「紺屋高尾」を聴く:南沢奈央「今日も寄席に行きたくなって」

「紺屋高尾」を聴く:南沢奈央「今日も寄席に行きたくなって」

このひと月ほど、じっくり味わうように読んでいるエッセイ集があります。エッセイに出てくる落語をサブスクで聴くーー。そんな贅沢な読み方をしていたら、読み終えるのに半年はかかりそうです。そんなまだ読みかけのエッセイ集と、そこで紹介されている落語「紺屋高尾」を紹介します(2024.2.5)

「今年は寄席でも行こうか」

そのエッセイ集は、女優の南沢奈央さんが書かれた「今日も寄席に行きたくなって」(新潮社)です。著者情報をみると、 

1990年埼玉県生まれ。俳優。立教大学現代心理学部映像身体学科卒。2006年、スカウトをきっかけに連続ドラマで主演デビュー。現在に至るまで多くのドラマ作品に出演し、映画、舞台、ラジオ、CMと幅広く活動している。大の読書家であり、書評やエッセイの連載など執筆活動も精力的に行っており、読売新聞読書委員も務めた。落語好きとしても知られ、「南亭市にゃお」の高座名を持つ。本書が自身初の書籍となる 

という方です。単行本の帯を拝見してもわかるとおり、とてもきれいな方です。

女優やアイドルの写真集のたぐいは買ったことがないわたしが、どうして手に取ったか不思議です。寄席に行ったこともないので、テーマに惹かれたわけでもありません。 

たまたま年始早々に妻との会話で今年の目標が話題になって、妻から「去年ははじめてふたりで相撲に行ったね。今年は寄席でも行こうか」と声をかけられたのがきっかけでした。 

そう言えば寄席のことを書いた女優さんのエッセイ集が新刊で出ていたな…… 

と思い出して、妻といずれ行きたい寄席の”予習”目的で購入した一冊です。 

音楽のサブスクで探して

南沢さんの「今日も寄席に行きたくなって」はエッセイ集なので、電車の移動時間に読むスタイルになり、きょう紹介したい「紺屋高尾」の回も、たまたま電車で移動中でした。 

エッセイでそんなふうになることはあまりないのに、なぜか涙腺を刺激されました。家に帰ってから、 

そう言えば音楽のサブスクで「紺屋高尾」が聴けるのではないか? 

と探してみたら、やはりありました! 

ベッドに入って読書灯も消して、暗い中、30分程度の「紺屋高尾」を聴きました。 

わたしが普段使いしているアップルミュージックでは、ふたりの落語家さんの「紺屋高尾」が聴けたので二晩続けてこうやって過ごして、 

そう言えば仕事用のPCで使っているスポティファイでも聴けるかも… 

と探したら、こちらは立川談志師匠の「紺屋高尾」がありました。 

1つのエッセイで、3つの落語を音楽サブスクで聴くーー。なんと贅沢な読書体験でしょう。 

読んで気になった落語を、こうやって味わいながら読むのもいいものだな…と思い、いまは半年かけて読もう(+聴こう)と思っています。 

心から求める切なる願い

さて、前置きが長くなりました。わたしの涙腺を刺激した南沢さんのエッセイを紹介しましょう。 

ラブってなんだろう。 

こんな書き出しで始まるエッセイのタイトルは「落語のラブ」です。ご自身が出演する舞台『アーリントン』の話から始まり、劇中の「ただ静かに座って、私の横にいる人と同じ空気を感じられたらいいな」というセリフから、 

心から求める切なる願い。これが、一つの”ラブ”の表現なのだと思う。このように、いわゆる好きになった告白した付き合った、というようなものではなく、『アーリントン』における”ラブ”は、”愛”や”恋”という言葉では訳せないものだった。 

「I love you」を、夏目漱石は「月がきれいですね」と訳し、二葉亭四迷は、「あなたとならば死んでもいい」と訳したとも言われているーーこのマクラから入るのが、立川談春師匠の「紺屋高尾」。

というふうに、古典落語の演目「紺屋高尾」(こうやたかお)につながっていきます。 

染物職人が花魁に一目惚れ

「紺屋高尾」のあらすじも、なるべく南沢さんの文章で紹介しましょう。引用内の( )は私が補った部分です。 

紺屋に勤めている染物職人の久蔵が、吉原で一目見かけた高尾太夫に惚れてしまい、恋煩いで寝込んでしまった。 

どうしても諦めがつかない久蔵を見かねて、(親方は)3年休まずに働いて十五両貯めたら、高尾に会えると励ます。 

3年がたち、久蔵は念願がかなって吉原へ。吉原に顔が利く医者にも手伝ってもらい、醬油問屋の若旦那と偽って、高尾太夫にお目通りがかなう。

しかし、高尾にこう聞かれて、久蔵は嘘を突き通せなくなった。 

「今度はいつ来てくんなますか」 

久蔵は高尾に正直に打ち明ける。

自分は若旦那ではなく本当は染物職人であること、3年前の花魁道中で高尾大夫に一目惚れしてしまい、一目会いたいがために、3年かけて十五両を貯めたこと、そして、次に会うためには、また3年の歳月がかかることを……。 

「その一言だけで生きていけます」

何も語らず横を向いて押し黙る高尾に対して、 

久蔵が一つだけ、お願いをする。またいつか会えたときには、横を向かないで、「久さん、元気?」と言ってほしい、と。 

「その一言だけで生きていけます」 

まっすぐな愛の表現だ。久蔵に心動かされた高尾は言う。 

「来年の三月十五日、年季が明けたら、女房にしてくんなますか」 

待ちに待った三月十五日。高尾が紺屋にやって来る。そして、高尾が言う。 

「久さん、元気?」 

電車で読んでいて思わず涙腺を刺激された部分です。以下、南沢さんの文章です。 

この一言……。もうわたし、泣きそうとかそういうんじゃなくて、嗚咽しそうになってしまった。「久さん」と言って少し言葉に詰まり、「元気?」と絞り出すように、でも力強く声を掛ける。 

(略) 

談春さんの「紺屋高尾」を聴いていて、こんなに「久さん、元気?」の一言が胸に響いたのは初めてだった。そしてこの瞬間に、マクラの「I love you」の訳し方の話と見事に繋がったのも初めてだった。そういうことだったのか、とようやくちゃんと理解できたような気がした。この日の「久さん、元気?」は、一生忘れないと思う。

アップルミュージックで聴いた2つの「紺屋高尾」には、「久さん、元気?」のセリフはありません。 それでも、「ぬし、次はいつ来てくんなますか」のセリフでぐっと来ましたし、スポティファイのほうは、談春さんのご師匠、談志師匠のバージョンですので、「久さん、元気?」があります。 

南沢さんの文章を読んでから聴いた談志師匠の「紺屋高尾」は格別です。高尾が横を向いて黙っている理由もエッセイに書いてあるので、感動もひとしおでした。 

妻と一緒に寄席に行く日が楽しみになりました。南沢さん、ありがとう。 

(しみずのぼる) 

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