きょう紹介するのは金子ユミさんの最新刊「笑う四姉妹 ひとつの庭と四つのおうち」(小学館文庫)です。大きな口を開けて屈託なく笑う4人の若い女性に惹かれて手に取りました。この表紙から、どんな物語を想像しますか?(2025.9.17)
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目次
読後にどんな涙が?
まず、出版社のキャッチコピーを紹介します。
読後、きっとこの笑顔に涙する
そして、この表紙です。

大きな口を開けて笑う4人の表情をみて、さらに「読後、きっとこの笑顔に涙する」と言われて、どんな小説を想像しますか?
その涙は感動の涙なのでしょうか。それとも、せつなく哀しさ溢れるストーリーに思わず嗚咽がとめられない…という読後感なのでしょうか。こんなに気持ちよさそうな笑顔から、わたしはハートウォーミングな小説を想像しました…
ジャケ買いならぬ表紙買い
とにかく表紙がとてもいいですし、「読後」にどんな涙を誘うのか、それ知りたさに、つまり、どんなストーリーなのかを知らずに読み始めた小説でした(電子書籍で購入したので、背表紙のあらすじに相当する部分も目を通さずに読み始めました。CD・レコードなら「ジャケ買い」ですね~)
結論から先に言うと、感動の涙を誘う物語でも、せつなくて泣ける物語でも、まったくありませんでした。
70年以上の歳月を生きる四姉妹の物語を通じて、幸せな人生ってなんだろう?と深く考えさせられました。読了後しばらく放心して、表紙を改めて見直し、若かった四姉妹の笑顔から、彼女たちがそこから歩む人生のそれぞれを思い起こし、気づいたら目じりが濡れていました。
以下、あらすじに触れますし、若干のネタバレもしますので、わたしのように表紙買いしたい方はここから先を読まないようにしてください。
語り部異なる5つの話

「ゆずのお母さんたちってドラマチックじゃん。この世知辛い東京で、一つの土地に、四人姉妹がそれぞれ家を建てて住んでたんだよ?」。幼馴染みの稲葉亜子に問われ、そんな大げさなと返す信濃ゆず。漫画家の亜子は最近仕事に行き詰まっており、ゆずの母と三人の伯母たちの話を聞きたいらしい。すると、二人のそばにいた老女がにっこり笑い、ゆっくりと四姉妹の過去を語りだし――。父の失踪、巨額の借金、仕事と結婚、そして老い。人生はままならないが、四姉妹はいつも笑っていた。70年以上の時をこえ描かれる家族の物語に涙が止まらない、著者渾身の感動作。
全部で5話構成で、それぞれ主要部分の一人称が変わります。
- 第1話 市電ブギウギーー桃子
- 第2話 帰ってこないヨッパライーー梅乃
- 第3話 素晴らしいヒビーー桃音
- 第4話 世界に一つだけのバナナーー李花
- 第5話 桜梅桃李ーーゆず
表紙の右側から長女・桃子、次女・梅乃、三女・桃音、四女・李花(きっか)。第5話(とプロローグ、エピローグ)の語り部となるゆずは李花の娘です。
父の失踪…多額な借金
長女・桃子が一人称となる第1話「市電ブギウギ」は終戦後間もない1949年、仙台を舞台にした物語です。23歳の桃子は戦中の空襲で腰骨を傷つけ、松葉づえをしながら裁縫・仕立ての注文をとって家計を支えています。
桃子は、当時大流行した笠置シヅ子の「東京ブギウギ」(1947年)を唄うのが大好きな末の妹、8歳の李花の助けを借りて、市電に乗って洋服を届けますが、市電に乗る際に何かと助けてくれる若い車掌にほのかな恋心を抱いています。
そんな日常が突然変わります。正義感が強く小作争議や引揚者支援の組合作りに奔走していた父親が失踪し、しかも多額の借金を残していたことがわかります。
母と四姉妹、女五人で父の借金を返す日々が始まった。母と梅乃、私の収入だけでは足りないため、出来得る限りの内職を紹介してもらい、ワイシャツの襟の付け替え、上物の着物の洗い張りなどを大量に引き受けることにした。
内職に奔走する桜子が、若い車掌から仙台七夕まつりに誘われた。言葉を交わして人柄にも惹かれた。しかし、桜子は断ろうとしていた。失踪した父親を尊敬していた桃音と口論になったことがきっかけだった。
