青春ミステリーと言ったらコレ…樋口有介「ぼくと、ぼくらの夏」 

青春ミステリーと言ったらコレ…樋口有介「ぼくと、ぼくらの夏」 

きょう紹介するのは樋口有介氏のデビュー作「ぼくと、ぼくらの夏」です。樋口氏の出世作〈柚木草平〉シリーズの原型とも言える小説で、個人的には「青春ミステリーと言ったらコレ」と言いたくなる、甘酸っぱい気持ちになれる小説です(2024.6.4) 

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ブックオフでの出会い

樋口有介氏の小説をはじめて読んだのは、かれこれ25年以上前です。 ブックオフの100円コーナーで見かけて購入したのが本作で、タイトルに惹かれて手にとったと記憶します。 

ほんとうに偶然の出会いのようで、以来(ベストセラー作家でもなんでもないのに)樋口有介氏の新刊が出るたびに購入するようになりました。 

でも「ぼくと、ぼくらの夏」の読後感を超える小説はなかったなあ… 

と思うほど、個人的にツボにはまった小説です(樋口作品でも、再読率はこれが群を抜いています) 

なぜだろうと考えると、探偵役を務める主人公の高校生と、彼に探偵役をさせる”原動力”となる女子高生の造形描写にとても惹かれるからでしょう。 

創元推理文庫で再刊

今回ひさしぶりに再読して驚いたのは、〈柚木草平〉シリーズを再刊した創元推理文庫から「ぼくと、ぼくらの夏」も2023年に再刊されていたことです。 

表紙も全然違います(創元推理文庫はもっと現代風)。何より「青春ミステリの金字塔」という表現にも面食らいます(だって文春文庫でもすぐに品切れになって、ブックオフでも100円で売られていた小説ですよ…) 

あらすじはオリジナルの文春文庫版と再刊された創元推理文庫版のどちらも紹介します。 

高校二年の気だるい夏休み、万年平刑事の親父が言った。「お前の同級生の女の子が死んだぞ」。偶然のことでお通夜へ出かけたが、どうもおかしい。そして数日もしないうちに、また一人。ぼくと親しい娘ではなかったけれど、可愛い子たちがこうも次々と殺されては無関心でいられない。担任の美人教師とやくざの娘で心ひかれる少女と力を合わせて、ぼくは真相を解きあかそうとこころみる。ほんのりと大人びた少年少女が体験する鮮烈な心の揺れを描き、開高健氏に絶賛された都会派青春小説(文春文庫版) 

文春文庫版「ぼくと、ぼくらの夏」

暑い夏、ぼくが出会ったのは、彼女と殺人事件だった…… 
「君がシャーロック・ホームズで、おれがワトソンだ」 
青春ミステリの金字塔 
毎夏、読み返したくなる不朽の名作 
  
暑い夏休みの朝、高校2年の戸川春一は同級生・岩沢訓子が、稲城大橋から飛び降り自殺をしたことを、刑事である父親から知らされる。あんなまじめそうな子が、自ら命を絶つなんて。その日の午後、彼女の死を偶然に出会った酒井麻子に伝えると、なぜか一緒に事件を探る羽目に。麻子は訓子とは中学からの親友で、高校入学後から距離をおかれて悩んでいたという。二人の探偵行は、新たな事件を引き起こし……。決して古びない瑞々しい文体で評判となった、青春ミステリの傑作(創元推理文庫版) 

創元推理文庫版「ぼくと、ぼくらの夏」

父親とのけだるい会話

「ぼくと、ぼくらの夏」は、こんな書き出しで始まります。 

あいつらは暑さに腹を立てている。わが身の悲運にヒステリーをおこしている。(略)うちの庭を棲家に決めた蝉は、蝉のくせに夏が嫌いなのだ。 

そんな真夏の朝を迎えた主人公、戸川春一と調布署刑事の父親のけだるい会話から物語は始まります。 

「いつ帰ってきたのさ」
「ちょっと前か、そのもうちょっと前だ」
(略)
「ひと寝入りする前に熱い風呂に入ったら、気持ちいいだろうな」
「シャワーでいいさ」
「シャワーなんてのは汗を流すだけだ。疲れきったからだと心を休めるには、熱い湯に首まで浸かってな、屁でもして『あんこ椿』を歌うのが一番なんだ」

こんな父親ですから、母親は家を出てしまい、日常の家事全般は主人公がやっています。風呂のガスに火をつけ、居間の雨戸とガラス戸を開け放って戻ると、父親と会話が再開します。 

