カチカチ山が怖い…「異形の白昼」から曽野綾子「長い暗い冬」

カチカチ山が怖い…「異形の白昼」から曽野綾子「長い暗い冬」

きょうから複数回にわけて筒井康隆氏の名アンソロジー「異形の白昼ー現代恐怖小説集」から、選りすぐりの短編を紹介します。1回目は曽野綾子氏の「長い暗い冬」。暗く、悲しく、つらい内容で、予想外の結末に慄然とします(2023.9.6)

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屈指の恐怖小説集

まず最初に筒井康隆氏の「異形の白昼」について書きます。 

おそらく数あるアンソロジーの中でも、屈指と言ってよい有名なアンソロジーでしょう。 

1973年に立風書房から出版され、1986年に集英社文庫、2013年にちくま文庫から再刊されています。わたしの手元にあるのは集英社文庫版です。 

収められている13の短編はどれもすごく、はじめて読んだ時の戦慄は忘れられません。 

当時、収められている短編で読んでいたのは3つだけ(星新一「さまよう犬」結城昌治「孤独なカラス」筒井康隆「母子像」)だったこともあり、知人友人に「『異形の白昼』はすごいぞ」とやたら勧めた記憶があります。 

特に感銘を受けたのが、小松左京氏の「くだんのはは」と曽野綾子氏の「長い暗い冬」でした。 

「くだんのはは」を初収録 

「くだんのはは」は、東雅夫氏が再編集した「日本怪奇小説傑作集」(創元推理文庫)の3巻にも収録されています。東氏の表現をそのまま借りれば「屈指の名作と世評高く、近年における怪談文芸復興の一端緒となった作品」です。 

「異形の白昼」はそれほど多くの恐怖小説を収めた名アンソロジーなのですが、驚くべきことに、ほかのアンソロジーで紹介された小説は”ほぼ”除外して編纂したのだそうです。筒井氏の選眼力に恐れ入るばかりです。 

選定にあたって「次の点に重心を置いた」と筒井氏は書いています。 

  1. 一作家一作品とすること 
  2. 現在第一線で活躍中の作家の作品であること 
  3. 出来得る限り、他のアンソロジイに収録されていない作品を選ぶこと 
  4. 第三項と互いに抵触しない限り、現代恐怖小説の傑作とされている作品はすべて収録すること 
  5. 恐怖小説の、現代における第一人者とされている作家の作品は、すべて各一篇ずつ収録すること 
  6. 怖いこと 
  7. 小説としての完成度が高いこと 
  8. 現代を感じさせるもの 

この第3項にもかかわらず再録となった唯一の作品が、きょう紹介する曽野綾子氏の「長い暗い冬」です。 

しかし、この作品を省くわけにはいかなかった。現代恐怖小説の最高傑作といえるこの作品を省くことは、後世に残るほどのアンソロジイを編もうとするぼくの意気ごみを大きく失わせるに違いなかったからである。 

背筋を戦慄が駆けのぼる

あとがきに書かれた収録作品の短評でも、「長い暗い冬」はきわだっています。

この作品との出会いは、何年前になるだろう。大阪にいた頃だから、五年以上前の筈だ。読み終るなり、正座した(つまりそれまでは寝そべって読んでいた)。背筋を戦慄が駆けのぼった。怖いこともさることながら、悲しいし、可哀そうだし、残酷だし、まったくこんなストーリィを生み出す作者は、どんな頭をしているのかと考え、夜、眠れなかった。

筒井氏にここまで饒舌に語らせるほどの作品ーーそれが「長い暗い冬」なのです。 

絵本を読むだけの息子

ネタバレはしたくないので、あらすじの紹介もかなり絞ったものにならざるを得ません。 

特にこの短編は、筒井氏の「背筋を戦慄が駆けのぼった」ほどの読後感を味わってほしい(わたしもそうでした。決してオーバーな表現ではありません)ので、隔靴掻痒な紹介になるのは許してください。 

舞台はロンドン。スモッグで薄暗い街灯の中を帰路につく主人公は、前から歩いてくる少年に「もしや」と思い近づいてみると、7歳の息子だった。 

光之は父親に手をとられても、別に嬉しがる風情はなかった。無表情な手、無表情な顔、無表情な歩きつきである。 

主人公はロンドンの地で単身赴任の身だったが、日本に残した妻はひとり息子を残して主人公の部下と心中。息子をロンドンに呼び寄せたものの、言葉もわからず、家政婦とも言葉をかわすことなく、日本から持ってきた絵本を読むだけの毎日だった。 

光之は返事もせず、外套も脱がず、そのまま、暖炉の前にすわりこんで、マガジンラックから絵本をとって、ぼんやりとページを開いて見ている。日本から持って来た「カチカチ山」の絵本であった。光之は学校から帰りさえすればこの一冊の本を何時間でもあかずに眺めているのだった。 

発狂の恐怖にかられる

絵本を眺める息子をひとり家に残して主人公は外に出る。高校時代の旧友で精神科医が出張でロンドンに立ち寄ってくれたからだ。主人公は旧友に「眠れない」と打ち明け、診察を頼む。 

「このままでいると、何だか、自分がもちそうにないんだ」 

「最近になって、ほんとうに発狂恐怖みたいなものにかられてるんだ。発狂したら、どうしようかと思ってさ」 

「大体、この国は冬と夜が長すぎるんだ」 

主人公は旧友を伴って帰宅すると、息子は暖炉の前に座っていた。 

光之はまだ、「カチカチ山」を床の上にひろげ、かがみこんでそれに見入っていた。 

「ただいま! 光之、何だって、こんなに遅くまで、本を読んでるんだ?」 

子供は本に心を奪われているように返事をしなかった。 

(略) 

光之はなぜ、柳井と話をしないのだろう。いつも日本語がわかってもらえないからというので、仕方なく無口になりかかっていた子であるのに。 

この短編はこのあと数ページで終わります。どういう結末なのかは、ぜひ「異形の白昼」を手に取ってご確認ください。 

カチカチ山の話

先ほど紹介した筒井氏の短評には続きがあります。その引用で、この拙文を終えたいと思います。

その後、時おりこの作品のことを思い出すことがあった。しかし、題名を忘れてしまっていた。曽野綾子の書いたカチカチ山の話ーーとして記憶していた。 

アンソロジイの話がもちあがった時、第一に頭に浮かんだ作品がこれである。この本の編輯をはじめて数日後、生島治郎氏と話した時、彼はいった。 

「恐怖小説のアンソロジイをやるなら、曽野綾子のカチカチ山は入れるべきだな」 

つまり生島氏も、この作品に感銘を受け、ぼく同様の憶えかたをしていたわけである。 

内容についてはーー何も書かない。不朽の名作である。だから説明の仕様がないのである。 

(しみずのぼる) 

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