きょう紹介するのはヌーヴェル・ヴァーグの最高傑作「気狂いピエロ」(原題:Pierrot Le Fou、1965年)です。原作があることを最近知り、読んでから観直してみましたが、原作は下敷きに過ぎず、ジャン=リュック・ゴダール監督のアンナ・カリーナへの愛と裏切りと絶望を描いた映画なのだ…と再確認しました(2024.4.4)
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ヌーヴェル・ヴァーグの最高傑作
「気狂いピエロ」は、わたしは幸いなことに映画館で観たのです。大学生だった1983年のことと記憶しますが、それは20数年ぶりのリバイバル上映でした。
これも記憶があやふやなのですが、いつも二本立てでヌーヴェル・ヴァーグの監督作品で構成されていたと思います。
わたしは「気狂いピエロ」観たさで、ゴダール監督の「勝手にしやがれ」(1960年)や「彼女について私が知っている二、三の事柄」(1966年)とのカップリングの上映回を合計3度観ました。

パリからフランスを縦断して南仏に向かう、フェルディナンとマリアンヌ。マリアンヌは彼をピエロと呼び、彼は「違う、フェルディナンだ」と答える。パリを去るのは日常の悪夢から脱出するため。だが、南仏に何があるのだろうか?
冒険活劇漫画『ピエ・ニクレ』を携え、愛と永遠を求めてさすらう2人。だが、青春は常にアナーキーで、暴力的で、犯罪に彩られていた。2人のささやきはランボーの詩。「見つかった」「何が?」「永遠が」…。
『勝手にしやがれ』で、映画と青春の新しい波「ヌーヴェル・ヴァーグ」の誕生を告げた鬼才ジャン=リュック・ゴダールが、長編劇映画10作目にして頂点を示した作品だ。全編シナリオなし、即興演出で撮影し、「それは冒険映画だった」「それは愛の物語だった」と言われるような作品となった。(アルジオン北村)

ヒロインは別れた妻アンナ・カリーナ
フェルディナン演じるのは「勝手にしやがれ」でゴダールとともに鮮烈なデビューとなったジャン=ポール・ベルモンド、マリアンヌ演じるのはゴダールの別れた妻アンア・カリーナです。
フェルディナンとマリアンヌは手を携えてパリを逃れたものの、南仏ニースに逃れて海辺の家で隠遁生活を続けるうちに、ふたりに隙間風が吹きはじめる。本を読み日記を書くフェルディナンに対し、マリアンヌは
私は何ができるの
何をすればいいの
と不満をぶつけ、「彼には理解できない。生きることが」とつぶやき、ついに平穏な隠遁生活に終止符を打つ。
その時のマリアンヌのセリフが
戻るのよ、犯罪小説の世界へ
であり、マリアンヌの歌うシャンソンのタイトルが「私の運命線」ーー。
私の運命線は短いの
ほら、こんなに短い私の運命線
マリアンヌは、ギャングのもとへフェルディナンを置き去りにして、「兄」と合流して金を奪って逃亡。裏切られたフェルディナンは、「兄」とマリアンヌを殺し、自らの顔を青のペンキで塗りたくり、黄色と赤のダイナマイトを巻き付けて自爆するーー。
自爆した煙と地中海の水平線に、マリアンヌとフェルディナンのささやく声が重なる。
また見つかった!
何が?
永遠が
太陽と共に去った
海が
原作があるとは知らなかった!
ところが、そんな好きな映画にもかかわらず、「気狂いピエロ」に原作があるなんて、まったく知りませんでした。2022年に本邦初訳ということで新潮文庫から出版されたライオネル・ホワイト「気狂いピエロ」です。

ニューヨーク郊外に暮らす38歳のシナリオライター、コンラッド。妻との仲は冷え切り、職も失い、鬱々とした生活を送っていた。ある夜、ベビーシッターの若い娘アリーを自宅へ送ったところ酔った勢いで一夜を共にしてしまい、目覚めると、隣室には見知らぬ男の死体が。どうやら男はアリーの元愛人らしい。かくして、暴力と裏切りと欲望にみちた二人の逃亡劇が幕を開けることに――。運命の女に翻弄され転落していく男の妄執を描いた犯罪ノワールの傑作。ゴダール映画永遠の名作の原作とされる幻の小説がついに本邦初紹介となる。(解説・山田宏一、吉野仁)

