SF史上屈指の青春恋愛小説「ハローサマー、グッドバイ」

SF史上屈指の青春恋愛小説「ハローサマー、グッドバイ」

きょう紹介するのはイギリスのSF作家マイクル・コーニイ「ハローサマー、グッドバイ」(原題:Hello Summer,Goodbye)。ちょっと芸がないと思いましたが、そのとおりと思うので、背表紙の表現をそのまま使います。「少年の忘れえぬひと夏を描いた、SF史上屈指の青春恋愛小説」です(2023.10.6)

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復刊を熱望されたSF

本書は、1980年にサンリオSF文庫で出版されながら、87年に文庫そのものが休刊。長らく復刊してほしい本として語り継がれ、2008年に河出文庫から完全新訳版が刊行されました。わたしが手にしているのも河出文庫版です。 

背表紙からあらすじを紹介します。 

夏休暇をすごすため、政府高官の息子ドローヴは港町パラークシを訪れ、宿屋の少女ブラウンアイズと念願の再会をはたす。粘流(グルーム)が到来し、戦争の影がしだいに町を覆いゆくなか、愛を深める少年と少女。だが、壮大な機密計画がふたりを分かつ…… 

このあと前書きで紹介した「少年の忘れえぬ…」と続くのですが、わたしは青春小説もSFも好きなので、以前にスティーヴン・グールド「ワイルドサイド」について書いたとおり、ジュブナイルも好きです。「ハローサマー、グッドバイ」もジュブナイルに入れてよいと思いますが、本書は冒頭で作者が次のように書いています。 

これは恋愛小説であり、戦争小説であり、SF小説であり、さらにもっとほかの多くのものである。 

このあと、作中の異星人は人間型(ヒューマノイド)で「人間と同じような感情や弱さに動かされている」こと、文明の時期が地球の19世紀後半と似た段階であること、ただし惑星が異なるので相違点があること…などを記したのち、 

こうした仮定をおこなったのはすべて、この物語が語るに値するものであり、ほかにはどんな風にして語っても(略)わたしが、そう望むとおりのかたちのままではなくなってしまうからだ。 

と書いています。なるほど、こうやって読者に19世紀後半の少年少女を連想させながら物語世界に没入できるようにしてくれたんだな、と思い至ります。 

階級意識と反発と

というのも、読みだしたらすぐにふつうの少年少女たちの姿が思い浮かぶような記述ばかりなのです。 

例えば、以下は夏休暇でパラークシに向かう直前、食卓での父母とドローヴの会話風景から。 

「今年の夏もあの小さな女の子の姿を目にすることがあるんでしょうかね。ええと、なんていう子でしたかしら。バート?」 

父の返事は上の空だった。「缶詰工場長のコンチの娘か? ゴールデンリップスとかそんな名前だ。いい子だよ。あれはいい子だ」 

「いえ、違う子のことですよ。バート。小さな女の子、ドローヴととても仲のよかった子。お父さんが宿屋の主人なのが残念だけれど」 

「宿屋? だったら記憶にないな」 

ぼくはてきとうなことをつぶやくと、母がそもそも意図していた方向へ話を持っていく前に、すばやく食卓を離れた。母はぼくにその女の子の名前をたずねて、答えるときの顔をじっくり観察するつもりだったのだ。ぼくは階段を駆け上って自分の部屋に入った。 

その女の子は小さくなんかないーーぼくよりほんの少し背が低いだけで、同い年で、名前はーーぼくは絶対に一生忘れたりはしないーーパラークシ-ブラウンアイズだ。 

政府高官の夫やその妻に透けてみえる階級意識や、息子にはふさわしい交友関係が必要と考えている気配、そして、おとなの思惑にひそかに反発する少年……。わたしたちの日常にもありがちな光景です。 

舞台が違う惑星で、異星人の親子の会話とは思えないし、思わないですむように、作者が「人間と同じような感情や弱さに動かされている」と前もって断り書きしたんだな、とわかります。 

母親の画策…再会

母親はパラークシに着くなり、息子にふさわしい交友関係を持たせようと、地方の役人の息子ウルフを引き合わせる。鼻持ちならないウルフだったが、ウルフの遊び友達のなかにブラウンアイズがいて、ふたりは思いがけず再会を果たす。

ブラウンアイズは、さっきウルフがすわっていた椅子に腰を下ろすと、ぼくをまっすぐ見つめて、かすかなえくぼと、かろうじて笑顔とわかる表情を浮かべた。ぼくも微笑みかえしたが、そのうち子どものにらめっこになってきて、目をそらすほかなくなってしまった。膝の上で組まれたままじっとしているブラウンアイズの両手を、ぼくは見つめた。小さくて形がよくて白いそのすてきな手の片方を、今日の午後の早い時期にほんの少しだけ握っていたのを、思いだしながら。もういちどそれを握る勇気があればいいのにと自分でも思うけれど、ブラウンアイズは手を伸ばしても届かないところにすわっている。ひと息に距離を詰めて彼女の手を握りしめるなんて、ぼくにはとてもできない。 

