傑作”記者もの”の第1作:「暗闇の終わり」 

傑作”記者もの”の第1作:「暗闇の終わり」 

きょう紹介するのはキース・ピータースン「暗闇の終わり」(原題:The Trapdoor)です。邦訳が30年以上も前のハードボイルド・ミステリーで、主人公は新聞記者です。記者ものミステリーの傑作であると同時に、女性記者の存在が華を添えます(2024.1.5)

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敏腕社会部記者が主人公

手元にある文庫(創元推理文庫)の奥付をみると、1990年10月19日初版とあります。かれこれ33年以上前の本です。しかも電子書籍になっていないため、読みたいと思ったら古本を探すしかありません。 

なぜ、そんな本を紹介するのかーー。そう言われるのは覚悟の上で、どうしても紹介したくなったのは、藤原伊織氏の「てのひらの闇」「名残り火」のことを書いたからです。 

《さえない中年男。でも仕事は抜群にできる。そんな男に、同じ職場の部下が恋心を抱いていく……》 

このプロットが、これから紹介する〈ジョン・ウェルズ記者シリーズはとても似ているのです。ニューヨーク・スター紙の敏腕社会部記者ジョン・ウェルズに恋心を抱く部下のランシング。ウェルズがいつも口にするセリフが「そんな目でこっちを見るな、ランシング」(どんな目なのでしょう……) 

ですから、シリーズ最終巻「裁きの街」(創元推理文庫)で文庫解説を書いた茶木則雄氏は、堂々とこう書いています。 

全国二万八千人のランシング・ファンの皆様、お待たせしました。ここに、キース・ピータースンが生んだ、ニューヨークの敏腕にして可憐なる女性記者、アンジェラ(推定)・ランシングのシリーズ最新刊をお届けする。 

(略) 

語り手ウェルズの性格設定は、北上次郎氏が言っているように「トマス・H・クックやジェイムズ・リー・パークに比べて、キース・ピータースンが群を抜いているわけではない」(産経新聞『夏の稲妻』書評)。娘に自殺されたという暗い過去を持ち、ヘビースモーカーで酒呑みで、いまだにタイプライターを愛用する昔気質の頑固者で、自らの規律を持ち、信念のためにはそれを押し通す、おまけに皮肉屋で正義感……言っちゃあ何だが、このタイプはハードボイルドの世界には掃いて捨てるほどいる。にもかかわらず、(残念ながら)この男が魅力的なのは、ひとえに、われらがランシングが慕っているからである。 

これほど型破りの文庫解説はなかなか読めないと思いますが、でも、この4冊からなるシリーズの魅力を余すところなく伝えているように思います。 

藤原伊織氏の「てのひらの闇」シリーズにしても、もし主人公を慕う大原真理が登場しなければ、なんとも味気ない小説になっただろうと想像します。 

このジョン・ウェルズ記者シリーズも同様です。ランシング記者がシリーズ2作目の「幻の終わり」(創元推理文庫)から主人公に対する淡くせつない恋心をかたちにしていくところが、とても心をくすぐられるのです。

今回、シリーズ2作目から再読しようかと思いましたが、1作ずつ、主人公とランシングのことを書いていくのも一興と思い、シリーズ1作目の「暗闇の終わり」を久しぶり(きっと20年ぶり)に再読しました。1冊ずつ時間をかけて再読して(ほかにも読みたい小説があるため)、このシリーズの魅力を記事にしていこうと思います。

3人の高校生が自殺

前置きが長くなりました。「暗闇の終わり」のあらすじを文庫背表紙から紹介しましょう。

晩秋のグラント郡で同じハイスクールの生徒が三人、相次いで自殺を遂げた。『ニューヨーク・スター』の記者ジョン・ウェルズは単身取材に赴くが、一人娘をやはり自殺という形で喪っている彼には、苦いインタヴューの連続となる。だがそんなウェルズの前に、事件はやがて、意外な真実を明らかにしていった……! 敏腕記者の苦汁に満ちた闘いを描く、話題のハードボイルド第一弾。 

ウェルズが最初に取材したのは、自らの容姿に自信のない15歳の少女ナンシーの自殺だった。ナンシーは一夏を楽しく過ごしていた様子だったのに、秋になり、「愛する人に」と題した詩を遺して薬を過剰摂取して自死した。 

2人目のフレッドは16歳の少年だった。父親は会社経営者であり、地元の政治家として活躍している。将来の郡知事候補と目されていた。父を敬愛する兄とは異なり、弟のフレッドはフットボールチームにも溶け込めず、父親と距離があった。そして猟銃で自らを撃った。 

