「正しき者」はどちら?:映画「ぼくのエリ」

「正しき者」はどちら?:映画「ぼくのエリ」

きょうはスウェーデン映画「ぼくのエリ-200歳の少女」(原題:Let The Right One In)を紹介します。原作は「これほど美しくも哀しいヴァンパイア・ホラーはかつてなかった」と絶賛され、映画も世界各地の映画祭を総なめにして60もの賞を獲得、ハリウッドがすぐさまリメイクしたほど。「正しき者」は果たして人間か、ヴァンパイアかーーと考えさせられる深い作品です(2023.9.11)

【追記】YouTubeの公式(認証済み)チャンネルに関連動画がありましたので加筆修正しました(2024.5.5)

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哀しく、切なく、怖ろしい

DVDのパッケージにこう書いてあります。

幻想的なスウェーデンを舞台に、孤独な少年とヴァンパイアという秘密をもつ少女が出会い、友情、愛とはなにかを問いかけ深い余韻を残す、哀しく、切なく、怖ろしい、まったく新しいラブストーリー。 

この表現のとおり、まさに「友情、愛とはなにか」を問いかける映画です。相手が人間ではなくヴァンパイアだというだけで……。 

原作は、ヨン・アイヴィデ・リンドグヴィスト「MORSE-モールス-」(上下巻、ハヤカワ文庫)。著者自ら脚本を手掛けて2008年に映画化された作品なので、原作を手掛かりに紹介していきます。 

あらすじは原作上巻の背表紙から引用します。 

母親と二人暮しのオスカルは、学校では同級生からいじめられ、親しい友達もいない12歳の孤独な少年。ある日、隣にエリという名の美しい少女が引っ越してきて、二人は次第に友情を育んでいく。が、彼女には奇妙なところがあった。部屋に閉じこもって学校にも通わず、日が落ちるまではけっして外に出ようとしないのだ。やがて、彼女の周辺で恐るべき事件が……。 

ブタの真似をしろよ

映画は、オスカルがナイフを手に「ブタの真似しろよ」と言うシーンから始まる。エリとはじめて会う場面でも、中庭の木にナイフを刺しながら「鳴いてみろよブタみたいに」。 

クラスでいじめっ子からブタ扱いされて何も言い返せず、いじめられるがままにしている鬱屈を、こうやって発散させるしかない……。そんな孤独な少年が出会ったのがエリと名乗る少女だった。 

オスカルの両親は別居中。離れたところに住む父と会うのは楽しいけれど、父は酒が入ると豹変する。エリがヴァンパイアであると疑い、エリから遠ざかろうと父親のもとへ行くが、飲み友達と一緒に酒に興じる父をみて、オスカルは考える。 

どっちの怪物がいい? 

きみと同じ人間だよ

オスカルはエリのいるアパートメントに戻り、エリに「きみはヴァンパイアなの?」と訊ねる。 

「オスカル………きみと同じ人間だよ。ただ………とても珍しい病気にかかっているだけで」 

「サーカスにいるみたいな怪物じゃないよ!」 

オスカルはエリの部屋で一夜を過ごし、朝起きるとエリの姿はなく、「これから寝るところ。バスルームにいるよ。そこには入らないようにして」と書かれたメモが一枚残されていた。 

どうか、どうか、お願いだから怖がらないで。 

(略) 

ひとりぼっちなの。たぶん、きみには想像がつかないほどひとりぼっちなの。それとも、きみにはわかるかもしれないね。 

ほらね、同じだ

徐々に心を通わせるも、エリが生きるために人を殺さざるを得ないことを知って、オスカルはショックを受ける。 

「もっといい方法があれば教えてよ」 

エリは怒って言い返し、「きみと同じだからさ」と続けた。 

「ぼくと同じって、どういう意味だい? ぼくは……」 

エリはナイフを持っているように、片手で空を切り、こういった。「何を見てるんだよ、この間抜け。死にたいの?」 

(略) 

「なんだよ、それ?」 

「きみがいったんだよ。中庭にある遊び場で。きみから聞いた初めての言葉だ」 

オスカルは「ぼくは………人を殺したりするもんか」と反論するが、エリに「捕まらずに済むなら、殺さない?」と言い返される。 

「きっと殺すよ。自分を喜ばすため、復讐するために。でも、ぼくが殺すのは、生きるために必要だからだ。ほかに方法がないから……」 

「だけど、僕が彼らの死を願うのは……彼らがぼくにひどいことをするからだよ。ぼくを物笑いの種にするから。だから……」 

「生きたくて殺したくなる? ほらね、同じだ」 

こう言いながら、エリは「少し僕になってみてよ」と言いながら、オスカルにキスした。 

もうひとつのキス場面も紹介しましょう。 

エリの存在が警察に知られ、もうよそに移動するしかなくなったエリは、オスカルに別れの言葉を言った。 

長い沈黙がつづき、エリがためらいがちにいった。「きみも同じようになりたい?」 

「……ううん。できればずっと一緒にいたいけど、それは……」 

「もちろん、なりたくなんかないよね」 

(略) 

エリがオスカルに顔を向けた。「オスカル……」 

そして口を閉じ、オスカルの唇にキスした。 

ほんの何秒か、オスカルはエリの目を通して見た。彼が見たのは……自分自身だった。ただ、本物よりずっとかっこいい。もっとハンサムで、自分で思っているよりも逞しい、愛する者の目からみたオスカルだ。 

オスカルの満面の笑顔

このあと、オスカルはいじめっ子たちに凄烈ないじめにあいます。そして、エリがオスカルを助け出すのですが、その場面のオスカルの表情ーー満面の笑顔こそが、オスカルがヴァンパイアの少女と出会って悩みながら到達した結論です。 

いかがでしょうか。このように引用してみると、これはホラーではなく、孤独な者同士のラブストーリーであることがわかっていただけるでしょう。 

Rotten Tomatoes Classic Trailers – Let the Right One In (2008) Official Trailer #1 – Vampire Movie HD

英語版の原題は「Let The Right One In」です。「正しき者を入れたまう」の意味で、ヴァンパイアは招かれなければ家のなかに入ってこれないという言い伝えをそのまま表題としています。 

原作でも映画でも、招待なく家に入れば体中から血が流れ出てしまう場面が描かれ、エリは何度も「私をなかにいれて」と口にします。 

富永和子氏の訳者あとがきによれば、英語版はもともと「Let Me In」(私をなかにいれて)だったそうですが、のちにスウェーデン版に忠実に「Let The Right One In」と改題されたそうです。 

「正しき者」の意味

著者があえて「正しき者」という表現にこだわったのはなぜでしょうか。 

執拗ないじめを繰り返し、オスカルが反撃したらさらなる制裁を課すいじめっ子たちと、オスカルを助けるために舞い戻るエリと、どちらが「正しき者」なのか……。邪悪なのは人間も同じではないか、と問いかけているような気がします。 

なお、ハリウッドのリメイク版の邦題は「モールス」、原題は「Let Me In」です。スウェーデン版よりホラー色を強めている印象がありますが、ストーリーはオリジナルに忠実です(主人公たちのセリフまで同じだったりします) 

映画「モールス」
リメイク版「モールス」

原作とハリウッド版のタイトルの「モールス」は、少年とヴァンパイアの少女が部屋越しにやりとりする時にモールス信号を使ったことにちなんでいます。 

出版社や配給会社は「正しき者……」では売れないと思ったのかもしれませんが、それならせめて「私をなかにいれて」のほうが内容にあっていたように思いますが、いかがでしょうか。 

(しみずのぼる) 

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