「春、岩沢訓子って女の子、知ってるか」
「新聞に出てるのかい?」
「まさか。お前と同じ高校の、二年生だそうだ」
「うちのクラスだよ」
「偶然だな」
「岩沢訓子がどうしたのさ」
「死んだ」
「へええ」
「驚かないのか?」
「驚いてるよーー父さん、腹はすいてるかい?」
「夜中に、ラーメンを食った」
「なにか食べる?」
「風呂のあとでいい」
「なんで死んだの?」
「誰が?」
「岩沢訓子さ」
「自殺だそうだ。まだよく解らんが、今朝早く多摩川に釣りに来たおっつぁんが見つけた。稲城大橋の上から飛びおりたらしい。橋の上に靴と遺書があったというから、まずは自殺に間違いないだろう」
「なんで自殺なんかしたのかな?」
「さあな」

このあと主人公は父親を風呂に入れ、トーストをかじりながら岩沢訓子のことを考えます。 

顔立ち自体はけっこうきれいだった気はするが、とにかくおとなしい子だったし、勉強でも運動でも、なにか目立つものを一つでも持っている子ではなかった。あの岩沢訓子が、自殺か。今年の夏があまり暑いので、たぶん生きるのが面倒くさくなったかなにかしたのだろう。もし自殺なんかしなければ、高校を卒業したあとぼくが思い出すことも、ぜったいないような感じの女の子だったのに。 

この回想ひとつみても、主人公は感情の起伏がないというか、ドライというか、熱い青春小説なんかには絶対に登場しない高校生です。 

主人公を動かす酒井組の娘

そんな起伏のない主人公に”旋風”を巻き起こすのが、新宿をぶらぶら歩いていて偶然見かけた 酒井麻子です。 

向こうもぼくに気がついて、お互いになんとなく、ちょっと足を止めた。この春から同じクラスになったとはいえ、ぼくと酒井麻子はまだ一度も口をきいていなかった。(略)ぼくらは二歩ずつぐらい近づき合って、それぞれに「やあ」と口の中で挨拶をした。 
「いい天気だな」 
「ちょっと暑いわよ」 
「洗濯するにはいいさ」 
「それは、そうね」 
「今朝洗濯して来たんだ」 
「へええ」 
ぼくもけっこう本気で考えたのだが、天気以外の話題は思いつかなかった。 
「ええとーーじゃあな」

そのとき、ふと今朝の父親との会話を思い出した。 

「君、岩沢訓子のこと、知ってる?」
「訓子のなあに?」
「死んだこと」
正直に言って、ぼくは酒井麻子がこれほど驚くとは、思ってもいなかった。
(略)
「誰に聞いたの?」
「うちの親父」
「ああーー」
ぼくが酒井麻子の親父さんの商売を知っているのと同じように、たぶん彼女もうちの親父の商売を知っているのだ。酒井麻子の親父さんは、府中にある酒井組というヤクザの親分だった。
「事故とか、病気とか?」と、鼻の頭の汗がはっきり見えるぐらいまで顔を近づけてきて、酒井麻子が訊いた。
「自殺」
「自殺?」
「そう」
「嘘!」

酒井麻子はしばらく主人公を質問攻めにしたあと、こう続けた。 

「戸川くん、気がついてた? 四月に同じクラスになってから、わたしたちが口をきくの、今日が初めてよ」
「チャンスがなかった。気が弱くてさ」
「解ってるの。戸川くんのお父さん、刑事だしね」
「みんな本当は、ちゃんと気を使ってるのよ。それでいて気楽そうにやってるわけ。訓子はーーあの子ね、家も近かったし、小学校からずっと一緒だったの。うちに遊びに来たのはあの子だけ。気にしないって言うの。わたしが考えすぎだって。でも現実ってそうはいかないもの。あの子の家は普通の会社員でしょう? それでわたしのほうから付きあわないようにしてたの。でも今まで友達って言えたの、訓子だけだった」

こうして「自殺の真相を知りたい」と言い出した酒井麻子に引きずられる形で、主人公は岩沢訓子の死の真相を調べるようになるーー。 

脇筋の挿話も楽しい

ふつうのミステリーなら「死の真相」に向かってページが進んでいくのですが、本書はいろいろと寄り道します。 たとえば、主人公の家に押しかけて来た酒井麻子と父親の会話を紹介しましょう。 

「わたし、府中の酒井組の娘です」
「ああ、そうですか」
「でも家は昔からのテキ屋で、暴力団とはちがいます」
「なるほど」
「覚醒剤とか売春とか、ああいうものはやってません」
「あれはやらないほうがいいです」
「でもヤクザはヤクザなんです」
「そりゃまあ、そうですな」
「でもーー」
「はい?」
「まともなヤクザなんです」
「なるほどーー」

