何も知らずに原作で読みたい:「ローズマリーの赤ちゃん」 

何も知らずに原作で読みたい:「ローズマリーの赤ちゃん」 

むかし「本から読むか、映画から観るか」という宣伝文句がありましたが、わたしは圧倒的に「本から読む」派で、映画であらすじを知ることなく原作を読みたかった!と思っている小説があります。アイラ・レヴィン「ローズマリーの赤ちゃん」。モダンホラーの金字塔と称せられる小説です(2023.10.19)

〈PR〉

1週間から行けるセブ島留学【MeRISE留学】

23歳で処女作がエドガー賞

アイラ・レヴィンという作家はすごい人で、1954年に処女作の「死の接吻」(原題:A Kiss Before Dying)というミステリー小説でアメリカ探偵作家クラブのエドガー賞を受賞。13年ぶりに出版された小説第2作目の「ローズマリーの赤ちゃん」(原題:Rosemary’s Baby)はまたもベストセラーとなり、今もモダンホラーの金字塔と称せられています。 

わたしは「死の接吻」を何の事前情報も持たずに読むことができました。これまでの読書経験で、その瞬間まで犯人がわからなかった!という経験をした小説は「死の接吻」しかありません。 

だいたいは登場人物の誰かが犯人で、作者がほのめかす「こいつが犯人」というのはひっかけだったりして、意外な人物が犯人だったりする…というミステリーが多いと思います。それでも途中で「あれ? こっちが犯人か?」ぐらいは気づくもの。まったく気づかなかったのは、わたしの場合は「死の接吻」だけです。そのぐらい必読ものの傑作です。

二人は学生同士の恋人だった。女は妊娠しており、男は結婚を迫られていた。彼女をなんとかしなければならない。おれには野心があるのだ――冷酷非情のアプレゲール青年の練りあげた戦慄すべき完全犯罪。当時弱冠二十三歳の天才作家の手になる恐るべき傑作! アメリカ探偵作家クラブ賞最優秀処女長篇賞受賞作(「死の接吻」ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

映画を観て激しく後悔

ところが、「ローズマリーの赤ちゃん」のほうは、ほんとうに慚愧の念に堪えませんが、テレビで映画を観てしまったのです。ロマン・ポランスキー監督、ミア・ファロー主演の1968年製作の映画です。 

映画が面白くないのではありません。とても原作に忠実な映画ですし、公開当時はかなり話題になった映画です。でも、これだけは観たくなかった。映画を観ないで原作から読んでいたら、どれだけ幸せだったことか……。いまでも悔しい思いが忘れられません。 

ちょっと脱線しますが、2019年に劉慈欣氏のSF小説「三体」(早川書房)が出版された時、新聞広告で面白そうと思って読んだのですが、これも先にいろんな情報が入っていたら絶対に楽しめなかっただろうと思います。第2部、第3部と出るたびに新刊を買い求め、ほんとうに幸せな読書体験でした。今では「三体」の帯には、何がテーマの小説かストレートに書かれてしまっています。これでは興ざめです。 

妊婦は読まないで

「ローズマリーの赤ちゃん」が1968年にハヤカワ・ノヴェルズで発売された時の帯をみると、 

迫りくる不安!恐怖!戦慄! 

この小説は、神経過敏なかた、 

および、妊産婦には(残念なが 

ら)おすすめできません。 

と書いてあります。これです! これしか事前の情報を与えない出版社に見識を感じます。これ以上の先入観を持たずに読みたかった……。 

ハヤカワ・ノヴェルズ版

本書のおもしろさは、妊娠によって自分がノイローゼになってしまったのか、それとも夫も含めて周囲がおかしいのか、主人公も(そして読者も)判然としない状態に置かれるところにあります。 

訳者の高橋泰邦氏も、あとがきでこう書いています。 

妊婦というものは健康で正常な場合でも、たしかに平生とは違います。程度の差こそあれ異常な心理状態にあるようです。神経過敏で感情が波立ちやすく、私なども(亭主の立場からですが)二度の経験でおぼえがあり、読みすすみ訳し続ける間も思い当たることばかりでした。この作中では、女主人公のローズマリーが異常なのか、夫をふくむ周囲の人物が異常なのか、善意か悪意か何か底意があるのかーープロットの大小の楔点を通るたびに、あれかこれかと気をもまされ迷わされ、信じ難いはずのことを作者の才腕によって信じさせられるので、ローズマリーにすっかり同化してしまうという次第で、つまりは小説の醍醐味に酔わされる訳です。 

