「走れメロス」になる花咲慎一郎:「フォー・ユア・プレジャー」 

「走れメロス」になる花咲慎一郎:「フォー・ユア・プレジャー」 

きょうは柴田よしきさんの〈花咲慎一郎〉シリーズの第2作「フォー・ユア・プレジャー」を紹介します。春日組若頭の山内練にまんまと乗せられて「走れメロス」のような展開に。熱くもなれるし、泣ける場面もあって極上のエンタメ小説です(2024.5.18) 

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テレビ東京がドラマ化

最初に「フォー・ユア・プレジャー」のあらすじを紹介しましょう。 

新宿2丁目の無認可保育園「にこにこ園」の園長でありながら、園の赤字を埋めるため、ヤクザがらみの裏の調査業を引き受けざるを得ないヤメ刑事の主人公花咲。今度の依頼は、豊満ボディのOLが一夜を過ごしたお相手を捜し出すというもの。しかし、人捜しをするだけのはずが、愛する恋人が行方不明となり、元同僚が監禁され、妻に逃げられた男の世話までが降りかかる。花咲は無事脱出できるのか? 

本書(電子書籍)は、テレビ東京がドラマ化した『保育探偵25時〜花咲慎一郎は眠れない!!〜』で花咲慎一郎を演じた山口智充さんが表紙になっています。 

テレ東のドラマだからU-NEXTで配信しないかな…… 

と思いましたが、残念ながら今は視聴できないようです(いつか観たいと思います) 

山内練と斎藤が登場

「フォー・ユア・プレジャー」の前作、「フォー・ディア・ライフ」にも山内練は登場します。物語の最終盤に「にこにこ園」の入るボロビルが、山内が社長を務めるイースト興業の所有のため、花咲は山内から園の買い取りを迫られます。 

山内は立ち上がると、机の方へと戻った。そして引き出しから書類を取り出すと、俺の前に放った。 
「生命保険だ」 
山内の言葉に、俺はごくっと喉を鳴らした。 
「サインしろ。四千万は十年分割にしてやる。利息は年十五。阿漕ってほどじゃあるまい」 
(略) 
「金の支払い日を忘れるなよ」 
山内はまた、俺の髪に指を差し込んだ。 
「忘れたらその翌日が、おまえの命日だ」

こうして花咲は、探偵業にも本腰を入れなければならなくなります。そして、2か月分の支払いを終えた頃、花咲は事件に巻き込まれます。 

あらすじに出てくる「愛する恋人が行方不明になり」、恋人の腹違いの妹につきまとったストーカー男を捕まえ、その男の上司にあたる暴力団幹部の愛人宅に恋人が運び込まれたことをつきとめる。 

ストーカー男に案内させて愛人宅に忍び込み、恋人を救出したものの、その部屋には暴力団幹部と愛人の射殺死体があった。しかも、マンションの出たところで山内の側近で、元刑事の齊藤に目撃された。 

斎藤は、RIKOシリーズの第3作「月神の浅き夢」に登場します。 

捜査二課の刑事でイースト興業に潜入捜査を行い、逆に「気が付いた時には若にナニをしゃぶられてた」男で、女性刑事・村上緑子に「若はいずれこの国の影のドンになる。俺はそれをこの目で眺めていたいんだ……出来ればこのまま、若のそばで」と話しています。 

その斎藤が、〈花咲慎一郎〉シリーズでは、花咲と警察学校時代の同期で親友だったという設定で登場するのです。RIKOシリーズでは「斎藤」と名字だけでしたが、「フォー・ユア・プレジャー」では「斎藤企画」代表取締役、斎藤雅美と、肩書と下の名前がついています。 

「不運な話だ、園長」

暴力団幹部の射殺体と遭遇したせいで、花咲は山内に捕まった(すこし長くなりますが、大事な場面なので長めに引用します) 

「稲葉組ってのがまずかったな」 
「松崎ってのも、もっとまずい。斎藤があんたに向けて発砲したのは、さらにまずい。まずいことだらけだ。頭が痛い」 
「問題なのは、どうやって稲葉の連中を納得させるかだ。園長、あんたには説明してやるがな、稲葉と話をまとめるのに何年もかかったんだぞ。それがこの一件でパーだ。……明日の朝には誰か引き渡さないといかん。松崎を殺った犯人としてな」

はじめは「実はわたし、まだ仕事中です」「あなたにお返しする金を稼がないとならないもんで」と低姿勢だった花咲も、暴力団幹部殺害の実行犯として差し出されると聞いて「冗談じゃない!」と叫んだ。 