気になる相手に近づきたい、でもその勇気が出ない。少年少女なら誰しも一度は経験するであろう、そんな甘酸っぱい気持ちにさせられます。 

それでも、ドローヴは、母親がひきあわせたウルフを通じて、ブラウンアイズ、漁師の娘リボンとその弟スクウィントと一緒に行動するようになり、パラークシの夏の毎日を過ごすようになる……。 

寒さへの恐怖の感情

もっとも、ドローヴとブラウンアイズの恋愛ストーリーだけなら、作者があえてSFという舞台設定を選ぶ必要はありません。 

この惑星は寒暖の差が激しく、人々は寒さに対する恐怖の感情に支配されています。文中、何度も「凍らせろ」(freeze)という表現が、いわゆるdirty word(汚い言葉)として出てくるほど、寒さが忌避感情と結びついています。 

異なる惑星ゆえに地球では存在しない生物も登場します。水の中に棲息して瞬時に凍らせて獲物を捕獲する氷魔(アイス・デビル)、恐怖を鎮める精神感応力を持つ毛むくじゃらの動物ロリン……。 

5人で湖の周辺を探検している時、ウルフとリボンは湖へ向かうといい、ドローヴとブラウンアイズと別行動をとる。ようやくふたりだけになって、ブラウンアイズが口をひらく。 

「わたし……わたしね、ふたりでここにいられてうれしいの」ブラウンアイズがいった。「すてきなこと、でしょ? こんな風にいっしょにいるのって」 

「すてきだと思うよ」ぼくはやっとのことでそういった。 

「ほかの子たちがずっとそばにいたらどうしようって思っていた。あなたは?」 

「あいつらが自分の沼を濡らしても平気で助かった」ぼくは馬鹿なことをいった。「自分の足を、って言おうとしたんだ」 

「ドローヴ……」ブラウンアイズはそこまでいって、急に息をのみこんだ。それでやっとぼくは気づいた。彼女もぼくと同じで、確信が持てずに不安なんだと。「わたし……あなたが好きなんです、ドローヴ。そうなの、本気で好きなの」 

機転で少女を救う

その直後、リボンの悲鳴が聞こえる。ふたりは急いで悲鳴の上がった場所に向かうと、氷魔に足を凍らされたリボンの姿が。ドローヴは幼児の頃、吹雪の中、ロリンのおかげで凍死しなかったことがあり、そのときの記憶を思い出す。

「むこうにロリンがいる。ぼくたちを助けに来たんだと思う。ぼくはそれを待ってたんだ。だから、ロリンがここに来てきみに触っても、叫んだり逆らったりしちゃいけない、わかった?」 

(略) 

「あとはロリンにまかせればいい」ぼくはいった。「気を楽にして、いろいろ考えないで。眠るんだ」 

(略) 

次に気がつくと、水に戻った湖が足もと近くに打ち寄せ、ロリンがしぶきを跳ねあげながら、ぐったりしたリボンの体をぼくのほうに運んできて、そのうしろで細長い触手が悔しそうにゆれていた。ロリンたちはぼくの隣にリボンを横たえ、そのあといちばん大きい一頭がぼくの目を長いこと覗きこんでいた。そしてロリンたちは去っていった。 

ドローヴの機転でリボンを助ける場面が物語のちょうど中盤あたりですから、それまでは少年少女たちの恋愛、冒険、友情……が物語の大半を占めています。でも、ここから物語の雲行きが怪しくなっていきます。 

湖の探検で単独行動をとったスクウィントの失踪。密輸に関係していると少年少女たちが疑いをかけていた船主の死体発見。届くはずの武器の遅延からパラークシの住民たちに充満する政府への不満。政府も新缶詰工場の建設と言いながら、明らかに怪しげな行動の数々……。 

そして、ドローヴとブラウンアイズは、粘流ーー粘性の高い海水のせいで転覆した船がふたたび浮かんでいることを発見。そこに積まれている武器によって、新缶詰工場に集結する政府とパラークシの住民たちの一触即発の状況を打開できると喜んだドローヴは、船のことを知らせに町に走る……。 

SF史に残るどんでん返し

ここからまったく予想もしなかった波乱の展開になっていくのですが、紹介はここまでにしておきます。 

訳者の山岸真氏があとがきにこう書いています。 

残りページもわずかな終盤になって、あらたな驚愕の事実がドローヴに告げられ、物語は思いもよらない方向に急展開する。さらに、(原書の内容紹介でも触れられているほどの売りのひとつなので書いてしまうが)本作のほんとうの最後の最後には、SF史上有数の大どんでん返しが待ち受けているのである。 

嘘偽りなく、この表現のとおりの大どんでん返しでした。ぜひ本書を手に取ってお確かめください。 

最後に、河出文庫版の表紙は片山若子さんの装画です。片山さんのイラストは大好きですが、なかでも「ハローサマー、グッドバイ」の表紙は出色です。 

このイラストで愛くるしいブラウンアイズを心に思い描いた読者は、きっとわたしだけではないでしょう。 

(しみずのぼる) 

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