きょう紹介するのはスティーヴン・グールドのSF小説「ワイルドサイド ーぼくらの新世界ー」(原題:Wildside)です。〈高校を卒業したばかりの5人の少年少女の目の前に広がるのは、人類がかつて存在したことのないパラレル・ワールドの地球だった。しかし政府の知れるところとなり……〉というストーリーで、いわゆるジュブナイルSFです(2023.9.19)
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「ジャンパー」の作者
著者のスティーヴン・グールドは、代表作が「ジャンパー ー跳ぶ少年ー」(上下巻、ハヤカワ文庫SF。原題:Jumper)で、「ジャンパー」は2008年に映画化もされています。
「ワイルドサイド」(上下巻、ハヤカワ文庫SF)は「ジャンパー」に続いて1996年(邦訳版は1997年)に出版された、著者にとって長編2作目のSFです。

「ワイルドサイド」の紹介をする前に、「ジュブナイルSF」について一言。
「ジュブナイル」という言葉は、
ティーンエイジャー(少年・少女、青少年)を対象とする修飾詞。日本では1970年代頃に使われはじめた(角川文庫SFジュブナイルの登場が1976年)が、英米ではやや堅苦しい表現のため、改まった場面で使用されることが多く、口語表現ではヤングアダルト作品 (Young-adult fiction) やjuvenile novelあるいはjuvenile fictionに置き換わる(ウィキペディア)
日本国内でジュブナイルSFの代表格と言えば、筒井康隆氏の「時をかける少女」、眉村卓氏の「なぞの転校生」「狙われた学園」あたりでしょう。
真正のジュブナイルSF
翻訳家の小川隆氏は本書の解説で次のように書いています。
SFがもっとも得意とするのは、SFの本質的なテーマである〈変化〉を、主人公の内面的な変化に重ね合わせて描く手法で、それをもっとも容易にできるのが、この成長小説という様式です。グールドが好んでこの手法を用いるのは、個人的な悩みをかかえていた十四歳のとき、ハインラインのジュヴナイルSFに救われたからだと語っています。
「ワイルドサイド」は、ジャンル分けすればパラレル・ワールドものということになってしまいますが、そうではなく、悩めるティーンエイジャーが波乱の冒険を経て成長していくストーリーとなっているのが最大の魅力なのです。
絶滅ハトで軍資金
本書の背表紙からあらすじを紹介します。

高校を卒業したばかりのチャーリーのだれにもいえない秘密ーーそれは不思議なトンネルのことだった。トンネルは、数年前に行方不明になってしまった伯父の遺産としてのこされた農場の納屋の奥に隠されていた。その先に、人類がかつて存在したことのないパラレル・ワールドの地球がひろがっているのだ。チャーリーは、この秘密を親しい友人だけに打ち明けたが……秘密のトンネルを発見したチャーリーと仲間たちの大冒険! (上巻、ハヤカワ文庫SF)
「秘密のトンネルを発見したチャーリーと仲間たちの大冒険!」なんて書かれると、これは児童文学か?と誤解してしまうかもしれませんが、まったく違います。
そもそも、トンネルを発見したチャーリーが最初に行うのは、地球ではすでに絶滅したリョコウバトをトンネルの向こうーー野生側(ワイルドサイド)で捕獲して、動物園に売りさばいて軍資金を得ることでした。そして軍資金を手にして最初に行ったのは、声をかけた友人たちが飛行機を操縦できるように資格を取得する学校への授業料に充てるのです。
また、米国政府に知られたら介入してくるに決まっているから、弁護士と会計士をあいだに介在させて架空の投資会社を設立したりします。
もしあなたの目の前にパラレル・ワールドがあったなら、人跡未踏の世界があったら、あなたなら何をしますか。
信用できる仲間を作ることや政府に秘密にすることまでは同じでも、絶滅種を売りさばいて軍資金を作ったり、投資会社を設立したり……なんて、思いつきますか?
