不思議な優しさと淡いかなしみ:恩田陸「常野物語」

不思議な優しさと淡いかなしみ:恩田陸「常野物語」

きょうは恩田陸さんの「常野物語」シリーズを紹介します。ゼナ・ヘンダースンを取り上げた時に「次は常野物語を」と思い定め、シリーズ3冊を再読したため、すこし間が空いてしまいました。久しぶりに読んで気づいたことを中心に書きたいと思います(2023.8.10)

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「光の帝国」は連作短編集

最初にシリーズ3冊のあらすじを文庫の背表紙から引用します。 

膨大な書物を暗記するちから、遠くの出来事を知るちから、近い将来を見通すちから……「常野」から来たといわれる彼らには、みなそれぞれ不思議な能力があった。穏やかで知的で、権力への思向を持たず、ふつうの人々の中に埋もれてひっそりと暮らす人々。彼らは何のために存在し、どこへ帰ろうとしていこうとしているのか? 不思議な優しさと淡いかなしみに満ちた、常野一族をめぐる連作短編集。優しさに満ちた壮大なファンタジーの序章。(「光の帝国 常野物語」) 

「蒲公英草紙」は直木賞候補作

青い田園が広がる東北の農村の旧家槇村家にあの一族が訪れた。他人の記憶や感情をそのまま受け入れるちから、未来を予知するちから……、不思議な能力を持つという常野一族。槇村家の末娘聡子様とお話相手の峰子の周りには、平和で優しさにあふれた空気が満ちていたが、20世紀という新しい時代が、何かを少しずつ変えていく。今を懸命に生きる人々。懐かしい風景。待望の切なさと感動の長編。(「蒲公英草紙 常野物語」) 

緊迫感あふれる「エンド・ゲーム」

『あれ』と呼んでいる謎の存在と闘い続けてきた拝島時子。『裏返さ』なければ、『裏返され』てしまう。『遠目』『つむじ足』など特殊な能力をもつ常野一族の中でも最強といわれた父は、遠い昔に失踪した。そして今、母が倒れた。ひとり残された時子は、絶縁していた一族と接触する。親切な言葉をかける老婦人は味方なのか? 『洗濯屋』と呼ばれる男の正体は? 緊迫感あふれる常野物語シリーズ第3弾。(「エンド・ゲーム 常野物語」) 

このように書くと、「不思議な能力」をもつ異質な存在が主人公を成す点と、「不思議な優しさと淡いかなしみ」のテイストが、《ピープル》シリーズを意識した起点なのだろうなと得心します。 

《ピープル》に触発され執筆

というのも、恩田さん自身が「光の帝国」のあとがきにこう書いているからです。 

子供の頃に読んだお気に入りのSFに、ゼナ・ヘンダースンの「ピープル」シリーズというのがあった。宇宙旅行中に地球に漂着し、高度な知性と能力を隠してひっそりと田舎に暮らす人々を、そこに赴任してきた女性教師の目から描くという短編連作で、穏やかな品のいいタッチが印象に残っていた。 

ああいう話を書こうと気軽な気持ちでこのシリーズを始めたのだが、その都度違うキャラクターでという浅はかな思い付きを実行したために、手持ちのカードを使いまくる総力戦になってしまった。今にしてみれば「大きな引き出し」の春田一家の連作にしてもよかったなあ、と少々後悔している。 

そうなのです。「常野物語」は、ゼナ・ヘンダースンの《ピープル》シリーズにインスピレーションを得て執筆された作品群なのです。 

といっても、恩田さんご自身が「少々後悔している」と書くように、《ピープル》シリーズのように各作品に一本芯を通すように連続して登場する人物は(今のところ)いないように思います。 

春田一家は再登場だが...

1作目の巻頭を飾る「大きな引き出し」の春田一家は、2世代前の春田一家が「蒲公英草紙」で重要なキャラクターとして登場しますが、主人公は重なっていません(「大きな引き出し」の主人公は光紀。「蒲公英草紙」に登場する男の子は光比古。年代的に推理すれば、光比古の孫にあたるのが光紀と思えます) 

1作目の「オセロ・ゲーム」は、シリーズ3作目の「エンド・ゲーム」と登場人物が同じですが、両者は「常野物語」シリーズでは、やや外れた作品です。常野一族と「絶縁していた」という設定も関係しているでしょうが、ほかの作品にみられる「不思議な優しさと淡いかなしみ」のテイストと異なることも無縁ではないでしょう。 

現在のところ、「常野物語」シリーズは、「光の帝国」所収の10作の短編と2作の長編(「蒲公英草紙」と「エンド・ゲーム」)の計12作品が読めるわけですが、わたしが一番好きなのは「大きな引き出し」です。 

「大きな引き出し」に感涙

あらゆる書物を記憶する「しまう」能力をもつ春田一家。しまう能力に意味があるのか悩む小学4年生の光紀が下校途中、おじいさんが倒れてるところに遭遇し、おじいさんが死ぬ間際にみた人生のパノラマを読みとる。幸せな結婚、3人の子どもたち、自分にそっくりな顔の長男、長男との喧嘩、勘当、長男への思い、伝えたかったこと。おじいさんの思いを、光紀はおじいさんの長男に伝えようとする……。 

これ以上の紹介は差し控えます。 

つたない紹介文だと重々承知していますが、何の先入観も持たずに読んでほしいからです。ちなみに、わたしは最初に読んだとき、ちょうど通勤電車の中だったため、嗚咽をおさえるのに一苦労しました(久々に再読して、やはり嗚咽しました) 

作者は続編を”予告” 

恩田さんは「光の帝国」のあとがきでこう”予告”しています。

拝島映子が夫を取り戻す話は、また別の機会に書いてみたい。もちろん、光紀や亜希子が大きな仕事をやりとげる話も。 

拝島母子の話は「エンド・ゲーム」でしょうから、光紀や亜希子(「光の帝国」の「歴史の時間」「黒い塔」の主人公)が登場する別作品は、いつか必ず読めるものと期待できそうです。 

「エンド・ゲーム」のあとがきでも、 

「常野物語」はまだ続きます。

と書いています。

とはいえ、「エンド・ゲーム」の刊行は2009年なので、続編の予告からすでに14年たちます。

恩田さん、わたしを含めて、常野物語の続きを心待ちにしている人は多いと思います。よろしくお願いします。 

(しみずのぼる)