きょうは湯本香樹実さんの小説「ポプラの秋」(新潮文庫)を紹介します。新潮社のサイトにこうあります。「あの世」への手紙、運んでやろうか。おばあさんの提案に、私は――。大人も子どもも涙する……。このとおり、落涙必至の物語です(2024.6.29)
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あたたかな再生の物語
最初にあらすじを紹介します(新潮社のサイトから)
父が急死した夏、母は幼い私を連れて知らない町をあてもなく歩いた。やがて大きなポプラの木のあるアパートを見つけ、引っ越すことにした。こわそうな大家のおばあさんと少しずつ親しくなると、おばあさんは私に不思議な秘密を話してくれた──。大人になった私の胸に、約束を守ってくれたおばあさんや隣人たちとの歳月が鮮やかに蘇る。『夏の庭』の著者による、あたたかな再生の物語。
https://www.shinchosha.co.jp/book/131512/
湯本さんの小説は、出世作の「夏の庭」を読み、つづいて「ポプラの秋」を手に取りましたが、わたしの心の琴線に触れたのは圧倒的に「ポプラの秋」でした。母親の手紙のくだりは、何度読んでも必ず泣いてしまいます。
でも、泣いているのに気持ちがいいのです。新潮社の謳い文句のとおり「あたたかな再生の物語」だからでしょう。気持ちよく泣ける、そんな小説を探している方にぜひお勧めしたい小説です。
母との距離、自殺の暗い願望
どうしたの、なんだか元気のない声みたい。夕食はすませた? いえ待って、用があるのよ、ちゃんと。さっき佐々木さんから電話がかかってきたの。ええそう、あの佐々木さん。ポプラ荘の。
電話の向こうで母がそう言った時、私はもう何年も、おばあさんと過ごした日々をゆっくりと思い返すこともなかったのに、
「ああ、おばあさんが亡くなったのだ」
と、すぐに悟った。
「ポプラの秋」は、こんな書き出しで始まります。
「九十八だって、大往生ね」
とすると、おばあさんはあの当時、すでに八十歳だったのか。にもかかわらず、おばあさんは七歳の私に言ってくれたのだった。いつか私が大人になる日まで、自分も生きていられるよう、がんばってみようじゃないか、と。八十の年寄りにしてみれば、なんとも果敢なその台詞を、おばあさんは見事に実現したことになる。
「……そしたらね、手紙があったから電話したって」
(略)
母が再婚することになって、ポプラ荘を出たのは私が十歳の時のことだ。それ以来、母も私もおばあさんに会ってはいないが、もちろん手紙なら何通も書いたし、時には写真も送った。でも佐々木さんの言った「手紙」は、きっとそれとは違う。七歳の私が、おばあさんに託した手紙、あの黒い箪笥の抽出しにしまわれた私の手紙のことだ。
この導入部だけでも、ポプラ荘の日々から18年の歳月を経ていることや、主人公がいまは25歳前後であること、そして母親とは距離を置いて暮らしていることが自然に伝わってきます。
つづく文章で、主人公が看護師として勤めていた病院を一か月前に辞めていること、そのことを母親に伝えていないくだりが出てきます。主人公がおばあさんの葬儀に出るため荷造りするくだりでは、
ボストンバックに下着の替えと洗面用具、それから薬のいっぱい詰まった紙袋を投げ込むと、勢いよくジッパーを閉めた。一日二日のことなのに、睡眠薬を全部持って出かけるなんて馬鹿げてるじゃないかと呟きながら、ほんとうは馬鹿げてるなんて思ってないんでしょ、だってあなたはそのことばかり考えてるじゃないの、という別の声をきいている。私は首を振った。その後のことはわからない。わからないけれど、せめて今夜は、魚の死骸になるのはやめておこう。そして明日になったら飛行機に乗っておばあさんを見送りに行く。とにかくそれだけはしなくては。
と出てきて、主人公が自殺という暗い願望にとらわれていることがわかります。
そんな主人公が飛行機でおばあさんの葬儀に向かうところで七歳のころの回想となって、物語が始まります。
父の急死と母の異常な行動
父が交通事故で急死して慌ただしい何日間かが過ぎると、母はしばらくの間、一見それまでと同じように家事をこなし、やがて突然、眠りに入った。どのくらい眠っていたのだろうか。一週間、いやもっと長かったような気もするけれど、もしかしたら三、四日のことだったのかも知れない。憶えているのは、いつの間にか夏休みが始まっていたということと、母が眠っている間、小学一年生だった私はおなかがすくと缶詰のシャケを食べていたということだ。
母が長い眠りを終えると、今度は主人公を連れてあてどなく電車で出かけるようになった。
ポプラ荘を見つけることができたのは、そんな電車ツアーのおかげだったのだ。
電車を降りてしばらく歩いていると、大きな木がみえた。「あの木を見に行こうよ」。そして、木のあるところに二階建てのアパートがあった。「千秋、ここに住むのはどうかな」「空き部屋あります、だって」。こうした母と子はポプラ荘に引っ越すことになった。
母親は結婚式場に勤めだしたが、主人公のほうは小学校に通いはじめたとたん、「何か悪いことが起こる」という不安症に襲われた。父親が突然いなくなったことを思い出し、母が父のように事故に遭わないか、病気になりはしないか……。そんな不安に押しつぶされ、学校に通えなくなり、母が帰宅するまで、大家のおばあさんと過ごすことになった。