作者のアイラ・レヴィンは、執筆中に奥さんがちょうど妊娠中だったそうですが、絶対に奥さんに読ませないようにしたということです。

それはそうでしょう。こんな疑心暗鬼にさせられる小説を妊婦に読ませるのは毒です。 

周囲の住人は親切だが…

前置きが長くなってすみません。「ローズマリーの赤ちゃん」の内容をネタバレしないで紹介します。 

ローズマリーと夫で俳優のガイはマンハッタンの古風なアパートメントに引っ越した。ローズマリーがいたく気に入ったからだ。ところが契約してすぐ、友人で作家のハッチから過去の住人に関する良からぬ情報が寄せられた。 

幼い子供を何人も煮て食したというトレンチ姉妹や、「生きた悪魔を呼び出すことに成功した」と公言して暴徒に襲われた魔術師のアドリアン・マルカトーらが戦前に住んでいたことのあるアパートで、ここ十年の間にも、新聞紙に包まれた赤ん坊の死体が地下室で発見されたこともあったという。 

それでもアパートを気に入ったローズマリーとガイはここで住み始めた。アパートの住人は親切で、特に隣室の老夫婦ーーローマン・キャスタベットと妻のミニーは、食事に招いてくれたり、手製のムースや「幸運を招く」からと言ってタニスという薬玉を届けてくれたりした。 

ガイにも幸運が舞い込んだ。狙っていた配役をほかの俳優に持っていかれて腐っていたところ、その俳優が突如失明したことで配役を手に入れた。 

ガイが子供を作ろうと言い出した。3人は子供を持とうと話していた二人だったから、ローズマリーは喜んだ。しかし、子作りするはずの夜、ミニーからもらったムースを食べた直後にめまいに襲われ、人事不省に陥った。裸体の男女に囲まれている夢を見て、その夢の中で裸にされ、何者かに抱かれた。 

強姦されている夢

ーーこれは夢じゃないんだわ、と彼女は思った。ーーこれは本当なんだわ。最中なんだわ。抗議が彼女の眼と咽喉の奥に眼覚めたが、何かが顔をおおい、甘いにおいで彼女の息を詰まらせた。逞しいものはなおも彼女の中で駆り立てつづけ、皮の胴がくりかえしくりかえし強くぶつかってきた。 

翌朝、ローズマリーが「誰かがあたしをーー強姦している夢を見たわ」と言うと、ガイは「大事な夜をフイにしたくなかったんだよ」と打ち明けた。「二人ですべきものだわ。一人は眼覚めていて一人は眠ったままなんて、いやよ」と抗議したが、この一夜の行為でローズマリーは妊娠した。 

産科医は隣室のキャスタベット夫妻が紹介してくれたが、妊娠の初期症状は最悪だった。痛みがひどく子宮外妊娠を疑ったが、産科医は「しばらくすれば痛みは治まる」と言うだけで、本や知人の情報は「取り越し苦労がふえるだけ」と取り合わせない。 

タニスの根に抱く疑問

友人のハッチが遊びに来たが、激しく痩せたローズマリーの姿を見て驚き、心配した。

ハッチの訪問中、隣室のローマン・キャスタベットが訪ねてきた。 

「妊娠期間の初期には、ごく当たり前のことですよ」と、ローマンが言った。「そのうちに太ってきますーーおそらく太り過ぎて困るくらいにね」 

「まあ、そうでしょうね」と、ハッチがパイプを詰めながら言った。 

ローズマリーは、「キャスタベットさんの奥さんが、毎日ビタミンの飲み物をつくって下さるのよーー生卵とミルクと、奥さんが栽培してらっしゃる新鮮な薬草が入っているのを」 

ローズマリーから薬草の名前を聞いたハッチは首をかしげた。 

「タニス?」 

「初耳だな。”アニス”か”オーリスの根”のことじゃないのかね?」 

ハッチは臭いをかぎ、顔をしかめて身を引いた。「何かのかびか茸みたいに見えるが」 

ローマンが帰った後もハッチは部屋に残った。「彼は”黄金の老年”になるまで何をしてた人だね?」と聞いた。 

キャスタベット夫妻が停電の時に持ってきてくれた黒い蝋燭のことも訊ねた。 

「みんな黒かった?」 

「これは興味津々だぞ」 

ハッチはタニスの根について調べてみると約束して帰った。その夜、ハッチから電話があり、翌日会うことを約束した。ところが、ハッチは約束の場所に現れず、自宅を訪ねると突如倒れて昏睡状態になったと知らされた。 

