きょうはフランシス・ハーディングのファンタジー小説「影を呑んだ少女」を紹介します。死者の霊を取り込む能力を持つ少女が、その能力で旧家の繁栄を築いた一族に囚われ、逃走しながら”仲間”を得ていく冒険物語です(2024.9.13)
〈PR〉
【公式】特典付多数!アニメ・ラノベグッズならカドカワストア全作がオールタイム・ベスト級
イギリスの児童文学作家フランシス・ハーディングについては、2015年に出版されて児童文学の賞を総なめにした「嘘の木」で取り上げました。
「影を呑んだ少女」(原題:A Skinful Of Shadows)は「嘘の木」に続く作品で、2017年に出版され、これもカーネギー賞最終候補に選ばれた小説です。邦訳が出た時に宮部みゆきさんが新聞の書評で取り上げました。わたしはそれがきっかけで手に取り、「嘘の木」「カッコーの歌」と立て続けに読みました(いずれも創元推理文庫)
文庫版解説で文芸評論家の杉江松恋さんが、ハーディングの作品は「新作を読むたびに、これが最高傑作ではないか、と私は感じるのである。(略)全作がオールタイム・ベスト級なんて作家、他にはそういないだろう」と書いていますが、私も同じ感想を抱きます。どの小説もとてもおもしろいです。
幽霊を憑依される体質のメイクピースは、母とふたりで暮らしていたが、母が亡くなり残された彼女のもとに父親の一族が迎えに来る。父は死者の霊を取り込む能力をもつ旧家の出だったのだ。父の一族の屋敷で暮らし始めたものの、屋敷の人々の不気味さに我慢できなくなり、メイクピースは逃げだす決心をする。『嘘の木』の著者が17世紀英国を舞台に逞しく生きる少女を描く傑作。
あらすじで、主人公メイクピースの父方が「死者の霊を取り込める能力をもつ旧家」というところまで明かされています。この旧家の能力に関連する「秘密」が明かされるのが、本書のちょうど真ん中あたりです(第3部「モード」)
そこから、いよいよメイクピースの旧家からの逃走が成就するか…という展開となるのですが、この前半部分だけでも抜群におもしろいのです。ですので、あらすじで明かされていることもあるので、前半部分を中心に紹介したいと思います。
悪夢に悩まされる少女
メイクピースが悪夢にうなされて三度目に目を覚ましたとき、母は怒った。
「二度とそういう夢は見るなといったでしょ!」きつくいってから、家の人たちを起こさないように声を落とす。「もし見ても、叫ばないの!」
「影を呑んだ少女」の第1部「子クマをなめる」はこんな書き出しで始まります。
メイクピースは霊を感じ取る能力があり、それが悪夢に悩まされる理由だった。翌日、母親はメイクピースを古い墓地に連れていき、狭い部屋に閉じ込めた。
「よく聞いて。死んだ人は溺れてるみたいなものなの。暗闇のなかで腕を振りまわして、なんでもいいからつかもうとする。あんたを傷つけるつもりはないけれど、油断したら、傷つけられてしまう。あんたは今夜ここで眠るの。あの人たちは頭のなかに入りこもうとする。でも、なにがあっても、入れてはだめ」
しかし、母親の荒療治は、メイクピースに反発心を呼び起こすきっかけとなった。「母さんがすることにはすべて理由がある。ずっとそう思ってきたけれど、はじめて母を許せないと思ったし、その後はもとどおりにはならなかった」
時は17世紀半ば。イギリスではピューリタン革命が始まり、王党派と議会派が激しく衝突。暴徒の混乱のさなか、ふたたび墓地に連れて行こうとする母親にメイクピースは反抗した。
「父さんだったら、あたしを墓地にひとりにしたりしない」
母が「あの人に助けを求めるなんて、もってのほかよ」と言い、こう口をすべらした。
「あんたにわかるもんですか。母さんがどんなことからあんたを救ったか」
「もしあたしがグライズヘイズにとどまっていたらーー」
メイクピースは聞き逃さなかった。「父さんはそこにいるの?」母親は自らの失態に真っ青になった。「あたしはグライズヘイズを見つけるんだ。父さんを見つけるんだ」
しかし、暴徒の混乱のなか、メイクピースは母親と離れ離れになり、母親は暴動に巻き込まれて死亡した。
死に際の不可思議な態度
母親と死に別れる場面を紹介しましょう。最初の「謎」の部分です。
人ごみを押しわけるようにして前に出ると、壁の下の地面に女の人がひとり倒れていて、やみくもに突進する群衆に踏みつけられていた。
「母さん!」
