょうか。恋物語であり、人の哀しみに溢れ、狂おしいまでにせつないホラーの要素を持つ「聖域」を読んで、そのように感じた次第です。篠田さんのその後の作品も読んでみたいと思いました。
(しみずのぼる)
〈PR〉
登録は簡単、3ステップのみ!無料会員登録はこちら