名画ーー例えばゴッホの星月夜や糸杉、ヒマワリ、自画像ーーをみていると、現実世界は画家の目にどう映っているのだろう…と思うことがあります。その謎を追究して招いた恐怖を描くホラー短編を紹介します。デイヴィッド・マレルの「オレンジは苦悩、ブルーは狂気」です(2026.1.25)
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ゴッホがモデル?
きょうは最初から小説そのものを紹介します。
ファン・ドールンの絵がつねに論争の的であることは、いうまでもない。十九世紀末に彼の作品がパリの画壇にどれほど物議をかもしたかは、すでに伝説になっている。
「オレンジは苦悩、ブルーは狂気」はこんな書き出しではじまります。
色彩、構図、マチエール。これらの原理を頭においた場合、彼の創造した肖像画や風景画は、従来の絵とあまりにもかけなはれており、あまりにも革新的であるため、どの絵の主題も、ファン・ドールンがカンヴァスに絵具を塗るための口実にしか思えないほどだった。鮮烈な色彩の絵具は、熱情にあふれた斑点と渦巻きを形づくり、しばしばカンヴァスから三ミリも盛り上がるほど、浮き彫りのように厚塗りされていた。
ここまで読んで「あれ?これはフィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)をモデルにしてるのかな?」と思うはずです。
同時代の評論家にはまったく不人気であったため、数カ月も費やした労作一枚が、一回の食事代にもならないことがしばしばだった。この挫折がノイローゼを生みだした。彼が自分の肉体を傷つけたときには、セザンヌやゴーガンのような旧友たちもショックを受け、疎遠の仲になった。ファン・ドールンは無名のまま、貧窮の中で亡くなった。彼の天才がはじめて認められたのは、死後三十年を経た一九三〇年代のことだった。
主人公の「わたし」は画家を志していた大学生の頃、美術史を専攻する親友マイヤーズからファン・ドールンの画風の謎を聞かされます。
「かれの絵にはなにかの秘密が隠されている」
数週間後にマイヤーズから呼び出された。目が落ち込み憔悴した様子。部屋中に並ぶファン・ドールンの複製画。わたしが冗談まじりに「学位論文ブルースのはじまりか?」と訊ねると、
マイヤーズはビールの残りを飲みほして、新しい缶に手をのばした。「いや、ブルーは狂気だ」
「なに?」
「そういうパターンなんだよ」マイヤーズは渦巻く複製画のほうに向きなおった。「年代順に調べてみた。ファン・ドールンの狂気が進行するにつれて、ブルーがしだいに多用されていく。それと、彼にとってはオレンジが苦悩の色なんだ。伝記に書かれた私生活の危機と作品を重ねあわせると、それに対応してオレンジが多用されていくのがわかる」
批評家たちが狂死している
マイヤーズはさらに「きのう、ぼくが何を発見したか知ってるか?」と語り始めた。
「ファン・ドールンの分析に没頭した研究家たちのことなんだが……」
「それがどうした?」
「みんな発狂してる。ファン・ドールン同様に」
「なんだって? そんなばかな。ファン・ドールン研究家の書いた本は、おれも何冊か読んだよ。みんなスタイヴェサント(=マイヤーズの指導教授)とおなじように因習的で退屈だ」
「それは主流の学者たちのことだろう。連中は安全だった。ぼくがいうのは、本当に優秀な批評家たちだ。ファン・ドールン同様に、天才を認めてもらえなかった批評家たちだ」
「彼らがどうなった?」
「苦しんだ。ファン・ドールン同様に」
「精神病院へ入れられたのか?」
「もっとわるい」
「おい、マイヤーズ、気をもたせるな」
「その経過には驚くべき相似性があるんだ。彼らはめいめいに絵を描こうとした。ファン・ドールンの流儀でだ。そして、ファン・ドールン同様に、自分の目をえぐりだした」
ゴッホは自分の耳をそぎ落としましたが、ファン・ドールンは絵筆を目に突き刺して亡くなり、ファン・ドールンの画風の謎を追究した批評家たちもまた目をえぐり出して死亡している……。
その相似性に気づいたマイヤーズも、ファン・ドールンが狂死する直前に住んだ南仏の町に行き、同じ死に方をする。そして、マイヤーズが滞在した部屋に遺品整理のため向かった「わたし」が探りあてた狂気の真相はーー。
ファン・ドールン本人も、ファン・ドールンに魅入られた人たちも、最後は狂気に駆り立てられていくのはなぜなのか。読者はゴッホの絵を思い浮かべながら、その奥に潜む狂気と恐怖の世界に知らず知らず誘われていきます。
宮部みゆき編「贈る物語」
「オレンジは苦悩、ブルーは狂気」(原題:Orange is for Anguish, Blue is for Insanity)は、デイヴィッド・マレルーー映画「ランボー」の原作「一人だけの軍隊」の作者ーーが1988年に出版されたホラー・アンソロジー「Prime Evil」に書き下ろした小説で、ブラム・ストーカー賞(中篇小説部門)を受賞しています。
「Prime Evil」は新潮文庫から「ナイト・フライヤー」の表題で1989年に出版され、わたしもこの本で読みましたが、すでに品切れです。

その後、宮部みゆき氏が編纂したホラー・アンソロジー「贈る物語 Terror」(光文社刊、2006年に文庫化)に収められているので、中古本を探すなら「贈る物語 Terror」をお勧めします。

海外のホラー小説を古典・有名作品中心に宮部みゆきがセレクション。心を惹きつける、魅力的な恐怖小説をご案内します! 「猿の手」「人狼」「のど斬り農場」など、14編を収録。

知りたがるから怖くなる
「オレンジは苦悩、ブルーは狂気」は、W.W.ジェイコブズ「猿の手」、H.R.ウェイクフィールド「幽霊(ゴースト)ハント」と一緒に「知りたがるから怖くなる」という章を構成しています。 宮部みゆきさんは次のように紹介しています。
第一章に選んだ三作を並べてみて、今さらながらに、これは三つとも、何かを「知りたい」と思ったからこそ怖いことに巻き込まれてしまった人びとのお話だなーーと思いました。
「オレンジは苦悩、ブルーは狂気」の主人公も、友人の謎めいた死に疑問を抱き、真相を知りたいと思わなければ、あんな目には遭わなかったでしょう。
ファン・ドールンの狂気にまつわる真相と主人公を襲う「あんな目」は、ぜひ「贈る物語 Terror」を手に取ってお確かめください。
(しみずのぼる)
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