原題は「Obsession」で日本語にすれば「妄執」ですが、訳者の矢口誠氏がこう説明しています。
本書の原題Obsessionは、直訳すれば「妄執」もしくは「強迫観念」となる。しかし、本書の主人公がそもそも「発狂した(Madden)」という名を持つ男であること、フランスでは「気狂いピエロ」が犯罪者を指す普通名詞にも使われていること、さらには一般的には認知度が非常に高い点などを踏まえ、邦題は映画に合わせて『気狂いピエロ』とさせていただいた。

この邦題でなければきっと買わなかったから訳者の判断は正しい…
重なるのはプロットだけ
しかし、上記に映画のあらすじと原作のあらすじを並べて紹介しましたが、重なるのはプロットだけです。
冷え切った夫婦関係からベビーシッターの若い娘に惹かれ(原作は一目惚れ、映画は元恋人との偶然の再会)、しかし翌朝、見知らぬ男の死体があって、逃避行を余儀なくされるーーという部分と、その娘の「兄」の登場で破滅的な結末を迎えるーーという部分が共通しているだけ、と言っても過言ではありません。
文庫の解説を読むと、ヌーヴェル・ヴァーグの盟友フランソワ・トリュフォーから借りた犯罪小説であるとか、かなり以前から構想を練っていたとか出てきます。マリアンヌの「戻るのよ、犯罪小説の世界へ」というセリフも、原作の暗喩だとは思います。
それでも、映画を観直してもやはり、「気狂いピエロ」は、ゴダールのアンナ・カリーナへの愛、アンナの裏切り、そして絶望を描いた映画という印象を強くしただけでした。
振られ男の「妄執」が傑作を生んだ
ゴダールのアンナ・カリーナへの「妄執」については、藤本義一氏の「振られ男の子守唄」という短編小説(?)がよく表しています。
ゴダールがアンナ・カリーナにメロメロで、でもアンナはさっさと浮気してゴダールと離婚。そんなゴダールをなぐさめる「東洋美術研究家を自称するフィリップ」(実在の人ではないと思います。もしかして藤本義一さん?)とのやりとりが出てきます。
「おれは正真正銘に振られた男なんだ」
「ま、そう悲観するなよ、ジャン。君はだな、こういうことがあれば、必ず、なにか発見する男なんだ」
「発見ねえ……」しみじみというと、小さく口笛を吹いてから「どうも女ってやつはわからない。……こいつが発見といえばいえるな」といったのだった。
「いや、いや……。おれは、いつかまたアンナ・カリーナを主演にして映画を創ろう。そのストーリーは、こうなんだな。いいか、フィリップ、よく聞けよ。愛(アムール)という言葉がない架空の世界の主演女優にカリーナを起用するんだ」
「うーん、そいつは面白いものが出来そうだな」
フィリップは、ゴダールが冗談をいっているのだと思っていたが、彼は本気なのだった。
藤本氏の小説(?)のとおり、ゴダールの「妄執」が「気狂いピエロ」というヌーヴェル・ヴァーグの金字塔を生み出した…という思いがしてなりません。
なお、藤本氏の「振られ男の子守唄」は(すでに絶版・品切れですが)「映画ロマンの旗手たち(下)ヨーロッパ篇」(角川文庫、1978年刊)に入っています。 興味があれば古本を探してみてください。
テーマ曲と「私の運命線」
「気狂いピエロ」のサントラ盤についても触れておきます。

私が手元に持っているのは「気狂いピエロ」や「軽蔑」などのコンピレーションCDです(「軽蔑」の曲も好きなのでお気に入りです)が、アップル・ミュージックやスポティファイでも聴くことができます。
アントワーヌ・デュアメルのテーマ曲と、アンナ・カリーナが唄う「私の運命線」をつけておきます。
そして、最後の最後に「気狂いピエロ」予告編です。映画史に残る名作の雰囲気を味わってください。
(しみずのぼる)
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