せつなく、懐かしく、心洗われる:朱川湊人「花まんま」

せつなく、懐かしく、心洗われる:朱川湊人「花まんま」

きょう紹介するのは朱川湊人氏の短編集「花まんま」です。2005年の直木賞受賞作です。せつなく涙を誘う幽霊譚あり、笑いをこらえるのが苦しい不思議譚ありですが、共通するのは貧しくも幸せだった頃への郷愁です(2024.1.16)

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笑って泣ける短編集

郷愁と書きましたが、同書所収の短編は主に昭和30~40年代、しかも大阪の下町を舞台にした物語です。 

その時代を知っている人や大阪の地で生まれ育った人には、とても共感できる部分があると思うのですが、それ以外の、特に若い世代の人はどんな読後感を抱くのだろう、もしかしたら心に響かないのではないか…と思い、紹介をためらう気持ちもあります。 

でも、例えば、藤沢周平池波正太郎、あるいは宮部みゆきさんあたりの時代小説を読んでいて、涙することがあります。 

その時代に生きているはずもないのに、なぜか郷愁に誘われ、せつない気分にさせられます。記憶のDNAでもあるのでしょうか。 

であるなら、いまの若い人たちでも、大阪と縁のない人でも、「花まんま」は笑って泣ける好短編集ではないか……。そんなふうに思い直して紹介することにした次第です。 

最初にAmazonに載っている「花まんま」(文春文庫)の紹介文を引用しましょう。 

母と二人で大切にしてきた幼い妹が、ある日突然、大人びた言動を取り始める。それには、信じられないような理由があった…(表題作)。昭和30~40年代の大阪の下町を舞台に、当時子どもだった主人公が体験した不思議な出来事を、ノスタルジックな空気感で情感豊かに描いた全6篇。直木賞受賞の傑作短篇集。 

6篇すべてを紹介するのは紙幅の都合からも適当ではないので、「トカビの夜」「摩訶不思議」を紹介します。 

トカビの夜

最初に紹介するのは「トカビの夜」です。 

昭和40年代の大阪、長屋風の文化住宅を舞台に、病弱で亡くなった在日朝鮮人の小学生チェンホが死後に「トカビ」となって近所に出没するようになった…というストーリーです。 

「トカビ」と聞けば、韓流ファンならすぐに「トッケビのことね!」と思い至るでしょう。文中にもこう出てきます。 

「近所の話を聞いてな、ハルモニが、チェンホはトカビになった言うて毎日泣いとる。焼いてもうたんが、いかんかったやってな」 

ハルモニは、朝鮮語で祖母のことだ。 

「何や、トカビって」 

聴きなれない言葉を耳にして、私はチュンジに尋ねた。 

「俺もようは知らんけど、朝鮮のお化けみたいなもんや。いたずらばっかりする小鬼なんやて」 

後に私が読んだ本によると、多くはトッカビとかトッケビ、トクカビと発音されるものらしい。だが、この時チュンジが言っていたのは、確かに”トカビ”だった。日本で生まれ育った彼には、原語の発音が難しかったのかもしれない。 

チェンホが幽霊になって出没すると口にする近所の人たちに、チェンホの兄チュンジは腹を立てた。 

「考えてもみい。もしチェンホが幽霊になったんやったら、まっさきに家に帰ってくるはずやろ。せやけど、うちには何もないんやで。足音一つでもええ、もし聞こえたら、アポジもオモニも大喜びや」 

遊ばなかった悔恨

主人公はチェンホの生前、チェンホの母親に頼まれて怪獣図鑑を持って家を訪ね、一緒に遊んでやったことがあった。と同時に、チェンホが主人公の家に遊びに来た時、ほかの日本人の友達が一緒だったため、遊んでやらなかった悔恨も……。 

幽霊のうわさが出てしばらくして、チェンホの母がチュンジを連れて訪ねて来た。 

「うちの子が死んでから、変なことがいっぱいあるって聞きました。きちんと喪礼したんですけど、足りなかったのかも知れません」 

奇妙な発音でこう言いながら、チュンジの母親は息子の持った紙袋から一掴みのトウガラシを取り、私の母に手渡した。 

「うちのオモニが、チェンホはトカビになったと言ってます。すみませんが、このトウガラシをちょっとずつ、家の戸と窓にぶら下げてください。そしたら、変なこと止まります」 

そう言うチュンジの母親は、目に涙をいっぱい溜めていた。その後ろで、チュンジがくやしそうに唇を嚙みながら、うっかりこぼしてしまった涙を、忙しく手の甲でぬぐっていた。 

「トカビは火が嫌いです。赤いトウガラシを下げておくと、火が燃えていると思って、近くに来ないのです」 

主人公がトカビを見たのは、家の窓にトウガラシをぶらさげて3日後のことだった。 

夜中に不意に目が覚めて、主人公は心の中で、 

(チェンホ……近くにいるのかい?) 

