小説も映画もいい…きっとドラマも:三浦しをん「舟を編む」

小説も映画もいい…きっとドラマも:三浦しをん「舟を編む」

三浦しをん氏の本屋大賞受賞作「舟を編む」がドラマ化されるそうです。ドラマ化の記事を読み、小説を読み直し、映画を観直し、この傑作のドラマ化がとても待ち遠しくなりました(2023.12.4)  

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辞書編纂の14年を描く

あらすじを光文社文庫の背表紙から紹介します。 

玄武書房に勤める馬締光也。営業部では変人として持て余されていたが、人とは違う視点で言葉を捉える馬締は、辞書編集部に迎えられる。新しい辞書『大渡海』を編む仲間として。定年間近のベテラン編集者、日本語研究に人生を捧げる老学者、徐々に辞書に愛情を持ち始めるチャラ男、そして出会った運命の女性。個性的な面々の中で、馬締は辞書の世界に没頭する。言葉という絆を得て、彼らの人生が優しく編み上げられていく―。しかし、問題が山積みの辞書編集部。果たして『大渡海』は完成するのか―。 

2013年に製作された映画は、小説のストーリーにとても忠実です。特に主人公の馬締光也を松田龍平さんが見事に演じ、この映画を観て以降、小説を再読しても「馬締=松田龍平」以外を思い描けなくなりました。 

YouTube Asmik Ace 公式チャンネル 映画『舟を編む』予告編

小説は5章からなりますが、1995~96年の前半(1、2,3章)と2008~09年の後半(4、5章)の2部構成です。 

1章があらすじの「定年間近の編集者」--荒木が後継を託す馬締を見つけ出すところまで。2章が馬締が辞書を作ることを生涯の仕事と思い定めると同時に、運命の女性ーー香具矢(かぐや)と出会い、恋が成就するまで。3章が、あらすじの「チャラ男」ーー西岡の視点から、馬締が辞書編纂に打ち込む姿が描かれ、西岡が辞書編集部を去るところまでが描かれます。 

4章は、3章までの時間から12年の歳月が立ち、ファッション雑誌の編集部から配属された岸部みどりの視点から、岸部が辞書の世界の魅力に気づくと同時に「大渡海」がいよいよ刊行に動き出し、5章は、馬締や岸部、嘱託として復帰した荒木らが様々な困難を乗り越えて「大渡海」刊行にこぎつけるまでが描かれます。 

ドラマは後半だけ対象

24年2月スタートのNHKドラマ「舟を編む」は、小説や映画の後半部分だけが対象で、主人公も岸部みどりとなるそうです。 

小説や映画とはかなり雰囲気が変わってしまいそうですが、岸部みどりを主人公に据えたのなら、きっとお仕事ドラマのようで、これはこれで傑作になりそうだ…と今から楽しみです(脚本はNHKドラマ「これは経費で落ちません!」を手がけた蛭田直美さんが担当。やっぱりお仕事ドラマ路線なのでしょうね) 

言葉へのこだわり随所に

小説「舟を編む」の魅力は、言葉へのこだわりが随所に出てくるところです。

例えば、荒木が営業部で変人(お荷物)扱いされている馬締をスカウトする場面です。 映画では「きみは『右』を説明しろと言われたら、どうする」と出てきますが、その部分も小説にはありますが、「島」の説明のほうを紹介しましょう。

「そうですねえ。『まわりを水に囲まれた陸地』でしょうか。いや、それだけではたりないな。江の島は一部が陸とつながっているけれど、島だ。となると」 

馬締は首をかしげたままつぶやいた。荒木の存在などすでにそっちのけで、言葉の意味を追求するのに夢中になっている様子だ。 

「『まわりを水に囲まれ、あるいは水に隔てられた、比較的小さな陸地』と言うのがいいかな。いやいや、それでもたりない。『ヤクザの縄張り』の意味を含んでいないもんな。『まわりから区別された土地』と言えばどうだろう」 

これは相当なものだ。あっというまに「島」の語義を紡ぎだしていく馬締を、荒木は感心し見守った。以前、同じ質問を西岡にしたときなど、ひどかった。西岡は、「しま」と聞いても「島」しか思い浮かべられず、しかも、「海にぽっかり浮かんでいるもの」と答えたのだ。あきれかえった荒木が、「ばかもん! じゃあ、クジラの背中も土左衛門も『島』なのか!」とどやしつけても、「あれー、そっか。難しいなあ。なんて言えばいいんですかね」と、へらへら笑うばかりだった。 

こんなふうに言葉の意味の追求が随所に出てきます。

ちなみに、映画では原作にない語義が出てきます。これは(三浦しをんさんに大変申し訳ありませんが)映画が小説を上回ったと思える表現です。「恋」ーー馬締が香具矢(映画では宮崎あおいさん)に告白し、恋が成就する場面に出てきます。

こい【恋】

ある人を好きになってしまい、
寝ても覚めてもその人が頭から離れず、
他のことが手につかなくなり、
身悶えしたくなるような心の状態

成就すれば、
天にものぼる気持ちになる。

西岡に気持ちがシンクロ

わたしは言葉への感度が低いせいか、西岡同様に「あれー、そっか。難しいなあ」で済ませてしまう部類です。そのためもあってか、実は小説も映画も西岡(映画ではオダギリジョーさん)にいちばん惹かれ、惹かれただけでなく、西岡の場面で何度も嗚咽しました。 