メイクピースが手を貸すと、母はよろよろと立ちあがった。顔は真っ青で、暗がりでも顔面の左側から黒っぽい血が流れているのがわかる。動きかたもおかしくて、片方のまぶたは閉じたままで、右腕は妙な具合にひきつっている。
「家に帰ろう」メイクピースはからからの口でささやいた。「ごめんなさい、母さん。ごめんね……」
母は一瞬ぼんやりとメイクピースを見つめた。まるで知らない人でも見るように、それから母ははっとして顔をしかめた。
「だめ!」かすれた声で叫ぶと、メイクピースに殴りかかり、顔を平手打ちにして押しのけた。「近寄らないで! あっちにお行き! あっちに!」
メイクピースはバランスを崩してころんだ。最後にちらりと見えた母は、まだ険しい必死の形相だったが、だれかに顔をけられた拍子に目から涙が流れでた。
なぜ、母親はメイクピースを遠ざけたのか。必死に守ろうとしてきたメイクピースのことを、死ぬ間際でなぜ……。
あたしが母さんを殺した。メイクピースは思った。あたしが逃げたせいで、母さんは危険なところまで追ってきた。あたしのせいだ、だから母さんは最後まであたしを憎んでいたんだ。
子クマの霊が入り込む
母の死の1週間後、湿地に幽霊が出るという噂が広まった。母の霊と思ったメイクピースは湿地に出かけた。メイクピースはアシに覆われた水路に、ひとつの死体をみつけた。
毛皮のコートを着た男の人?
ちがう。
形がはっきり見えてきた。
ようやく、それがなにで、なにでないかがわかってきて、メイクピースは一瞬ほっとした。
それから大きな悲しみの波に襲われた。恐怖や反感よりも強く、悪臭よりも強烈な悲しみだ。メイクピースは滑り落ちるようにして、そのかたわらにしゃがみこむと、ハンカチーフで口を覆った。それから、濡れたこげ茶色の体をうんとやさしくなでてやった。
子クマの死骸だった。メイクピースには怒り狂うクマの影がみえた。
メイクピースは、クマのにおいと血液中にたぎる怒りに茫然となりながら、棒立ちになった。とっさに両腕をつきだし、怒りくるう影にまわす。その瞬間に望んでいたのは、漏れでていくものをとめ、クマが溶けて消えていってしまうのを食いとめることだった。
メイクピースは両腕でぎゅっと闇を抱きしめ、そのなかに落ちていった。
こうしてメイクピースの頭のなかに、死んだ子クマの霊が入り込むことになったのです。本の表紙で少女と一緒にクマが描かれているのはそのためです。
フェルモット家の能力と秘密
メイクピースはグライズヘイズから迎えが来て、自らの出自をはじめて知ります。
父はサー・ピーター・フェルモットで、フェルモット家に仕えていた母マーガレットと恋に落ちたが、マーガレットはメイクピースを身ごもったまま出奔。その後、ピーターは乗馬中の事故で死亡。当主はピーターの父親のサー・オバディア、嫡男はピーターの兄サー・トーマス……。
しかし、メイクピースはフェルモット家に連れてこられるなり、当主のオバディアに「おまえの夢のなかにやってくる生き物たちだが、なんだかわかっているか?」と訊かれた。
オバディアは「できそこないの死者だ」「しょせん害虫だからな。ネズミのように退治してやるまでだ」と説明したあと、メイクピースの頭を強い力で抑えた。「たしかめておかないとな。こっちに来い! 見せてもらおう」
年老いた目を半分閉じて、すきまからにらみつけるようにメイクピースを眺めまわした。
なにかが起きている。なにかが探るように測るように、魂のひりひりしたところに触れてくる。(略)「は!」オバディアの吐きだした息が笑い声のように響いた。「おまえはやつらを撃退したんだな。おい、めそめそ泣くんじゃない! いまのところはおまえを信じてやる。ただし、よく覚えておけーーその死んだ害虫どものひとつでも脳内に巣をつくったら、おまえは危険にさらされる。われわれの助けなしに、やつらをこそげ落とすことはできないのだからな」
死者の霊を脳内に取り込む能力、霊をこなごなに切り裂く能力……。しかし、フェルモント家の能力とそれに伴う「秘密」はそれだけではなかった。
死んだ父の兄トーマスから、母が出奔した経緯を教えてもらう場面があります。
「彼女は身ごもっていた」サー・トーマスは話をつづけた。「そして、うちの一家が彼女のこどもをここグライズヘイズで育てたがる理由を知りたがっていた。邪(よこしま)なことがありそうだと思いながらも、それがなにかわからずにいたのだ。