記事を送り終えて編集デスクに電話し、「ランシングはいるかい」と訊ねた。 

「話しかけないで」電話に出るなりランシングは言った。「今読んでるところなの」 

「どう思う?」 

「黙ってて」 

わたしは煙草に火をつけて待った。 

「さすがね」しばらくしてランシングは感心したように言った。 

「いいと思うか?」 

「いいわ」 

しかし、ランシングはウェルズが娘を自殺で失っていることを知っていた。 

「やりすぎないで、ジョン」とランシングは言った。「あなたにだって人間でいる権利があるはずんだから」 

「ああ。なんで今さら人間を辞めなきゃならない?」 

「わたし、真面目に言ってるのよ、ウェルズ」 

わたしはランシングに言われたことを考えた。「取材はもうすぐ終わるよ、ランサー。あとひとつだけだ。ミッシェル・セイヤーの取材だ。明日そのインタヴューが終わったら、そっちに帰って残りはそっちで書く」 

しばらく沈黙があってから、彼女は言った。「早く会いたい」 

「そんなふうにしゃべるな、ランシング」 

「大きなお世話よ」 

このころから、ランシングの恋心(早く会いたい!)は描かれていたのかーー。 

20年ぶりの再読で”発見”した気分ですが、それでも仕事のできる先輩記者への憧れというやりとりが何度も出てきますので、本人自身も自覚のない気持ちという感じなのでしょうか。 

「娘は殺されたのよ」

しかし、3人目の自殺者ーー森で首を吊ったミッシェルのケースは、それまでの2人の自殺の取材とは異なっていた。 

母親はミッシェルが死ぬ1週間前に書いた自画像のスケッチをウェルズに見せた。

それは今まさに大人になろうとしている少女の像だった。その時期に特有のエネルギーに溢れた少女の像だった。口もとを大きくほころばせ、眼を輝かせて、にこやかに微笑んでいるーーまさに輝くばかりの笑みだ。 

母親は「それはこれから自殺しようという女の子の顔じゃないわ」と言って、こう続けた。 

「わたしの娘は殺されたのよ」 

改変された記事で再取材

ウェルズはニューヨークの本社に戻り、記事を脱稿した。そこへランシングが戻って来た。ミッシェルの自殺について、ランシングに聞かれるまま答えた。 

「記事はストレートに書いたつもりだ。事実を事実として書いた。ミッシェル・セイヤーは自殺した。森で、家の裏手の森で自殺した、と書いた」 

ランシングは眼をつぶり、唇をへの字に結んだ。「それから?」と彼女は言った。 

「それから三段目ぐらいで、娘は殺されたという母親のコメントを引用した。そしてそれを言ったときの彼女の様子を書いた。激昂し、興奮していた、狂気に近いものすら感じたと書いた。次にタマニー・バードの言葉を引用したーー彼はグラント郡の警察署長だ。信頼できる男だよ。徹底的に調査した結果、彼は、ミッシェルは自殺だと断定している。その次に子どもたちの話を載せた。最近になってミッシェルの性格が変わったこと、秘密主義になったことなんかを書いた。そして専門家の話で締めくくった。心理学者のカートライト博士の話だ。博士は……」と言って、わたしは煙草を深々と吸った。煙草の紙の縁のほうまで火が広がり、紙の先端がネズミ色の灰になった。「博士は罪悪感について話してくれた。母親はーー親はーー子どもが自殺したと考えるより、殺されたと考えるほうが気が楽なんだそうだ」わたしは煙の名残を吐き出した。「それで終わりだ」 

ランシングは優しい声で言った。「いい記事みたいね」 

ところが、紙面に掲載された記事はまったく別物だった。

ウェルズとことごとく対立する編集長のケンブリッジが、当直デスクに指示して書き換えさせたものが紙面になった。日曜版の全段ぶち抜きの見出しで「自殺者の母、殺人を主張」となっていた。 

ウェルズは編集長を脅し上げ(ライバル紙への転職をにおわせて脅す対決シーンは見ものです)、「二度と人の記事に手を出すな」と釘を刺すと同時に、ミッシェルの自殺の再取材を要求した。 

「もう一度最初から徹底的に調べたい。もし彼女がほんとうに殺されたのだとしたら、おれの面目も立つ。もし自殺だったとわかったら、そのときは三面に今度の記事の撤回声明を載せてもらう。あの記事はおれが書いたものではない、ということも含めて」 

3人の自殺が絡み合う真相

こうしてウェルズは再びグラント郡に戻り、ミッシェルが「秘密主義になった」理由が隣の州にある自殺者ホットラインでボランティアをしていたことを知る。そして、薬の過剰摂取で自死したナンシーも、猟銃自殺したフレッドも、死ぬ間際にミッシェルに悩みを打ち明けていたことを突き止める……。 

3人の自殺がどのように絡んでいくのか、誰がナンシーを自殺に見せかけて殺害したのかーー。後半はジェットコースター状態で、途中から読むのが止められなくなるでしょう。 

古本を探してでも読む価値のあるシリーズです。

シリーズ2作目「幻の終わり」以降は改めて記事にします(特にランシングの恋心にスポットを当てながら……) 

(しみずのぼる) 

〈ジョン・ウェルズ記者〉シリーズはこちら
傑作”記者もの”の第1作:「暗闇の終わり」
記者が探り当てる愛と裏切りの記憶:「幻の終わり」
”そんな眼で…”ににじむせつなさに酔う:「夏の稲妻」
「新聞社の取材です」に快哉:「裁きの街」