ドラマは主人公が岸部みどり(映画では黒木華さん、ドラマでは池田エライザさん)だそうですから、小説と映画の魅力を紹介するこの文章では、あえて脇役である西岡にスポットを当てたいと思います。 

馬締が辞書移動部に異動してきたときから、西岡には予感があった。俺はお払い箱になるな、という予感が。 

(略) 

羨望も嫉妬もあるけれど、西岡はどうしても馬締を憎めなかった。その尋常ならざる熱意も含め、馬締は目がはなせない存在だった。馬締の危うさを見守り、商売としての辞書づくりへと誘導していけるのは、自分しかいないと任じていた。 

俺が宣伝広告部に異動したら、辞書編集部は、まじめは、どうなるだろう。 

不安がよぎり、西岡はめずらしく仕事に邁進した。 

もう、こういう文章でもうるっとします。映画でもオダギリジョーさんが「羨望も嫉妬もあるけれど…馬締を憎めなかった」西岡をとてもよく演じています。 

俺の悔しさなさけなさ

西岡が大学時代からつかず離れずで付き合っている彼女ーー三好麗美(映画では池脇千鶴さん)に、はじめて本心を打ち明ける場面はひたすら涙です。 

部屋でテレビを見終えてソファーでくつろぐひととき。西岡が「辞書ってどう思う?」と麗美に訊ね、中学生の時に辞書で「fish&chips」を引いたら「フィッシュ&チップス」と書いてあったという話でひとしきり笑った後、麗美の口についた一言で堰を切った。 

「まー君、いい辞書作ってね」 

痛みを感じるほどの速度で、熱の塊が西岡の喉を上ってきた。 

(略) 

「だめなんだ」 

咽ばかりかまぶたまで熱くなり、西岡はうつむいた。「宣伝広告部へ異動になる。俺は辞書編集部からはずされた」 

こんな弱音を吐くなんて、悔しい。なさけない。でも、やっとひとに打ち明けることができた。小石のように硬く冷たく肉に食い込んでいた、俺の悔しさなさけなさを。 

麗美はしばらく動かず、黙っていた。そしてなにも言わないまま、西岡の頭を胸に抱き寄せた。 

水面に落ちたきれいな花をすくうような手つきで。 

映画では、麗美は同じ出版社の営業部員という設定で、この翌日、社員食堂で食事中の馬締の前に麗美が姿を現します。 

「西岡さん、元気ですか」 「西岡さんって仕事できるの」 

「西岡さんがいなかったら『大渡海』はできません」 

この会話の後、麗美から西岡の異動を聞かされた馬締が走り出すシーンになります。池脇千鶴さんの怒っているような表情もよければ、オダギリージョーさんの哀切あふれる表情も大好きです(サントラ盤では「走る走る馬締」という曲目です。これもいちばん好きな曲です) 

馬締の言葉に救われる

映画では、西岡と麗美が馬締が住むアパートに招かれて車座でお酒を飲む場面もあり、 

「おれは西岡さんが異動になること、本当に残念に思います。頭でっかちだけじゃ、生きた辞書は作れない。僕にそう教えてくれたのは西岡さんです」 

という馬締の一言に、西岡が「おれを泣かせるなよ」と言って泣き出すシーンが出てきます。 

麗美を含めて3人で車座で飲むシーンは小説にはありませんが、馬締の一言で西岡が救われる場面があります。 

「西岡さん。俺は、西岡さんが異動になること、本当に残念です。『大渡海』を血の通った辞書にするためにも、西岡さんは辞書編集部に絶対に必要なひとなのに」 

「ぶぁーか」 

西岡は素っ気なく言い、馬締の手もとから原稿をかすめ取った。馬締が赤鉛筆で書いた修正案をもとに、教授に確認のメールを打つ。 

なるべくまばたきを減らして、パソコンの画面を見据えるようにした。うっかりすると泣いてしまいそうだ。 

うれしかった。もし、馬締以外のものが言ったのなら、同情か心にもない慰めだと受け取っただろう。西岡にはわかった。馬締の言葉は真情から発されたものだ。 

西岡は馬締のことを、辞書の天才だけど要領が悪く、自分とはまったく通じるところのない変人だと思ってきた。いまだって、そう思っている。学生時代に馬締が同じクラスにいても、まずまちがいなく友だちになることはなかったはずだ。 

そんな馬締の言葉だからこそ、西岡は救われる。要領が悪く、嘘もおべっかも言えず、辞書について真面目に考えるしか能のない馬締の言葉だからこそ、信じることができる。 

俺は必要とされている。「辞書編集部の無駄な人員」では、決してなかった。 

そう知ることの喜び。こみあげる誇り。 

馬締はといえば、いま自分が西岡を救ったのだとは夢にも思わぬ風情で、もとどおり机に向かっている。 

西岡の気持ちに自分を投影して、泣いたり喜んだりするのは、決してわたしだけではないでしょう。 

「舟を編む」のドラマ化で、小説や映画が再び脚光を浴びるかもしれません。そんなときはぜひ、西岡にも心を寄せてもらえたらうれしいです。 

(しみずのぼる) 

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