ハッチが遺した黒表紙の本

ローズマリーはその後安定期に入ったが、臨月間もない時期にハッチは帰らぬ人となった。

ハッチの葬儀に参列すると、隣家の女性から一冊の本を渡された。 

「彼は最後に数分だけ意識を回復しましてね」と、グレース・カーディフが言った。「わたくしはおりませんでしたけど、彼は看護婦に、自分の机の上にある本をあなたにお渡しするように、わたくしに伝えてくれと頼んだそうです。きっと倒れた夜、彼が読んでいたのでしょう。彼はたいへんしつこく、看護婦に二度も三度も話して聞かせ、忘れないという約束をさせたようですわ。それからわたくしには『あの名前は綴り替えだ』と、あなたにお伝えするように」 

渡された本は「彼等はみんな魔法使い」という黒表紙の本だった。 

本文中には数ヶ所に、ハッチのアンダーラインと、欄外に参照符号があった。(略)アンダーラインをしてある個所は「俗に”悪魔の胡椒”と称する黴」という一句だった。 

彼女は出窓の一つに腰かけて目次を見た。アドリアン・マルカトーという名前がぱっと眼に入った。それは第四章の見出しだった。他の章もそれぞれ別の人物を扱っておりーー彼等はこの本の表題からも察しがつくが、すべて魔法使いだ。 

(略) 

次ページには、彼の妻ヘシアと息子スティーヴン(アンダーライン)と一緒にパリのカフェに座っている。いくらか寛いだ写真がのっていた。 

(略) 

巻末近くでまたアンダーラインの個所に眼を止め、読んだ。「われわれが信ずると否とにかかわらず、彼等が強く確信していることは厳然たる事実である」ーー数ページあとには、「新鮮な血液の効験に対して世界いたるところに見られる信仰」それから、「蝋燭ーー言うまでもなくこれも黒であるーーに取り囲まれて」とある。 

ローズマリーは、ハッチの遺した言葉ーー「あの名前は綴り替えだ」を思い出した。文字遊びのセットを持ち出してきて、文字の並べ替えを試してみた。 

あの名前は綴り替え

本の名前、作者の名前、意味のないアナグラムばかりが繰り返された。しかし、ハッチの本でアンダーラインを引いてあるアドリアン・マルカトーとその息子スティーヴンのページが目にとまった。 

たぶんハッチが「スティーヴン」にアンダーラインを引く間、そこに強く押さえて開けていたためだろう。 

赤ちゃんは動かずに、中でじっと寝ている。 

彼女はまた盤を膝にのせ、箱から「スティーヴン・マルカトー」の文字を拾った。綴りができて並ぶと彼女はしばらく眺めていたが、やがて文字を置き替えはじめた。間違えた動きもなく、無駄な動きもなしに、彼女はたちまちローマン・キャスタベットと綴り替えた。 

それからまた Steven Marcato に戻した。 

それからまた Roman Castevet にもどした。 

かすかに、ごくひそやかに、赤ちゃんが動いた。 

キャスタベット夫妻がかつて「生きた悪魔を呼び出すことに成功した」という魔術師の息子とその妻であることに気づくアナグラムのシーンは、本書の白眉と言ってよい場面です。 

夫も信じられない

さて、ここからは急展開です。 

自分の赤ちゃんが悪魔崇拝の老夫婦に狙われていると疑い、夫に訴えても一笑に付されるだけ。産科医に訴えても取り合ってもらえない。 

そのうちに夫の言動にも疑いを抱くようになる。

なぜ急に望んだ配役を得られるようになったのか。ハッチが訪ねて来た時、どうして夫が急に帰宅したのか。夫を含めて周囲がすべて信じられなくなった時、すでに臨月のローズマリーはどういう行動に出るのか。ローズマリーの疑念は正しいのか、正しいとしたら次に起こる出来事は……。

ここからは最後の1ページまでジェットコースター状態ですが、続きはぜひ本を手に取ってください。 ハヤカワ文庫から出ています。

くどいようですが、映画は原作を読んでから観てください。 

(しみずのぼる) 

〈PR〉

21万名の作家さんによる260万点の作品が集まる国内最大級のハンドメイドマーケット≪minne(ミンネ)≫