きょう紹介するのは、くらもちふさこさんの「いつもポケットにショパン」です。男のくせに少女漫画?と思うかもしれませんが、何度再読しても涙に頬を濡らします(2025.9.12)
男性にもファンが多い
「いつもポケットにショパン」は1980年から81年にかけて『別冊マーガレット』に連載され、1981年に集英社から単行本化されました。単行本で全5巻、文庫版で全3巻です。
わたしは亜月裕氏の「伊賀野カバ丸」でも書きましたが、3歳下の妹がいて、妹の本棚から少女漫画を引っ張り出してきて読んでました。「いつもポケットにショパン」の発売時期から計算すると、初めて読んだのは大学生の頃だったんですね~
でも、言い訳になりますが、「いつもポケットにショパン」は男性にも多くのファンがいるそうです。解説(文庫版の2巻)でSF作家の大原まり子さんが次のように書いています。
『いつもポケットにショパン』は、発表された当時、少女マンガファンのみならず、ふだんマンガを読みなれていない層まで巻き込んで、わたしたちの世代(昭和三十年代うまれ)を中心に、大きな話題を呼んだ。さらにおもしろいのは、わたしの周囲では、若い男性もずいぶん読んでいたことだ。
「雪の女王」がモチーフ

幼なじみの麻子と季晋は遊びもピアノのレッスンも、何をするのもいっしょだった。しかし、季晋は音楽留学したドイツで列車事故に遭い、そのまま消息を絶ってしまう。数年後、二人はピアノを通じて再会するが、季晋はまるで別人のように麻子を憎むのだった…。


「いつもポケットにショパン」のモチーフは、アンデルセンの「雪の女王」です。
ねえ麻子ちゃん
アンデルセンの「雪の女王」という童話を知ってるかい?
雪の女王がカイ少年の目の中に落とした鏡の破片のために
カイ少年は突然冷たい少年になってしまう話お母さんの目の中にもただ鏡の破片がはいってるだけなんだと思う
破片さえとれてしまえばもとの愛子さんにもどるはずだ
ぼくはこの童話を信じてもいいと思うかい?麻子ちゃん
麻子にこう語るのは麻子の父親です。
麻子が生まれてすぐに妻に離縁され、妻との復縁、娘との再会を心の励みに、ひとりドイツで指揮者として頑張ってきた父親のセリフですが、麻子もまた、再会してみれば別人のように自分のことを憎み、麻子を騙してまでピアノコンクールで対決を迫る季晋に対し、こう思うのです。
カイ少年だ
きしんちゃんは鏡の破片が入ったままだった
約束したショパンなのに…
1巻の冒頭、仲が良かった幼なじみ同士が、季晋のドイツ留学による別れで、
いっしょに買ったノクターン練習しときなよ
ボクがもどってきた時いっしょに弾こうね
ホラっ愛情物語みたいにね
と別れの挨拶をする季晋に対して、麻子は「うん じゃあね…」と言葉少なに返事をしながら、こう考えています。
きしんちゃんが弾いた あの泣けちゃった曲
ああ……ショパンのワルツだったわ
それなのに! 高校生になってドイツから帰国した季晋は、麻子の前で別の女子とわざとショパンのノクターンを連弾したりするのです。まさにカイ少年です。
ですから、きしんちゃんの目に入った鏡の破片はとれるでしょうか、麻子の初恋はちゃんと収まるところに収まるのでしょうかーーという恋愛漫画であるのは間違いありません。
でも、あえて本書の主役は「音楽」なのだと思います。
音楽の豊かさ、素晴らしさを見事に表現しているところが、ふつうの漫画とは一線を画す存在にしているのだと感じます。
松苗の指導で音楽に開花
例えば、文庫版の1巻では、音楽的に開花していなかった麻子が、厳しい音楽教師の松苗の指導を受けて徐々に変化していきます。
松苗との最初のレッスン場面を紹介しましょう。モーツァルトのソナタを弾く麻子に対し、松苗は言い放ちます。
サル芝居もいいとこだな
そうそうあれだよ
幼稚園児が花形ピアニストにあこがれて
ものまねするさまそのものだ
激しい言い合いとなり「出ていきなさい」「先生が出ていってください」と応酬したあと、松苗が「ショパンは弾けるかね」と切り出す。
うまく弾けとは言ってない
黙想しなさい
麻子は目を瞑りながら「いいかげんにしてほしい」「ワンマンな先生」「まだ……?」と思っていると、いきなり「はじめ」の声。
まだはやい!
もっとひっぱって…
まてまて スタッカートが強すぎる
もっと音をたっぷりとって
今のところからもう一度
流れるような感じだ!
