未知の自然現象を探求する若者たちの情熱と顛末:魏慈欣「球状閃電」

未知の自然現象を探求する若者たちの情熱と顛末:魏慈欣「球状閃電」

きょう紹介するのはNetflixオリジナルドラマで話題の「三体」の原作者、魏慈欣氏のSF小説「三体0 球状閃電」(早川書房)です。「三体」3部作の前日譚という扱いですが、実質は独立したハードSFです。未知の自然現象「球電」に心囚われた若き主人公たちの情熱と、球電の兵器化が招く顛末がストーリーの中核を成しています(2024.4.13) 

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衝撃の「三体」前日譚?!

「三体0 球状閃電」は2022年に出版されていましたが、わたしはながらく未読で、今回、「三体」シリーズの第1作「三体」(早川書房)、第2作「三体II 黒暗森林」(上下、早川書房)を久々に再読し、その流れで読み始めて一気に読了しました。 

14歳の誕生日の夜に“それ”に両親を奪われた少年、陳。謎の球電に魅せられ、研究を進めるうちに、彼は思いも寄らぬプロジェクトに巻き込まれていく。史上最強のエンタメ・シリーズ『三体』三部作で描かれたアイデアやキャラクターが登場する、衝撃の前日譚! 

「三体0 球状閃電」の主人公たちの心をとらえたのは「球電」(球雷とも)という自然現象です。 

大気中を帯電し発光する球体が浮遊する物理現象、あるいはその球体そのものを指す。目撃例の多くは、赤から黄色の暖色系の光を放つものが多いとされている。大きさは10 – 30センチメートルくらいのものが多いが、中には1メートルを超えるものもある。また、移動中に磁性体に吸着する、送電線などの細い金属を熱で蒸発させるなどの特異な性質をもつ。発生原理には古典電磁気学を用いたものから量子力学によるもの、単なる眼の錯覚として球電の存在を否定する主張など諸説あり、未だ発生や作用原理の証明まで至っていない(ウィキペディアから要約) 

3人の主人公たち

主人公のひとりは、あらすじに出てくる陳博士ですが、もうふたり重要な役どころの登場人物がいます。 ひとりが林雲(リン・ユン)。国防大学新概念兵器センターに勤務し、球電の兵器化を追求する女性少佐です。 

そしてもうひとりが、理論物理学者の丁儀(ディン・イー)。「三体」「三体II 黒暗森林」にも登場する人物です。 

才能豊かな5人の友が、天地を揺るがす恐るべき事実を発見。時空をまたぐ壮大なスケールで、科学の法則が解明され、人類存亡の危機が明らかになっていく。 

Netflixオリジナルドラマ「三体」について書いた際、原作の第1作「三体」に丁儀が出てくる場面を紹介しています。 

主人公のナノマテリアル開発者、汪淼(ワン・ミャオ)が、知人の物理学者の自殺の理由を聞くため、元恋人の自宅を訪ねる。その元恋人が丁儀。丁儀はビリヤードを使って、世界中の加速器で理解不能な現象が生じていることを汪淼に説明する。 

その意味するところを、汪淼が「宇宙のどの場所においても適用できる物理法則が存在しないことを意味する。ということはつまり……物理学は存在しない」 と口にすると、丁儀はこう続けた。 

「いまあなたが無意識に口にしたのは、遺書の前半部分です。『物理学は存在しない』。いまなら彼女のことが多少なりとも理解できるんじゃないですか」  

Netflixオリジナルドラマ「三体」をイッキ見しました

汪淼に対して丁寧な言葉遣いで登場する丁儀ですが、「三体0 球状閃電」のほうでは、もっと自信に満ち溢れた天才科学者として出てきます。ノーベル賞候補に擬せられながらノーベル賞を軽侮する発言をして受賞を逃し、激怒した中国の物理研究院から解雇されるという経歴の持ち主です。 

パイプくゆらし推考

球電を人為的に発生させる仕組みを見つけた陳と林雲が丁儀の住まいを訪ね、「国防研究プロジェクト」への参加を請うた。 

「なんの研究?」 
「球電です」 
「そりゃいい。侮辱するためにきみたちをよこしたんなら、連中の狙いは図に当たったな」

しかし、陳が球電を発生させる仕組みを説明すると、丁儀は、

壁の前まで行ってパイプを吸いはじめた。(略)ほとんどくっつきそうなくらい顔を壁に近づけて煙草を吸っている。壁に向かって煙を吐くことで、中からなにかをあぶり出そうとしているかのようだった。彼のまなざしは遠くを見ている。壁はもうひとつの広大な世界とのあいだを隔てる透明な境界で、彼はその向こうにある景色を見ている。そんなふうに見えた。 

丁儀はプロジェクトへの参加に応じ、プロジェクトの建物に着くやいなや、紙に鉛筆で計算をはじめた。

自宅と同じように紙だらけになった。二時間ほどして、丁儀は計算をやめた。それから椅子を実験場まで運んでそこに腰を下ろしたが、その間もずっとパイプをふかしていた。 

こんなふうな紙と鉛筆とパイプをふかしながらの推考だけで、丁儀は球電の謎を解き明かしてしまうのです。なんともかっこいい! 