『教えてください。だれも教えてくれないでしょうから』そういわれてわたしは、誓いを破ることだと知りながら、話したのだ。すると彼女は、逃げるのを手伝ってほしいと頼んできた」
「手伝ったんですか?」メイクピースは驚いて声をあげた。
「人というのはときどき、雷に打たれたように愚かなことをするものなのだ。彼女は弟の恋人だった。わたしは結婚していて、愛人ももてないようなつまらない男だった。だが、そのときひらめいたんだ。この女のためなら、なんでもしてやれる。たとえそれで、二度と彼女に会えなくなるとしても、と。
そうだ。わたしはきみの母親に手を貸した。そしてこの十六年間、はたしてあれが正しい決断だったのだろうかと悩みつづけてきた」
メイクピースはゆっくりと顔をあげ、サー・トーマスの目をまっすぐに見つめた。
「お願いです。どうしてあたしがここに連れてこられたのか、教えてください。どうして怖いのかも。だれも教えてくれないでしょうから」
サー・トーマスは何呼吸かするあいだ、黙りこくって、かすかにまたたく星を見つめていた。
「うちは変わった一家なんだよ、メイクピース」ようやく口を開いた。「われわれには秘密がある……知られたら、一族が大打撃を受けるような秘密だ。うちの家族は代々、ある能力、ある種の才能が受け継がれている。家族のだれもがもっているわけではないが、各世代に何人かはかならず現れる。わたしにもあるし、シモンドもそうだ。ジェイムズも、そしてきみもだ」
「あたしたち、悪い夢を見るんです」メイクピースはささやいた。「幽霊が見えるんです」
「ひきつけられてくるんだよ。霊にはわかるんだ……われわれのなかに場所があることが。われわれは、自分以外の存在をとどめておくことができるんだよ」
(略)
「想像してごらん」サー・トーマスがいった。「一族のだれの経験も技術も記憶も永遠に失われることがなければ、その一族がどれだけ偉大になれるか。重要人物がひとり残らず生きつづけられるとしたら。何世紀にもわたる知恵が蓄積されれば、どれだけの恩恵がーー」
ここで会話が途切れてしまいますが、メイクピースはその直後、サー・トーマスが打ち明けようとした一家の「秘密」を目撃し、さらにそれが自分自身の身にも降りかかってきます。
一家には存在を知られていない子クマの霊が、メイクピースが死地を脱するうえで重要な役割を果たすのですが、一家の「秘密」とともに、それ以降の展開は本書でお確かめください。
母親が突き飛ばした真相
最後に、母親がなぜ死ぬ間際にメイクピースを突き飛ばしたのか。その「謎」だけは明かしておきましょう。
メイクピースは、母が自分を憎むあまり、助けられるのにすら耐えられなかったのではないかと恐れていた。
けれども、ようやくわかったのだ。
「ああ、母さん。母さんは怖かったんだね。あたしのことを心配してくれていたんだ。
あたしを憎んでたんじゃない。命が終わるとわかって、自分の幽霊があたしにとりつくのを恐れてた。あたしを守ろうとしたんだよね。いつだってそうだった。いつだってあたしを守ろうとしてくれた」
いまになって、自分を育ててくれた激しくて秘密めいた母のことがわかりはじめたような気がする。(略)
「母さんはあたしをだいじに思ってくれていた」メイクピースはやっとの思いで声に出していった。
夜が長い長い息をついたような気がした。そのあとには、風に吹かれたアシの声はしなくなり、湿地はただ暗く寒いだけで、悪意や痛みのたぎる場所ではなくなっていた。
母を誤解し、母を殺したと後悔し、どこまでも孤独だった少女が、母の真実を探り当てる場面は、とても心温まります。
同時に、メイクピースが決して孤独ではなかったと知ったことは、頭に住み着いた子クマの霊たちにも助けられながら、フェルモット家からの逃避行と生きるための戦いを力強くやり遂げる後半の展開の原動力となっていきます。
文庫版解説の杉江松恋さんもこう書いています。
ひとりぼっちのメイクピースなのだが、彼女のまわりには世界の網目から零れ落ちて、周囲の者からはないがしろにされる者が集まってくる。(略)ええっ、この人とも手を組むの、という驚きを味わっていただきたい。メイクピースが逆襲するやり方は非常にトリッキーなものなので、ミステリー読者にはそうした部分も楽しんでもらえるはずだ。
児童文学であり、ファンタジーであり、冒険物語であり、ミステリーでもある。とても贅沢な小説ーーそれが「影を呑んだ少女」なのです。
(しみずのぼる)
〈PR〉
最新コミックも600円分無料で読める<U-NEXT>