人間と植物、動物、あやかしが共存している世界…「家守綺譚」

人間と植物、動物、あやかしが共存している世界…「家守綺譚」

きょうは梨木香歩さんの小説を近藤ようこさんが漫画化した「家守綺譚」を紹介します。不可思議だけど穏やかでやさしい雰囲気をまとった原作の魅力を見事に描写していて、かれこれ20年ほど前の原作にもふたたび光があたるきっかけにもなっています(2025.12.14) 

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今年9月に漫画化され話題に

「ふたたび光があたるきっかけにも…」というのは、恥ずかしながらわたしのことです。 

梨木果歩さんの小説は「西の魔女が死んだ」以来幾度か手にしていますが、熱心な読者とは言えず、2004年に新潮社から出版され、2006年に文庫化された「家守綺譚」は未読でした。 

梨木果歩「家守綺譚」(新潮文庫)

その「家守綺譚」が近藤ようこさんの手で漫画化され、今年9月に上下2冊の単行本で出版されました。

わたしは、漫画化について取り上げたAERA DIGITALの記事を読み、恥ずかしながらはじめて「家守綺譚」のことを知りました。 

『家守綺譚』の舞台は明治時代。売れない文筆家・綿貫征四郎は亡友・高堂の家に住み、「家守」として暮らしている。ヒツジグサ、木槿、野菊など植物の名がつけられた短い章がつらなっていく。 

「短編小説が好きで、『家守綺譚』を読んだ時、漫画になったら楽しそうだな、と思いました。植物や小動物、妖怪のような存在も出てくるので、造形を考えるのが面白そうだな、と。作品の舞台は曖昧にされていますが、見当はつく。梨木さんが書く風景や風土も魅力的です」 

綿貫は庭のサルスベリに懸想され、河童の衣を拾い──と、さまざまな怪異に出会う。床の間の掛軸から亡友が現れると「会いに来てくれたんだな」と、自然に会話する。人間と植物、動物、あやかしが共存している世界が心地よい。 

AERA DIGITAL – 「原作にできるだけ忠実に」 穏やかな“怪異たち”と過ごす傑作小説を漫画化『家守綺譚』 

ほう、これはおもしろそう!原作も漫画も読んでみたい! 

そう思ってじっくりと原作と上下2冊の漫画を味わい尽くしました。そして、わたしのような人がきっといるだろう…と思って、「ふたたり光があたる」云々と書いた次第です。 

漫画版「家守綺譚・上巻」(新潮社)
漫画版「家守綺譚・下巻」(新潮社)

原作も漫画もどちらも素晴らしく、気になった方は漫画でも原作でもお好きな方を手に取ってもらえればと思いますが、近藤ようこさんがAERA DIGITALの記事で「漫画と小説は表現が違うので、まったく同じにはできないのですが、独自の解釈は入れないようにしています」と言われていることもあり、引用は原作から行うこととします。 

仔竜小鬼人魚亡友等数多

最初に、新潮社による原作の紹介文をごらんください。 

庭・池・電燈付二階屋、汽車駅近接、四季折々草花鳥獣仔竜小鬼人魚亡友等数多。
それはついこの間、ほんの百年前の物語。サルスベリの木に惚れられたり、飼い犬は河童と懇意になったり、庭のはずれにマリア様がお出ましになったり、散りぎわの桜が暇乞いに来たり。と、いった次第のこれは、文明の進歩とやらに今ひとつ棹さしかねている新米知識人の「私」と天地自然の「気」たちとの、のびやかな交歓の記録――。

https://www.shinchosha.co.jp/book/429903/

見出しの漢字ばかりの一文がイカシてます。真ん中の「四季折々草花鳥獣獣」と続く「仔竜小鬼人魚亡友」が同じ延長線上に並んでいます。この同列なところが本書のミソです。 

前述の記事も「人間と植物、動物、あやかしが共存している世界が心地よい」と指摘しています。 

時期は「ついこの間、ほんの百年前」ーー出版年(2004年)から逆算すれば明治37年ですから、明治後半と思えばよいでしょう。舞台は本文中に出てくる地名から京都の奥、滋賀県に近い山科あたりでしょう。 

主人公は文筆で何とか生計を成り立たせている綿貫征四郎。湖にボートで出たまま行方不明になった旧友の父から家守を頼まれ、庭付きの一軒家に住むことになったところから、第1話「サルスベリ」ははじまります。 

サルスベリに懸想され

旧友の父からは「庭の手入れはご随意に」と言われたことに甘えて全く手を入れることはしなかった。

庭のサルスベリが花を咲かせるようになったのも、「仕事に逸る植木屋に理不尽に矯められなかったことが幸いしたのであろう。私の功績は植木屋の挟(はさみ)から解放してやったことだ」 

サルスベリというぐらいだから、木肌はすべすべとしていて撫でると誠に気持ちがよろしい。それで文章に躓いて考えあぐねて庭を回っているときには、つい、サルスベリを撫でてやるのが日課になった。 

サルスベリの花は房状で「風が吹くと座敷の硝子戸をかすかな音でたたく」ようになった。 

ある日、夕方から風雨が激しくなり、夜中に硝子戸がきいきい音を立てた。何事かと思い、起き出して硝子戸を見に行くと、「サルスベリの花々が硝子に体当たりをしてきているのだった」 

大枝ごとに押し寄せるようにぶち当たり、またざっと波を退くようにいったん退いて、同じことを繰り返す。その音が、次第に幻聴のように聞こえてくる。……イレテオクレヨウ…… 

すると今度は掛け軸の方から音が聞こえてきた。水辺の葦の風景で白サギが水の中の魚にねらいを付けている絵柄だが、よく見ているとサギが脇によけてボートが一艘近づいてくる。漕ぎ手は、湖で行方知れずとなった旧友、高堂だった。 