肥満に悩み片思い
ここまで書くと、主人公のチャーリーはすごい!と思うでしょうが、この小説で描かれるチャーリーはまったくヒーロー然としてなくて、外見的には肥満に悩んでいます。
(友人の父親にコークをすすめられると)「けっこうです、ミスター・マロニイ。にきびだらけになりたくないんで」すでに肉のだぶついているウエストが、もっとふとるからとは言えなかった。
内面的にも好きな子に告白もできない少年で、仲間に誘った友人4人ーーマリとジョーイ、クララとリックはカップル同士で、チャーリーはマリに片思いしています。
マリがかれ(ジョーイ)にキスし、ぼくは腹にナイフを突き刺されたような気がした。
かれ(ジョーイ)はマリのほうを見なかったが、そっと彼女に寄りそい、肩に腕をまわし、ぐっと引き寄せた。
マリもかれを見なかったが、手をその腿に置いた。
見たところ平和。だが、内部でぼくは血を流していた。
科学の知識で推理
そんなチャーリーも、リョコウバトの売りさばきを友人4人に手伝ってもらった後、ついに4人を秘密のトンネルまで案内して野生側(ワイルドサイド)の存在を教えます。
そのときの会話は「うーん、自分ならこんなふうに推理できないだろうなあ」と思うほど、高校生らしからぬやりとりです。
「おれたちはバッファローをほぼ全滅させ、リョコウバトはすっかり全滅させてしまったんだぜ。サーベル虎も、おれたちが根絶やしにしてしまったのかな? いや、あのトンネルは時間をさかのぼるのか?」
ぼくはかぶりを振った。
(略)
「ぼくらが見慣れているのとまったく変わらない夜空さ。月の大きさや相も、まったく同じ。星座たちもぼくらが予想している位置にあるし、その形もぼくらが見慣れているとおりだ。惑星たちも同じ位置にある」
「じゃあ、時代が同じなのね」クララがぼくを出し抜いて、いった。「過去でも、未来でもないんだ」
(略)
「時代は同じだけど、ちがった地球だ」ぼくはまた間をとった。「もしかしたら、ユニヴァースもちがうかも」
「ちがっちゃいても、パラレルなんだ」とジョーイ。
リックが尊敬したふうにジョーイを見た。「うわ、すっげえアインシュタイン。あっという間に、ご名答だ」
こんなふうに推理して、ここが人類の兆候がまったくない地球であることを探り当てるのですが、それでいて高校生たちはいたく現実的です。
「もし、この惑星にこれまでひとりも人間が存在したことがないとしたら、いや、ともかく西半球にひとりも存在したことがないとしたら、だれも眠っている石油を掘削もしていないし、森林も全部伐採もしていない。鉱物資源の採掘もしていないわけだ」
(略)
リックがいった。「材木や石油なら、飛行機の操縦なんて必要ない。そういうものは人類の訪れたことのないテキサスには、そこらじゅうにあるからな。どっちだ、チャーリー?」かれは間をとった。「金か、それとも銀か?」
僕は指一本でリックに敬礼をしてやった。
「金だ」ぼくはいった。
情報組織と軍の急襲
上巻はコロラドの金鉱採掘のために飛行機の操縦訓練やパラシュート降下の訓練、飛行場や管制塔の建設、無線機の整備などの記述がつづきます。もちろん、その間にサーベル虎などに襲われたりもしますが。
ストーリーが大きく動くのは下巻に入ってから。リョコウバトの資金の流れから政府組織についに突き止められ、情報組織の人間とその命令下で動く軍に農場が急襲されてからです。
チャーリーの嗚咽
あいだに入っていた弁護士や会計士、元空軍でパイロットの父親まで拘束され、ゲートの明け渡しを要求する情報組織……。 一進一退のつづく中、野性側(ワイルドサイド)に立てこもる高校生たちの間で口論が始まり、ついにチャーリーが切れてしまいます。管制塔にこもるチャーリーをクララがなぐさめると、
「ぼくにはもう我慢できない! ぼくはずっと辛抱してきたんだーーいろんなリスク、危険、仲間が死ぬかもしれないという不安。親父やルイスやリチャードのこともーーぼくは責任を感じてる、いや、ずっと責任を感じてた。だから、ぼくは必死でなんとかしようと頑張ってきたんだけど、なにもかもがぼろぼろに崩れていくんだーー」ぼくは両手で口をふさぎ、いまにもわっと泣きだしそうになる嗚咽の声を抑えた。
(略)
しばらくして、ぼくは目を開き、いった。「ぼくがどれほどきみたちを頼りにしているかを、きみたちは理解していないんだ」
クララの啞然とした顔が、ゆっくりと理解の表情に変わっていった。「だから、あたしたちがケンカを始めたとき……」
ぼくは無言でうなずいた。
まさに10代向けのSFらしいセリフですね。ズキンときます。
さて、引用はここまでにしておきましょう。
情報組織や軍との丁々発止の駆け引きの結末や、そもそも、このパラレル・ワールドのゲートがなぜ納屋にあるのかーーは、本書を手に取ってごらんください。できれば復刊してほしい一冊ですが、1997年出版の本なので、古書なら手に入ると思いますし、図書館でも置いてあるところはあるでしょう。
この人跡未踏の世界はぼくらが守る
下巻の帯のとおりの展開に、ジュブナイルSFの真骨頂を見る気がします。
(しみずのぼる)
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