月々の返済分の集金に来た青年に向かって、桃音が「父ちゃんは困ってる人を見捨てるような、そったら弱(よえ)ぇ男でね!」と言葉をぶつけ、諫める桜子にも叫んだ。「父ちゃんはそげな男でね! 逃げたりしねえ! うちらを置いていったりしねえ!」
私の中で何かが破裂した。
もうとっくに痛みはないのに、まだ痛い。
忘れられない。
「んだらばなすてあの日、父ちゃんはいねがったんだ? 父ちゃんがいてくれれば、私の足はこいなふうにならねかった!」
(略)
あの夜、私が失ったのは左足の自由だけではない。もっと大きなものだった。
そして今も、なお。
「家族が死んだらどうすっべって思わなかったのけ? なすて何日も家を空けられんだ? あの人は家族なんてどうでもいいのよ。いつでも捨てられんだ! だがらいねぐなったのよ!」
しかし、とても悲しい”売り言葉に買い言葉”です。桃音が叫びます。
「だったら桜ちゃん、また捨てられっど!」
「あの車掌さん、うちらの借金ば一緒に背負ってくれるのけ? 一生付き合ってくれるのけ? 桜ちゃんのその足に! そんなわけねえべ! そんな都合のいい男、いるわけね! んだがら桜ちゃん、また捨てられっど!」
「家庭」は本当に天国か?
第2話ーー次女・梅乃の一人称で進む「帰ってこないヨッパライ」は、第1話から20年近くたった1968年の東京が舞台。ザ・フォーク・クレセイダーズの「帰って来たヨッパライ」(1967年)がはやり、過激派が大学を占拠した大学紛争が真っ盛りの時代です。
梅乃は、父の失踪を受けて単身東京に職を求め、2人の妹ーー桃音と李花の高校進学の学費を稼ぎ、父の借金の返済で働きづめの日々を過ごすうちに、すでに38歳、勤める不動産会社では、お局さんを通り越して山姥扱いされる存在です。
社運がかかる開発プロジェクトで採用されたキャッチコピーは「天国はここにある」。梅乃が提案したものだった。営業部長が採用した理由を説明した。
「家庭が社会の礎だというのは言わずもがなだが、それとはまた別に”家”に特別な感じを持たせたいんだ。家に帰れば、愛する妻と子どもがいて、温かいご飯があって、風呂が用意されていて、そんな家庭がある家こそが”天国”だと」
しかし、その部長は梅乃にひそかに頼みごとをする。
「あのコピー。幹部連中に見せる時、野原君が書いたことにしてもいいかな」
「野島君、真面目なんだけどね。どうも柔軟じゃないというか……あの年で係長止まりでしょう。来年は三人目が生まれるらしいし、そろそろ昇格させてあげたいんだ」
「梅さんは女性だからさ。昇進は関係ないでしょう。だけど男はそうはいかない。ね。頼むよ」

ひでえ…平成・令和の時代にはあり得ない!
結婚「しない」胸張って言える
そんな妻子持ちの部長と、梅乃は交際しています。部長は「君と新しい家庭を持ちたいと真剣に考えている」と言いますが……。
梅乃は、自身が提案したキャッチコピーに対して「『家庭』は本当に天国か?」「天国って、キレイなネエチャンしかいないんですかね」(しみず注=「帰って来たヨッパライ」の歌詞です)「天国って、誰のための天国なんでしょう」と悶々とする日々。
そんな梅乃がついに”目を覚ます”出来事が起きます。不倫相手の部長が、いつも逢瀬を重ねるバーで、こう切り出したからです(本来ならネタバレに相当しますが、あまりに馬鹿らしいので紹介させてください)
「家をね、改装しようと思ってる。特に台所を。……いや、実はいっそまるまる建て直すことも考えているんだ。今の家は古いから。新しい家は台所を大きくしよう。梅さんとお袋が一緒に使いやすいようにね」
「そろそろお袋を一人で家にいさせるのも不安になっていたんだ。この先、お袋もどんどん年を取るわけだから、梅さんがいてくれれば安心だ。君は毎日お袋と二人で台所を使うことになるんだから。どんな台所がいいか、これから追々相談しよう」
「仕事から帰ると、新しい家で梅さんがご飯を作って待っていてくれる。家を持つというのは、この未来への希望をも買うことだ。つまり、家を建てる、買うという行為そのものも『天国』なんだよ」
黙って聞いていた梅乃は、赤ら顔の部長に対し「ありがとうございます」と言葉をかけ、席を立った。
「部長のおかげです。”できね”んでね、”しねえ”んだって胸張って言える」
私は私でいられるのか?