もっと自由に!
そうっ歌って!
そして、一言。
よしっ!そこまで!!
同席していた同級生が別の生徒に話します。「いっつも不愛想に曲を弾く彼女があんなふうに弾けるとは思わなかった」
きみ自身で見つけなさい
松苗の2度目のレッスンも手厳しいです。
それは上邑くんの弾き方だね
上邑くんは2人もいらんよ
技巧のすぐれた者はテンポが速くなりがちだ
ショパンの場合は特にいえるいいかね?
意味もなくバラバラ弾くのではない
感情の裏づけがあってこそ
自然にほんとうのテンポも見つかる
それはきみ自身で見つけなさい上邑のショパンも彼のイメージでできたものだ
きみはきみのイメージで作るのがほんとうだろう?
だから上邑のショパンは忘れなさい
麻子は「わかっていてもどうすることもできないことだってあるのよ」「あの上邑さんのバラードがどんなに鮮烈に印象に残ったか」「影響されずにいる方がおかしいわ」と思いつつ、それなら上邑のショパンを聴いて感動した気持ちを表現しよう…と気づいて3度目のレッスンに臨みます。
同席する生徒が「アーちゃんもうちょっとうまく弾かなかった?」「また松苗先生がなんかいいそう」とささやく中、松苗は目を瞑って麻子の演奏を聴いているだけ。そして麻子が弾き終わると、
「よし 次は間宮か?」
麻子は自身の演奏をこう振り返ります。
ものすごくヘタだったけど
確かにわたしのショパンだった
わたしショパンに1歩近づけた!!
音に感電したかと思った
松苗の推薦によって、麻子は学内オーケストラの定期演奏会でやるピアノ協奏曲の独奏者に選ばれます。曲はラフマニノフのピアノ協奏曲第2番ーー。
先ほど、麻子の前で季晋が別の女子とショパンのノクターンを連弾する場面を紹介しましたが、続いて麻子に連弾相手を交替するように言います。季晋が麻子と一緒に弾くのがラフマニノフ。その余韻のまま、練習会場に走り込み、ピアノを弾き始めて、麻子はとつぜんピアノを弾く手をとめるーー。
体中鳥肌が…
すごい
一瞬
音に感電したかと思った
いかがですか? 「音楽が主役」と言いたくなる気持ちがわかってもらえたでしょうか。
表現という美しさの波動
音楽的に目覚めていなかった麻子が、松苗と出逢い、自らも内面の成長を遂げて麻子の音楽が開花していく様を描いた文庫版の1巻を丁寧に紹介しましたが、2巻・3巻もこの調子で、否、もっともっと劇的に音楽的に成長していく麻子が描かれています。
大原まり子氏も解説で次のように指摘しています。
表現者が、表現という行為を通じて、いかに世界や人と関わってゆくかーーあるいは、世界や人に共感をもつことによって目の曇りがとれ、その結果、表現がどれほど豊かに実ることか。
人間としてひらかれ、世界につながった心が、表現という美しさの波動をともなって、世界や人を変容させてゆく……ちょうど、プロの小説家として歩み始めていたわたしにとって、麻子がさまざまなことに気づき、さまざまに豊かな出来事を感じてゆくのを見守りながら、まるでその経験を、わが身に起こったことのように感じたものだ。
(略)
そして、麻子のまなざしの変化に導かれて、読者であるわたしたちも、同じように世界じゅうが音楽で沸き立つように感じる。
「表現という美しさの波動」「世界じゅうが音楽で沸き立つ」ーーまさに大原さんの言われる通りです。
「いつもポケットにショパン」を読むと、麻子の変化は、モノトーンの景色がとつぜんパステルカラーに色づくような、無音の世界にゆっくりと音符が立ち現れるような、そんな場面が何度も登場します。
実は、大原さんの文章の(略)の部分がまさにそうなのですが、これは未読の人には余計な情報と思って割愛しました(この部分で麻子の母親・愛子が誇らしげに口にする「麻子はシチューが得意です」は屈指の名セリフです)
すべてが歌いはじめた
なお、ラストの一コマのネーム(麻子のモノローグ)は、くらもちさんが雑誌連載前に用意し、本書のタイトルに採用したものです。
音楽だ
わたしのまわりのすべてが歌いはじめた
時計の音がバッハを奏でる
女学生のおしゃべりはモーツァルトに変わり
きしんちゃんのポケットからショパンが聞こえた
まるで音楽が聞こえてくるような漫画です。40年以上前の少女漫画ですが、いつまでも色褪せない名作です。未読の方はぜひ手に取ってみてください。もちろん男性も!
(しみずのぼる)
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