主人公は「笑いをこらえるのに精一杯だった」 

こんな主人公と酒井麻子の凸凹コンビが事件の真相に迫っていくのですが、酒井麻子の活躍する場面も出てきます。 

岩沢訓子には自分たちの知らない交友関係があったのではないか…という推理から、ゲーム喫茶でたむろす男のグループに声をかけた。 

「あんたたちに訊きたいことがあるの」と、サングラスやリーゼントやらの男たちを見おろして、麻子さんが言った。
男たちが仲間同士で、顔を見合わせ、次の瞬間には、なにが面白かったのか、その五、六人が一斉に下品な笑い声をあげはじめた。
「このお嬢さん、俺たちに今夜暇かって訊くつもりだぜ?」と、グリスをべったりなすって鼻の下に髭をはやした男が、笑いながら仲間の顔を見まわした。やわらかいゼリーをぐちゃっと捻りつぶすような、なんとなく不気味な口調だった。
「俺たちの誰とやりてんだい? はずかしがらずに言っちまいな」と、髪を金色に染めた太った男が、煙草をくえた歯を、にっとむきだした。
「それとも全員でお相手するとかな」
男たちがまた一斉に哄笑したが、麻子さんは怯みも、泣きだしもしなかった。
最初の口髭の男に、また麻子さんが言った。
「あんたこの辺の暴走族の親分でしょ? 名前は知らないけど」
「おい、俺たちのことを暴走族だとよ。そんなに有名なのかい?」
「ただの不良っていう意見もあるわね」
「インネンつけてるぜ。え? こいつぁたまげた」
「あんたと冗談を言いにきたわけじゃないの、ちょっと訊きたいことがあるだけ」
「偉そうな口きくじゃねえか。本当に一発かわいがってやってもいいんだぜ? そっちの坊やと一緒によう」
「彼は調布署の戸川刑事の息子、わたしは酒井組の酒井麻子よ」
男たちのにやにや笑いが、黒板拭きで消されたようにぴたりと止まり、レコードの音までが、その瞬間宙に浮いたままどこかで凍りついたような感じだった。もちろん男たちを恐れ入らせたのは、調布署ではなく、酒井組だった。ぼく一人だったら逆に袋だたきにあっていたところだ。
「訊いてもいい?」と、氷を熱湯で解かすような声で、麻子さんが言った。
髭の男がうなずき、他の仲間にも、おとなしくしろというように目で合図しをした。
「深大寺学園の女の子で、誰か遊んでる子の心あたりはない?」

場面が鮮やかに目に浮かぶ描写にも、酒井麻子のカッコよさにも、目をみはるばかりです。

暴走族への聞き取りから、死んだ岩沢訓子が、校内ではまったく友人同士のそぶりを見せなかったクラスメートと新宿のディスコを出歩いていたことを突き止める。 しかし、ふたりで会いに行った日の夜、クラスメートは轢き逃げ事故にあって死亡するーー。 

相次ぐ女子高生の死に、調布署も事件性ありと判断して捜査に乗り出しますが、主人公が独自に探り当てた真相と犯人は……。このあたりは本書をぜひ手に取ってお確かめください。 

柚木草平と美女を連想させる

本書を読むと、どうしても〈柚木草平〉シリーズとの共通点に気づかされます。

「ぼくと、ぼくらの夏」の主人公が38歳になったらこんな感じになるのでは…とまず思いますし、加えて、犯人像や事件の背景となる話が柚木草平シリーズの第1作「彼女はたぶん魔法を使う」を連想させるのです。

樋口作品でキーワードとも言える「美女」に関する以前の記事を再掲します。 

美女のほんとうの顔を探り当てた場面で、その美女に対して柚木草平はこう言います。  

「君、カモノハシって動物、知っているか」
「鴨の足?」
「カモノハシ。顔がアヒルで躰がカワウソ。そいつはビーバーにそっくりの尾っぽに水掻きのついた足を持ってる。おまけに卵を産んで、孵った赤ん坊は自分の乳で育てるそうだ」
(略)
「後学のために言うと、俺の娘はそのカモノハシって動物を可愛いと感じるそうだ」
「だから、それがいったい、なんだっていうのよ」
「人間にも見ただけでは正体のわからない生き物が、いるものだってことさ。君に比べればカモノハシのほうが、たぶん俺には、理解しやすい」

強烈ですねぇ。でも、樋口氏の小説に出てくるのは、だいたい「見ただけでは正体のわからない」美女が付き物と言って過言ではありません。  

小4の愛娘に翻弄される主人公…樋口有介〈柚木草平〉シリーズ 

ひさしぶりに読み直すと、わたしも「青春ミステリの金字塔」「毎夏、読み返したくなる不朽の名作」という気がしてきました。 

少なくとも、わたしの愛読書の一冊であることは間違いありません。おすすめです。 

(しみずのぼる) 

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