わたしは電子書籍(kindle、楽天kobo)を愛用しているのですが、これだけは電子書籍で決して買ってはいけない!という本があります。著作権の関係なので、どこまで紹介できるか迷いますが、ぎりぎり許されるのでは?という範囲で紹介します。星新一「進化した猿たち」です(2024.8.15)
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電子書籍を愛用する理由
電子書籍を愛用している…なんて書くと、叱られそうな気もします(知り合いに「自分は絶対に紙の本しか読みません」と言われたことがあります)
でも、限りあるスペース(本棚のことです)に収まらなくなった本はブックオフで処分するしかなく、そうするとスペースを気にしなくてすむkindleや楽天koboはやっぱり便利です。
最初は漫画を処分(+電子書籍で買い直し)していましたが、そのうちに単行本の処分(+電子書籍で買い直し)が始まりました。
スペースの問題だけではありません。
老眼がすすむと、活字を大きくできることや、消灯しても読むのが苦にならない…といったメリットもあるのです。最近は、文庫と電子書籍と両方あるなら、電子書籍で買うようになっています。
世界でいちばん透きとおった物語
これだけは電子書籍で買ってはいけない…なんて書くと、杉井光氏の「世界でいちばん透きとおった物語」(新潮文庫nex)を連想した人もいるでしょう。
わたしも出版社の人に「これだけは電子書籍だと面白さがまったく伝わらなくなる」と言われて勧められたことがあります(確かにそうでした)

“電子書籍化絶対不可能”&“ネタバレ厳禁”、30万部突破。
絶対に予測不能な衝撃のラスト――あなたの見る世界は『透きとおる』。

憑き物が落ちたように…
でも、きょうは違うのです。星新一の「進化した猿たち」です。
単行本で出たのが1968年、続刊が出たのが1971年で、両方を合わせてハヤカワ文庫JAシリーズで全3冊の文庫になったのが1975年。わたしが最初に読んだのは、ハヤカワ文庫版でした(悲しいかな、すでに散逸して手元に残っていません)
星新一をはじめて読んだのはいつだったかーー。きっと小学6年生か中学1年生か、そこらあたりでしょう。「ボッコちゃん」か「ようこそ地球さん」か、そのどちらかでしょう(新潮文庫で出版されたのは前者が1971年、後者が1972年)
星新一のショートショートは誰もが小学校高学年か中学生の頃に思い切りハマり、でも、しばらくすると”卒業”して違う小説を手に取るようになる……という方が多いのではないでしょうか。
星新一のすぐれたノンフィクションを書いた最相葉月さんも、
(私は)中学生だった七〇年代に熱中した数多の読者のうちのひとりにすぎない。
最相葉月「星新一 一〇〇一話をつくった人」(新潮社)より
(略)
ところが不思議なことに、図書館にあったシリーズを全部読み終えてしまうと、ぱたりと関心を失った。あれほど熱中したのに、まるで憑き物が落ちたように読まなくなり、星新一から離れていった。
と書いています。とてもよく解ります。
「進化した猿たち」は、わたしが”星新一熱”に憑かれた一時期に手に取った本ですが、これは抜群におもしろかった。星さんの文章ではなく、そこに掲載されたアメリカの一コマ漫画が、です(星先生、すみません…)
そのため「進化した猿たち」だけは大人になってからも読み直したくなり、でも本棚を漁っても見つけられず、中古本で買い直しました。わたしの手元にいまあるのも、中古で買い直した新潮文庫版です。
今回ひさびさに読み直そうと思って、「目にもやさしい電子書籍で買おうかな」と思ってチェックしたところ、ありましたありました。

星新一史上最強のブラック・ユーモア! 不倫、囚人、決闘……。
ヒトコマ漫画×エッセイの競演。幻の名作、待望のリニューアル復刊!

ところが、これには大きな落とし穴があったのです。買っていないので自分自身では未確認ですが、Amazonのレビューをそのまま紹介すると、
漫画がない(☆1つ)
なぜでしょう。残念です。オリジナルにはあったのに。
一コマ漫画を見ながら、読む文のはずなのに盲点だった!(☆3つ)
挿し絵(ヒトコマ漫画)を目当てにしていましたが、レギュラー版とは違い、殆んど掲載がありませんでした。ふざけるな!(☆1つ)
アメリカ1コマ漫画の解説なのに肝心の漫画が掲載されていない。
うーん、これは……。「進化した猿たち」のおもしろさが半減どころか、ほとんどなくなってしまうではありませんか!
立ちはだかる版権の問題
一コマ漫画の掲載が見送られた理由は版権の問題でしょう。新潮文庫版のあとがきにも、版権で苦労したエピソードが出てきます。
やがて、新潮社より文庫に収録という話があった。早川書房の了解は得られたが、やっかいな問題が発生した。それまでは単行本以来、アメリカのトランスワールド・フィーチャー・シンジケート社が漫画の版権の件を受け持ってくれた。その社が、ヒトコマ漫画は手間がかかりすぎると、その部門をやめてしまったのである。やむなく、新潮社は別なルートで、あらためて版権をとりなおした。だいぶ苦労したらしい。
新潮文庫版「進化した猿たち1」あとがきより
デジタルコピーが容易な電子書籍となればなおさらです。「進化した猿たち」を一コマ漫画をつけて電子書籍化するのは絶望的でしょう。
では、読者はどうしたらよいか。これはもう、古本を探して読む! それしかないです。
ということで、「進化した猿たち」の紹介です(前置きがすごーく長くなりました。お許しください)
死刑を楽しく
1巻の巻頭を飾るのは「死刑を楽しく」です。

