NHK朝の連続ドラマ小説「あんぱん」は観てますか。アンパンマンの作者やなせたかし氏の妻・小松暢(のぶ)を主人公にした朝ドラですが、先の展開が知りたくて梯久美子氏の新著「やなせたかしの生涯」を読んでしまいました(2025.4.26)
【追記】末尾にドラマと実際の設定の違いについて加筆しました(2025.4.27)
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子供向けと思えない深淵な歌詞
子どもたちに大人気のアニメ「それいけ!アンパンマン」は、歌詞に着目すると「え?」と思う部分があります。オープニングの「アンパンマンのマーチ」なら、
生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも
なんのために 生まれて
なにをして 生きるのか
こたえられないんて
そんなのは いやだ!
エンディングに流れる「アンパンマンたいそう」なら、
くじけそうになったら
いいことだけ いいことだけ おもいだせ
というように、子供向けのアニメとはとても思えない、深淵な歌詞です。
やなせさんが詩を書き、のちに歌となった「手のひらを太陽に」にも、
ぼくらは みんな生きている
生きているから かなしいんだ
というフレーズが出てきます。
夫婦で荒波を乗り越える
先月末から始まったNHKの朝ドラ「あんぱん」のあらすじは、

国民的キャラクター「アンパンマン」を生み出したやなせたかしと小松暢の夫婦をモデルに、何者でもなかった2人があらゆる荒波を乗り越え、“逆転しない正義”を体現した「アンパンマン」にたどりつくまでを描く、生きる喜びが全身から湧いてくるような愛と勇気の物語
というもので、2人を襲う「荒波」が描かれていきます。

しかも、放送が始まってすぐ、やなせたかしさんがモデルの柳井嵩が幼少期に父が死に母に捨てられるところから描かれるので、

どういう境遇からこんな深淵な歌詞が生まれたんだろう…
と思い、ドラマを楽しみつつも、やなせたかしさんのことを知りたくなり、ノンフィクション作家の梯久美子氏が書かれた書き下ろしの評伝「やなせたかしの生涯」(文春文庫)を手に取ってしまった、というわけです。

自分の顔を食べさせる前代未聞のヒーロー、アンパンマンには作者の祈りと哲学が込められていた。家族との死別、胸がつぶれるほどのさびしさに耐えた幼少期、戦争の傷、下積みの苦しさと無名であることの悲しみーー。それでも生きることを肯定し、光にむかって歩き続けたやなせたかしの生涯を、評伝の名手が綴る感動作

ドラマのセリフとなる詩
「手に取った」でなく「手に取ってしまった」と書くのは、ドラマでこれから描かれる、やなせさんに降りかかる不幸を先に知ってしまって「しまった!」と後悔したことと、基本的なプロットでドラマと実際に大きな違いがあることを知ったためでした。

うーん、素直にドラマを楽しんでから手に取ればよかったか…
と思ったので、もし、ドラマを存分に楽しんでいる方なら、梯さんの評伝を読むのは後回しにしたほうがよいかもしれません。
でも、梯さんの評伝を読んではじめて「このシーンはこれがもとになっているのか!」という新鮮な驚きも味わえます。
例えば、放送回はきのう(4月25日)だった第4週「なにをして生きるのか」 (20)で、北村匠海さん演じる嵩が失踪し、今田美桜さん演じる暢や竹野内豊さん演じる嵩の叔父、柳井寛たちが懸命に探して、まだ夜も明けない真っ暗な中、鉄道の線路に頭を乗せて寝そべる嵩を見つける場面が出てきます。
夜が明けるころ、柳井寛が嵩に語りかけます。
泣いても笑おうても
また日はのぼる嵩、絶望の隣はにゃあ
希望じゃ
このセリフのもととなったやなせさんの詩が、梯さんの評伝に出てきます。
(東日本大)震災のあと、広く読まれた嵩の詩がある。若いころに書いた「絶望のとなり」だ。
絶望のとなりに
だれかが
そっと腰かけた
絶望は
となりのひとに聞いた
「あなたはいったい
誰ですか」
となりのひとは
ほほえんだ
「私の名前は
希望です」そして最晩年、嵩はこんな詩を書いている。
夜は明けたというのに
心の闇はまだ深い
けれども
ちいさな光が見える
光のほうへ
ぼくは歩く
ほんのちいさな
光だけれど
それは
希望の星だから「一寸先は光」というのが嵩のモットーだった。
大人からは酷評される
先ほど「基本的なプロットでドラマと実際に大きな違いがある」と書いた部分は、ドラマを楽しんでいる人をがっかりさせたくないので紹介は控えますが、「アンパンマン」誕生秘話だけは梯さんの評伝から抜き出してみましょう。
やなせさんが子供向けの絵本「あんぱんまん」を出版したのは1973年のことでした。

この絵本は、世の大人たちに評判が悪かった。
ここに描かれているアンパンマンはのちにアニメで広く知られるようになる姿とはすこしちがって、手足が長く、指も五本あって、マントはぼろぼろ。かっこよくもかわいくもない。敵を倒してはなばなしい活躍をするわけではなく、かといって『やさしいライオン』のような涙を誘う場面もない。絵本としては色彩も地味である。
こうした要素は、大人たちが期待する幼児向け絵本からかけ離れていた。
決定的だったのは、顔を食べさせるという衝撃的なキャラクター設定である。残酷、グロテスク、荒唐無稽ーーそんな声が、幼稚園の関係者や児童書の業界からあいついだ。
一冊だけ手垢にまみれた絵本
これほど大人から酷評を浴びた「アンパンマン」を支えたのは、実は子供たちでした。
日本テレビのプロデューサー武井英彦氏は、社内の企画会議で「顔を食べさせるなんて気持ち悪い」「テレビアニメとしてはインパクトがなくて地味」と言われて何度も却下され、それでもアニメ化をあきらめないため、やなせさんが「きみはどうしてそんなに熱心なの?」と訊ねると、武井氏はこう答えたそうです。
「息子の通っている幼稚園で、手垢まみれのアンパンマンの絵本を見たんです」
五歳の息子の幼稚園の参観日、武井は教室の後ろの本棚にあった、表紙の傷んだ絵本に目をとめる。ページの角はすれて丸くなっていた。タイトルは『あんぱんまん』。
不思議だったのは、たくさんある絵本の中でこれだけがボロボロで、手垢がいっぱいついていたことだった。
先生に、なぜこんなに汚れているのかと聞くと、子どもたちがとにかくこの本が大好きで、何度も読むからだという答えが返ってきた。
アニメの第1回が放送されたのは1988年。やなせさんが69歳のときでした。
やなせさんと奥さんの暢の物語はこれからどんなふうに展開していくのでしょうか。
梯さんの評伝を読んでしまったため、これからやなせさんに降りかかる苦難と不幸と悲しみの重さを知ってしまい、わたし自身はすこし後悔していますが、それでも、今田さんや北村さんが熱演するやなせさんご夫婦の歩みを、ドラマの展開とともに楽しみにしたいと思います。
ドラマと実際に大きな違い
【追記】「基本的なプロットでドラマと実際に大きな違いがある」と書いた部分。朝ドラの脚本を担当した中園ミホさん自身がインタビューで明かしていました。ですので、追記のかたちで言及します。
ドラマでは、やなせさんと暢は幼少期に知り合い、やなせさんの初恋の相手として暢は描かれていますが、実際は戦後、高知新聞社勤務の際に同僚として知り合ったのが最初だったそうです(これには驚きました~)
中園さんのインタビュー記事は下記をごらんください。


(しみずのぼる)
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