と呼びかけた。そして、窓にぶら下げたトウガラシを外に投げ捨てた。 

すると、部屋の真ん中にチェンホがいた。生きている時そのままの姿で、あの人懐っこい笑顔を浮かべて。主人公は声をかけた。 

「そうや、リモコン戦車やるか?」 

「この間電池を取り替えたばっかりやから、調子はばっちりやで。そうそう、怪獣の本も、好きなだけ見てええよ。人形もたくさんあるし、それにサンダーバードなんかどうや。ウルトラホークもかっこええやろ」 

「好きなだけ遊んでええよ。今日は全部貸したるわ。朝まで遊んだって構わんで」 

そして、主人公はこう続けた。 

「そのかわりな、チェンホ……好きなだけ遊んだら、いっぺんだけ家に帰ったりぃな。お母さんもお兄ちゃんも、お前に逢いたがっとるで」 

「トカビの夜」は、東雅夫氏編「平成怪奇小説傑作集」(創元推理文庫)の2巻にも収められています。こんなふうに紹介されています。 

貧しい庶民が片寄せ合うようにして暮らす大阪の下町を舞台に、異民族差別の問題なども交えて、朝鮮の妖怪「トカビ」をめぐるノスタルジックな回顧談が綴られてゆく。当時、子供たちの間で一世を風靡した怪獣ブームや、地元洋菓子店「パルナス」のテレビCMソングといった懐かしのアイテムを投入することで、おのずから世代的共感を掻き立ててやまない手法は、作者の独壇場だろう。 

摩訶不思議

次に紹介する「摩訶不思議」は、大阪が舞台なのは同じですが、趣がまったく異なります。 

主人公アキラの叔父にあたる「ツトムおっちゃん」が亡くなった。パチンコや競馬で放蕩三昧、女性にもだらしなかったおっちゃんの口癖は「世の中、不思議なもんやなぁ」だった。 

おっちゃんには内縁の妻がいた。労務者相手の安食堂で働いて、仕事をしないおっちゃんを養っていた。「どことなく『ガラモン』という怪獣に似ている。髪にモジャモジャのパーマをあてている」カツ子さんだ。 

しかし、おっちゃんにはカツ子さんとは別に、カオルさんという恋人もいた。小さなスナックで働いていて、アキラはおっちゃんからカオルさんとの連絡役をさせられていた。 カオルさんも「わたしは日陰の女だから」と言い、葬儀に出られない代わりにアキラに別れの品をお棺に忍ばせることを頼んでいた。 

葬儀は無事に終わった。おっちゃんを乗せた霊柩車が火葬場に向かった。 

動かない霊柩車

ところが、火葬場の直前で、霊柩車がエンストを起こして動かなくなった。それだけではない。霊柩車自体がびくともしない。火葬場の人たちも手伝って、男6人で後ろから押しても動かない。棺桶だけでも火葬場に運ぼうとすると、今度は霊柩車の扉が開かない。 

「ツトムさん、もう往生しなはれ」 

「恨まんといてな」 

「南無阿弥陀仏」 

どう声をかけて押しても霊柩車はぴくりとも動かない。そんな様子をみて、アキラの妹が口にした。 

「おっちゃん、きっと燃やされたくないんや」 

(略) 

何気ないヒロミの一言が、場の雰囲気を大きく変えていた。この不思議な出来事はすべて、おっちゃんの執念のなせる業だと誰もが信じこんでしまったのだ。 

アキラも思った。 

(おっちゃん、どうしてもカオルさんに会いたいんやな) 

火葬場が修羅場に

「どこまで人に迷惑かけたら気が済むんや。いっつもそうやったで、お前は。自分のしたい放題やって親父お袋泣かして……俺かてお前のために、何べん他人様に頭下げたと思うてんねん。ほんま、もうウンザリや。せめて往生際くらい良くせいや。なぁ」 

そう言って泣き出した父親を見て、アキラはたまらず霊柩車に駆け寄った。 

「おっちゃん、カオルさんやろ? カオルさんに会いたいんやろ? 今すぐ呼んで来るよって、ちょっと待っててや」 

葬儀の場が修羅場に変わる様は想像がつくでしょう? 

カオルさんが火葬場に呼ばれて、敵意むき出しのカツ子さんを横目に霊柩車に近寄り、「ウチのこと、待っててくれたんか……嬉しいで、ほんまに」と声をかけると、エンジンがかかった。 

その場で見ていた親類や火葬場の人たちから、どよめきが起こった。同時にカツ子さんが、うわぁ! と叫んで泣き崩れる。 

ところが、いざ出発しようとした時、霊柩車のエンジンがとまった。「今度は、どうしたんや」「またかいな」 

カツ子さんが勝ち誇ったように言った。 

「ほれ見い、こんな女じゃあかんのや」 

「見かけはちょっといいかも知れんけどな、しょせん酒場の年増女やないか。あん人が本気になるわけないわ」 

カオルさんも負けていなかった。 

「何言うとんの。あんたみたいに、ろくに身なりも構わん女が家でガミガミ言うとったら、ツトムさんかてたまらんわ」 

ふたりのつかみ合いになって、まさに修羅場と化したその時、ヒロミがまた口を開いた。 

「おっちゃん、もしかしたらヤヨイちゃんに会いたいんやないかなぁ」 

「摩訶不思議」を最初に読んだ時、通勤途中だったため、ヒロミの一言で思わず吹き出してしまい、とてもばつが悪かった記憶があります。 

なお、この物語はラストがとてもいいです。エンディングのほのぼとした情景こそ、作者が「摩訶不思議」というタイトルに込めたものなのでしょう。 

表題作の「花まんま」を含めて、どれも好短編がそろっています。 

せつなく、懐かしくーー。 

日常の喧騒に疲れて、そんな気持ちに浸りたくなったら、ぜひ本書をひもといてみてください。心洗われる思いがするでしょう。 

(しみずのぼる) 

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