「笑う四姉妹」から、第1話と第2話の一部を紹介しましたが、自分の最初の予想(ハートウォーミングな小説かな?)はまったく裏切られました。
第3話以降も裏切られっぱなしなのですが、とても考えさせられる言葉が随所に出てきます。
例えば、第2話で32歳の桃音が同棲中の恋人との間で子供ができ、それでも新宿反戦デーの集会に出かけようとして梅乃にとめられるシーン。
「あんたお腹に赤ちゃんいるんだよ? もう自分一人の身体じゃねんだよ?」
「子どもなんて、いらね」
「妊娠して混乱してるだけだ。桃ちゃん、ゆっくり休めー。そうすりゃ、きっと」
「怖えんだ」
「え?」
「このお腹の中にいるものに……全部吸い取られそうで」「身体が、言うこときかねんだ。私の意志を無視して、生き方を無視して、どんどん勝手に変わってく。怖え。怖えんだ梅ちゃん。そのうち、自分ではなーんも考えられなくなりそうで、頭も、身体も、内側から喰われてくみてえなんだ……!」
「母親になるってなんだ? そったらもんになっても、私は、私でいられんのけ?」
男には一生わからない、でも、そうなのかも…と思わせる桃音の悲痛な叫びーー「私は、私でいられんのけ?」です。
桃音が尊敬する父のことも出てきます。
「父ちゃんは、父親だったのけ……? なして消えた? なんでだ?」
家庭は天国? パパがいてママがいて子どもがいて?
「んだな。おっかねえな。毎日、おっかねえ。みんなおっかねえ」
どういうふうに生きていても、心はさざ波立ち、傷付く。
「天国なんて、どこにもねえな」
いつまでもうっすら子ども
もうひとつ、この小説の主題を象徴するようなセリフを最後に紹介します。
第5話で語り部の李花の娘・ゆず、幼馴染で漫画家の亜子、桃音の娘・円(まどか)の3人が、円の娘・ゆかりの前でアラフィフになった自分たちのことを話す場面です。
「でもさ、この頃、夜中にふと目が覚めて思うんだ。私って一人ぼっちだなあって」
そう言うと、亜子はふいと天井を見上げた。
「で、猛烈に怖くなる。このまま貧乏で、不安定で、誰に求められるでもなく老いて死んでいくのかって。そのたびに、ああもっと勉強しておけばよかった、もっとたくさんのことを経験しておけばよかったって、後悔ばかりしてるんだ」
「あー」円が声を上げた。
「分かる。それ、めちゃくちゃ分かる」
「え。そうなの? だけどお母さん、仕事充実してるっていつも言ってるじゃん」
「それはそう。だけど……いつまでも後悔だらけで、未熟なの。それが人生」
「え~?」ゆかりが首を傾げた。
「じゃあ人って、いつ大人になるの?」
「大人なんかこの世にいないよ。いつまでもうっすら子どもの人間がいるだけ」
「ええっ? そういうもの?」
「ゆかりちゃん、三十年後にこの会話思い出してみ。あれっ、十八歳の時の私と今の私、大して変わってなくない? って絶対に思うから。ふっふっふっ。楽しみだねえ」
母と子、父と子、妻と夫、姉と妹。いちばん近しい関係にあるはずの人間関係でも「後悔だらけ」で思うままにならない様が描かれているので、「いつまでもうっすら子ども」という表現はピッタリと決ます。
でも、「笑う四姉妹」を読むと、少しずつ社会が良くなっていることにも気づかされます。
「女は家庭」式の固定観念に縛られていた時代(第2話・帰ってこないヨッパライ)ははるか昔ですし、働きづめの従業員を前に「残業は好きで仕事をしてるだけ」と言いのけてしまう経営者(第3話・すばらしいヒビ)も、今の時代、あり得ない存在と言えるでしょう。

「いつまでもうっすら子ども」たちばかりで悲喜こもごもの人間社会ですが、それでも、少しずつ良くなっていると信じていいですか?
そんなふうに作者に問いかけたくなる読後感でした。とってもおすすめです。
(しみずのぼる)
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