「球電は目に見える」 
ぼくと林雲は目を見交わし、苦笑いを浮かべた。 
「丁教授、それ……冗談ですよね?」 
「まだ励起されていない球電のことだよ。きみたちが言う、空気中にすでに存在している構造だ。それは目で見ることができる。光を曲げるからね」 
「どうやって見るんですか?」 
「ぼくの計算した光の屈曲によれば、肉眼で見えるはずだ」 
ぼくらは目をぱちくりさせ、また目を見交わした。 
(略) 
「でも、だれも見たことがありませんが……」 
「それは、だれも気づかないからだ」

頭脳だけで原理を探り当てる丁儀の参加で、球電発生の謎が明かされ、そのことが林雲の熱望する球電の軍事利用に道をひらいていきます。 

兵器への妄執に母の

林雲が兵器に妄執するようになったきっかけは、彼女が幼稚園生の頃、軍人だった母親が中越戦争(1979年)で殺人蜂に襲撃されて戦死したことでした。 

物語の最終盤で、林雲自身が将軍職にある父親とこんな会話をしています。 

「一週間後、おまえを迎えに行ったら、おまえは二匹の蜜蜂が入った小さなマッチ箱を肌身離さず持ち歩くようになった。先生は、刺されるといけないと思ってマッチ箱をとりあげようとしたら、おまえは大泣きして、絶対に手放そうとしなかった。その剣幕がすごすぎて、先生はびっくりしていた」 

「教えてあげる。その二匹の蜜蜂を訓練して、敵を刺してやろうと思っていたの。やつらが蜜蜂でママを刺したようにね。あのころは、自分で考えた敵を殺す方法をパパに話して、大得意になっていた。豚がなんでも食べると知ったときは、敵の住んでいる場所に豚を大量に送りこんで食糧を食べ尽くさせて、敵を餓死させるっていう作戦も考えた。ラッパの話もしたわよね。敵の家の外にラッパを置いておいて、夜中になったら自動的に恐ろしい音が鳴るようにセットする。そうやって敵を怯えさせて、眠れないようにして殺す。……ずっとそんなことばかり考えていた」 

林雲の妄執で兵器化され、林雲の暴走で引き起こす球電ーマクロ原子の顛末については、ぜひ本書を読んでご確認ください。

こうやって引用してみても、「三体0 球状閃電」は「三体」シリーズとは別物の独立した作品であるのは明白です(「三体」につながる記述はゼロではありませんが)

写真立て…むかし愛した女性

でも、「三体0 球状閃電」を読んでから丁儀が「三体」に出てくる場面を読み直すと、以前は読み飛ばしていた部分がジンワリと心に響いてきます。 

丁儀は汪淼に、写真立ての写真を見せた。ひとりの若く美しい女性士官が、ひとクラスぶんほどの子どもたちのあいだに立っている。澄み切った女性の瞳は、魅力的な笑みをたたえていた。彼女と子どもたちはきれいに刈られた緑の芝生に立ち、芝生の上では白い小さな犬が何匹か遊んでいる。彼女たちのうしろには、工場のような大きくて高い建物が見える。その壁には、色鮮やかな塗料で、動物たちや花や風船の絵が描かれていた。

「楊冬の前の恋人か。きみはリア充だったんだな」汪淼は写真を見ながら言った。
「彼女は林雲、球電研究とマクロ原子の発見に際して、鍵となる貢献をした人物です。もし彼女がいなければ、あの発見はなかったと言っても過言じゃない」
(略)
「彼女はいま、どこにいるんだい?」
「あるところに……もしくは、あるいくつかの場所にいます。……ああ、もし彼女が現れてくれたら、どんなにいいことか」

「三体II 黒暗森林」にも出てきます。 

80歳を過ぎてからの人口冬眠で、二世紀ぶりに蘇生した丁儀が、探査船で同乗する女性士官に対して「水のように美しい女性がいた頃」の話を始める。 

「きみを見ていると、むかし愛したひとりの女性を思い出すよ。彼女も階級は少佐で、きみほど長身ではなかったが、きみのように美人だった……」 

物理の探求以外に何の関心も払ってこなかった丁儀が、老境に入って「むかし愛した女性」を回顧するーー。そんな場面ひとつ取ってみても、「三体0 球状閃電」は、科学と軍事をテーマにしたゴリゴリのハードSFでありながら、主人公たちの青春と成長を描いているところが魅力なのでしょう。 

(しみずのぼる) 

『三体』予告編 – Netflix

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