あたしにはお役目がある
そんなある日、お供えものの話題から「手紙」の話になった。
もしもお葬式に来た大人たちが言ったように、父がほんとうに私のことを見守ってくれているのなら、お供えものに対して、なぜ父は知らん顔をするのか。
「何かすごいことがなくちゃおかしいよ。果物がパッて消えちゃうとか、それとも全然腐らないとか……」
突然、切羽詰まった気持ちになって、私は口をつぐんだ。そうだあの日から、父が死んだあの日から、母も、私も、なすすべもなく腐っていく果物みたいに放り出されて、見放されているのだ……
「あんたのおとうさんは、ちゃんとあんたのことを見てるよ」
おばあちゃんがそう言った時、私はなんだかかたくなな気持ちで「うそだ」と答えた。「おとうさんのこと、知らないくせに」
「知らなくたって、わかるさ」
「死んだことないくせに」
ここから、おばあさんは「あたしにはお役目があるんだ」と言い出した。
自分は手紙を届けるのだ、とおばあさんが言った時、私の頭のなかを赤いスクーターに乗ったおばあさんが横切った。
「郵便屋さん?」
おばあさんは座椅子の上で背をまるめて、ふふふ、と笑った。
「あの世のさ」
「え」
「あの世の郵便屋。あたしがあっちへ行く時に、こっちから手紙を運ぼうってんだよ」
そして、主人公に言った。「あんたの手紙、持っておいで」
おとうさん、おげんきですか
こうして主人公は、父への手紙を書くようになります。文中、何度もひらがなだらけの手紙が出てきます。
おとうさん、おげんきですか。わたしはげんきです。
そのうちに日々の出来事を書くようになった。
おとうさんは、わたしと手をつないで、たばこをすいながら、月にいるうさぎの話をしてくれました。おなかのすいた人がいて、どうぶつたちが、みんなでたべものをもってきます。でもうさぎは、よわくて、なにももってこれませんでした。うさぎは、じぶんをたべてもらうために、たき火のなかに、とびこみました。「しんだうさぎは、月にのぼったんだよ」と、おとうさんはいいました。
おとうさんが、うさぎの話をしてくれたあと、ふとんのなかで、わたしはうさぎのことをかんがえました。そして、ちょっとなきました。わたしは、かなしい話はあまりすきじゃないです。ゆうべ、おとうさんは、うさぎといっしょに月にいるのかもしれない、とかんがえたら、もっとたくさんなみだがでてきました。
亡き父への手紙の合間にポプラ荘での日常がはさまれます。同じアパートの住人の佐々木さん、西岡さんと一緒に焼き芋を焼いた話や、母の実家に泊まった時、母が寝ながら涙を流したため、「おとうさんに手紙書いてるの」「届けてもらえるんだよ、ほんとに」と打ち明けたこと……。
「お母さんも、書く?」
「いつかね」
「書いたら、あたしに言ってね。届けてもらうように、たのんであげるから」
こうして飛行機でおばあさんの葬儀に向かう道中での回想シーンが終わります。その過程で、病院で知り合った父と似た男性と交際したものの、流産したときの男性の反応につらくなり、職場そのものから離れてしまったことなどが織り込まれます。
皆、助けてもらったんです
ポプラ荘に着くと、そこには多くの人が……。おばあさんに手紙を預けた人たちが大勢集まっていた。
葬儀を取り仕切る葬儀屋も、おばあさんに手紙を預けたひとりだった。事故で失った一人息子への手紙を何度も書いたという。
「書きましたよ、手紙。なんだかおばあさんにその気にさせられて、葬式代まけるどころかタダにしちゃって、もうその日の夜から、ぶっ通しで書きました。息子に言っておきたかったことも、すまないという気持ちも、親の自分がどんなに口惜しいかってことも、息子と一緒にするはずだったいろいろな計画もーー何が辛いって、未来が見えるような気がするのが辛いんですよ。そういう拭っても拭っても見えてしまう『もしも息子が生きていたら』っていう未来のことも、どうにもおさまらない怒りとかもね、ぜんぶ書いて書いて、もうこれでお終いだって分厚い封筒持ってここに来て、おばあさんに渡して、でも三日もしないうちにまた辛くなって、夜通し書いて持ってきて……その繰り返しをどのぐらい続けたでしょうねえ。ある日、もういいよ、もう苦しまないでいいよって、声が聞こえたんです」
俯いて、山根さんは唇をぎゅっと真一文字にした。それから、
「今日ここにいらっしゃる方は、おばあさんに手紙を預けた方ばかりです。皆、助けてもらったんです」
そして主人公は、いまもポプラ荘に住む佐々木さんから、七歳の自分が書いた数多くの手紙と一緒に、母が一度だけ父に宛てて書いた手紙を渡された……。
泣けて泣けて仕方ない母の手紙は、ぜひ本書を手に取ってお確かめください。
2015年に映画化
なお、本書は2015年に映画化されています。
ユーチューブに予告編もありました。
最後に、母の手紙を読んだ主人公がふたたび生きていこうと思う場面を紹介して拙文を閉じます。
真っ青な空に、飛行機雲が一筋、どこまでもどこまでも続いている。帰ったら、母とふたりで短い旅行をするのはどうだろう。それから、どこかいい病院を見つけて、また仕事をしよう。きっとまた、いい日が来る。だって私、まだ生きてるんだから。
こころ洗われる「あたたかな再生の物語」です。
(しみずのぼる)
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