死刑を楽しくとは、なんたることだ。こうお思いになった人が多いにちがいない。じつは私もそう思う。したがって、これについて論ずるのはもっとあとにしようかとも考えたのだが、ものごとの最初となると、なにかこう人目をひく趣向が必要だ。恋愛にしろ戦争にしろ、平凡きわまる出だしでずるずる進行する形は面白くない。それくらいなら、やらないほうがいいというものだ。そこで、かくのごとくなった次第。ご理解を願いたい。
このページの左側には3つの一コマ漫画が載っています。
銃殺刑で壁に立つ囚人が足をバタバタさせている絵柄で、キャプションが「死刑ずれしたやつだ。」
電気椅子に座らされた死刑囚に向かって、看守が機械を渡している絵柄は、「停電なんだ。手動発電機をまわしてくれ。」
斧で首を落とす執行人。首に足をかまれて激痛に飛び上がっている絵柄(キャプションはありません)
という具合です(でも、字だけ読まされるのでは、面白さがほとんど伝わりませんね……)
もちろん、星さんの文章も面白いです。たとえば「死刑を楽しく」には、星さんがショートショートを書くコツを明かしたくだりもあります。
そもそも、アイデア捻出の原則は一つしかない。異質なものどうしを結びつけよ、である。
具体的な思考法まで記しています。
時代の最先端はなんだろう。宇宙船だ。時代おくれのものはなんだろう。キツネツキがある。では、キツネツキの男をロケットに乗り込ませよう……。といった方式で私はSFの発想を得ているわけだが(以下略)
「死刑を楽しく」に掲載された一コマ漫画はどれも笑えるのですが、わたしが一番気に入っているのは、
銃殺刑で壁の前に立たされた目かくし姿の死刑囚がすたこら逃げている絵柄で、キャプションは「止れ、さもないと撃つぞ。」
無数の孤島
もうひとつ紹介しましょう。2巻の「無数の孤島」です。

星さんが「孤島漫画を集めている」という話は、作家や編集者のあいだで、かなり有名だったそうです。先に紹介した最相葉月さんのノンフィクションにも、 星新一のショートショートに数多くの挿絵を描いた和田誠氏が星さんに初めて会った時に、和田誠氏が描いた孤島漫画を持参した、というくだりが出てきます。
(和田誠の孤島漫画は)新一の遺品から見つかっている。新一は、孤島漫画は単純な舞台に人間生活のあらゆるドラマが表現されているアメリカの俳句のようなもので、ショートショートの参考になる、といって蒐集しており、和田のオリジナル作品を含むそのコレクションは優に一千枚を超えていた。
最相葉月「星新一 一〇〇一話をつくった人」(新潮社)より
そんな星新一のコレクションを開陳したのが「無数の孤島」なのです。
「無数の孤島」は、サルを研究する学者のあいだで「ヒトリザル」の研究があり、その研究は集団から離れた猿は「みずから進んで仲間から離脱したのか、仲間から追い出されてそうなったのか、その原因を生態学的に心理学的に解明しようというのである」と紹介したうえで、
どんな結論が得られるのか不明だが、私が心配でならないのは、こんな場合だ。ヒトリザルのほうを調べたら、「面白くないから、おれのほうから出たんだ」との答えが得られ、集団のほうに聞いたら、「いやなやつだから追い払ったのだ」と答える。こんなぐあいに判明したら、がっかりである。人間は少しも進歩していないことになってしまう。
「人間は少しも進歩していない」とは強烈ですね。ブラック・ユーモアに満ちた本書だけに、こんなくだりを読むと、星新一のアフォリズム(警句)集のような気もしてきます。
笑いと想像力…だけじゃない
「進化した猿たち」という変わったタイトルは「笑いと想像力」にちなんでいます。
いうまでもないことだが、私たち人間と他の生物との差異は、私たちが笑いと想像力を持つことにある。
新潮文庫版「進化した猿たち3」あとがきより

でも、もうひとつ「収集」という要素もあるのです。
これは2巻の「無数の孤島」で、サルの話の延長で出てきます。愛知県犬山のモンキー・センターのそばにある「猿二郎コレクション館」のくだりです。
豊沢猿二郎というサルどしの人が六十年にわたって収集した、サルに関するもの一万点が陳列してある、上品なつくりの建物だ。
(略)
収集精神の権化である。氏は話好きの人で、いろいろと苦心談を聞くことができた。ある日、公衆便所に入る、さてと思って下を見ると、サルの絵のマッチのペーパーが落ちている。胸をときめかせ、手のひらにのせて水をかけ、ささげ持って帰宅したという。これを笑う人があれば、それこそサル並みである。サルと人間とのあいだにある一線は、コレクションをするかしないかの点ではないだろうか。サルには貯蔵本能がなく、それについては犬にも劣るそうである。
星新一が苦心惨憺して収集した一コマ漫画を載せないなんて、 星新一先生から
それこそサル並みである
人間は少しも進歩していない
と言われそうな気がしませんか。
(しみずのぼる)
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