「そんな理不尽なことは……俺は本当に何の関係もない、関係もないんだ、それなのに……」
「不運な話だ、園長」
山内は大袈裟に頭を振った。
「でも心配はしなくていい。生命保険で借金はチャラにしたら、あんたの為にいくらかの寄付をしてやるさ。あのおんぼろ幼稚園にな。経営者がいなくて困るなら、誰かプロを貸してやる。いずれにしても、あんたへの恩は死ぬまで忘れないからな」

絶体絶命のピンチ! 花咲はついに怒りを爆発させる。 

「山内」
俺はそいつのことを、知り合って初めて呼び捨てにした。
「あんたにとって俺の命なんてのは、あんたの立場を一時的に守る為に消したところでどうってことないもんかも知れないけどな、世の中には、こんな俺のことでも心配してくれる人間ってのはいるんだ、わかるか?」

「すごいぞ…そいつは名案だ」

このあとの文章がいいのです! 

山内の顔つきが変化した。だがそれは、俺が予測していた変化とは違っていた。怒ったわけでもなければ驚いたわけでもなく、また、馬鹿にしたという顔でもない。何と言えばいいのか……強いて言うなら、それは、喜びに近い表情だ。
 
「しかしなぁ、何とも困ったことに、あんたであろうとなかろうと、俺は早急に死体をひとつ用意して稲葉にくれてやらないとならない立場だってことに変わりがないんだな。さて、どうしたもんか」
「ほ、方法は他にある」
やめろ、やめとけ、と心の声が言った。余計なことは言うな。言えば自分で自分を窮地に追い込むことになるぞ、これまでの経験からそれは確実だ!
「松崎を殺した真犯人を探し出して、警察に突き出せばいい」
ああ。
俺はおのれの馬鹿さ加減を呪った。俺がそう言ったとたんに、山内の顔に浮かんだ摩訶不思議な笑み。山内は初めからそのつもりだったのだ。

山内のせりふもふるっています。 

「すごいぞ、園長」
山内は長い腕を伸ばして俺の肩を抱いた。いかにも親しげに。
「そいつは名案だ。なるほど、松崎を殺した真犯人が警察に逮捕されれば、俺への濡れ衣も晴れる。稲葉の連中も気が収まる。よし、じゃあそれをさっそくやってくれるか、園長、いや、私立探偵花咲さん」

山内が与えた時間は24時間。それまでに犯人を割り出せなければ、代わりに斎藤が死ぬと伝えた。解放された花咲が自分の車に戻ると、 

助手席に見慣れないものがあるのに気づいた。文庫本だ。太宰治の『走れメロス』。
クソッ!

こうして山内の思惑どおりに花咲が奔走し、タイムリミットぎりぎりに探し当てた犯人と真相は……。こればかりは本書を手に取ってお確かめください。 

泣きながら待っている

もうひとつ、「フォー・ユア・プレジャー」の名場面(名せりふ)を紹介します。 

「にこにこ園」に生後間もないみゆきちゃんを一時的に預けた父親の高梨に対し、花咲が「せっかくだからあなたがあやしてみたらいい」と言う場面です。 

「そんなに怖がらなくていい」
「だって、泣いてますよ。みゆきが泣くと僕はパニックになっちゃうんだ」
「別に不幸だから泣いているわけじゃない」
俺は言った。
「赤ん坊は泣くのが仕事なんです。怖がらなくても、けっこう丈夫に出来てますよ。赤ん坊のからだは、泣き疲れて死んだりはしません。でもね、みゆきちゃんは泣きながら待っているんです」
「待っている?」
「そう。誰かの腕が抱き上げてくれるのを。誰か、自分以外の人間がそばに来てくれるのを。その為に赤ん坊は泣く。声を限りに泣くんだ。赤ん坊ってのは、ひとりではどうにもならない。死ぬしかない生き物なんです。誰か他の人間の手がどうしても必要なんだ。赤ん坊は、その存在の総てを他人への信頼に委ねている。絶対の依存、絶対の信頼。そして俺も、あんたも、美貴子さんも、総ての人間は、その信頼に応える本能を持っている。男も女も関係ないんだよ。父親の役割だの母親の役割だのって、赤ん坊は区別なんかしてないんだ。誰だっていいんだ。赤ん坊にとっては。ただ自分を生かす為に差し伸べてくれる手を求めて、赤ん坊は泣く」

いかがですか。とてもとても好きな場面です。 

〈花咲慎一郎〉シリーズは、ミステリーですし、暴力団も出てくるし、死体も出てきます。でも「ハートウォーミング」という言葉がぴったりの物語です。ぜひ手にとってみてください。 

(しみずのぼる) 

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