ーーどうした高堂。
私は思わず声をかけた。
ーー逝ってしまったのではなかったのか。
ーーなに、雨に紛れて漕いできたのだ。
高堂は、こともなげに云う。
ーー会いに来てくれたんだな。
ーーそうだ、会いに来たのだ。しかし今日は時間があまりない。
高堂はボートの上から話し続ける。
ーーサルスベリのやつが、おまえに懸想をしている。

木に惚れられたときにどうすべきか。またどうしたいのか、まるで思いもしないことだった。
ーー迂闊だったな。
高堂は明らかにおもしろがっていた。
ーーあれはああ見えて、存外話し好きのやつだから、ときどき本でも読んでやることだな。そのうちに熱も冷めるだろう。
ーーなるほど。
本を読んでやるぐらいなら私の日常からさほど逸脱することもない、無理のない仕事であった。
ーーそうするよ。
ーーそうしたまえ。それではな。

風雨激しい夜と亡き旧友との邂逅が、まさに同列に並んでいます。

巻頭を飾る「サルスベリ」の最後の段落をそのまま引用しましょう。 

それから午後はサルスベリの根方に座り、本を読んでやる。あまり撫でさするのはやめた。サルスベリも最初は不満げであったが、次第に本にのめり込むのが分かる。サルスベリにも好みがあって、好きな作家の本の時は葉っぱの傾斜度が違うようだ。ちなみに私の作品を読み聞かせたら、幹全体を震わせるようにして喜ぶ。かわいいと思う。出版書肆からはまだまともに相手にされないが、サルスベリは腐らずに細々とでも続けるように、と云ってくれている。それで時々魚を下したときの内臓などを根方に埋めてやっている。来年は程々に花を咲かしてくれればいいと思う。 

サルスベリはその後もちょくちょく登場するのですが、第4話「ダァリヤ」では思わず笑ってしまいました。 

駅まで原稿を届けに行く途中に赤い花の咲く家があった。 

髪を三つ編みにした娘さんが庭を掃いていた。ふと目があった。私は何しろ気分が高揚していたので、
ーー美しい花ですね。
と、声をかけた。娘さんは頬を赤く染めて、
ーーダァリヤ、というのです。
と答えた。

燃えるような暗い赤の花、びろうどのような花弁。家守する一軒家の花木にはない味わいだった。 

気になるものはつい文章に書いてしまう。文章に書くとついサルスベリに読み聞かせてしまう。それが過剰に彼(か)の花を讃えたもののように聞こえたらしい。サルスベリは機嫌が悪い。いちどきに頭から虫喰い葉や小枝を降らせたので這々の体で家の中に入った。 

事件らしい事件が起こるわけでもありません。AERA DIGITALの記事は「穏やかな”怪異”」と表現しますが、サルスベリとの交歓などは怪異とは呼べないものです。亡き旧友とのやりとりも、「怪異」という表現で思い描くものとは大きくかけ離れています(だからチョンチョンガッコではさんでいるのでしょうが…) 

我々の魂はいまだ旅の途上

薬屋に売るためムカデを集める長虫屋、ふきのとうを集める小鬼、寒い日に玄関に降り立つ犬を乗せた鳶(とんび)ーー。それらが同じ延長線上で描かれる「家守綺譚」の第23話「セツブンソウ」に、こんな文章が出てきます。 

執筆にはペンとインキを用いているのに、筆が進まないとは。しかしペンが進まないと云うより、筆が進まないと云う方が、精神の在り方に即しているような気がする。思うにこれは、千年以上慣れ親しんだ筆硯(ひつけん)から、ペンとインキに移行するのに、我々の魂が未だ旅の途上にあるためではあるまいか。 

文明の進歩は、瞬時、と見まごうほど迅速に起きるが、実際我々の精神は深いところでそれに付いていっておらぬのではないか。鬼の子や鳶を見て安んずる心性は、未だ私の精神がその領域で遊んでいる証拠であろう。鬼の子や鳶を見て不安になったとき、漸く私の精神も時代の進歩と齟齬を起こさないでいられるようになるのかもしれぬ。 

このあと、亡き友・高堂から「おまえは人の世の行く末を信じられるのか」と問われ、こう続きます。 

ペンとインキか。人の世はもっと先までゆくだろう。早晩鬼の子など完全に絶えてしまうだろう。長虫屋などの商売も追いやられてゆくに違いない。
ーー……分からない。
私は追い詰められたウサギのような心境で呟いた。高堂は、ちょっと微笑むようにして、
ーーまあ、いいさ。
と、答えた。

八百万神の存在を感じる心性

自然のなかに八百万神の存在を感じる心性は、この国に古来から在るもの。その心性でものごとをとらえれば、「四季折々草花鳥獣」の同じ延長線に「仔竜小鬼人魚亡友」が在り、自然なものとして受け止めることができる…そんな気持ちにさせてくれる小説です。 

「家守綺譚」の描く世界ーー「人間と植物、動物、あやかしが共存している世界」が「心地よい」と思うのも、古来からの心性ゆえではないでしょうか。 

「家守綺譚」を面白いと思える日がこれからも続きますように…

そんなふうに願わずにはおれませんが、近藤ようこさんの漫画も記事に取り上げられるように評判になっているので、まだまだ大丈夫……という気もします。 

「家守綺譚」には「冬虫夏草」「村田エフェンディ滞土録」(いずれも新潮文庫)という関連書籍もあるそうです。どちらも未読なので、いまから手に取る日を楽しみにしています。 

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(しみずのぼる)

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