きょうは佐藤正午氏の「身の上話」(光文社文庫)を紹介します。この題名でどんな小説を思い浮かべますか? 手に取りたくなる題名ではないですよね? でも、読後「こんなに面白い小説に出逢えたなんて!」ときっと思える小説です(2026.2.13)
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目次
伊坂幸太郎の「絶望的な思い」
「身の上話」は2009年に光文社から出版された長編小説で、その年の日本推理作家協会賞(長編部門)にノミネートされて落選しています。

落選した小説?なにそれ、面白いの?
と思われる方もいるかもしれません。何と言っても「身の上話」などという変哲もない題名ですし…
でも、同賞の選考委員、伊坂幸太郎氏の以下の選評文を読んだら、読んでみたいと思うのではないでしょうか。
『身の上話』は読み応えのある、まさに小説本来の喜びに満ちた作品でした。「語り方」に工夫を凝らし、文章の豊かさを原動力として読者を引き込んでいきます。(略)佐藤正午さんの最近の力作がことごとく賞と無縁であることに(一読者として)絶望的な思いを抱いていたにもかかわらず、今回、自ら選考委員となった場でも授賞できず、悲しさと恥ずかしさのいりまじった複雑な気持ちを抱いております。
日常生活の綻びと破綻
別の選考委員、佐々木譲氏の選評も紹介しましょう。
わたしは佐藤正午さんの『身の上話』をいちばんに推した。氏は日常生活の細部とそのほころびを描写するとき、絶妙な巧みさを発揮するひとだと思う。(略)ミステリ風味が薄い、と評価するほかの選考委員のかたがたを説得しきれなかったことは残念である。
佐々木氏の「日常生活の細部とそのほころび」という表現で、(既読の方なら)昨年の話題作「熟柿」(KADOKAWA刊)を思い浮かべた方もいるでしょう。
わたし自身「熟柿」を読み始めてすぐ、主体性がなく状況に流されるまま誤った選択を繰り返す主人公の姿に、

これは「身の上話」のような小説だろうか…
と思ったものです。
あるいは、2億円の宝くじが主人公の日常を破綻させていく描写は、偶然手にした偽札で日常生活が狂っていく様を描いた「鳩の撃退法」(小学館文庫)を思い浮かべた方もおられるでしょう。
なお、佐藤正午氏は「身の上話」に続く長編小説「鳩の撃退法」(2014年)で山田風太郎賞を受賞、続く長編小説「月の満ち欠け」(2017年)で直木賞を受賞。伊坂氏が選評で漏らした「絶望的な思い」はようやく無縁のものとなります。
宝くじ当選を境に「災厄」が…
「身の上話」のあらすじを文庫の背表紙から引用します。

地方都市の書店員・古川ミチルは不倫相手を追って上京。無断欠勤を続け、所持金が底をつき始める。そんな時、職場の同僚に”ついでのお使い”と頼まれて購入していた宝くじを交換すると1等当選。しかしそれを境に、災厄が立て続けに起こる。自ら塗り重ねた嘘にミチルはさらに追い詰められていくーー。
このように「身の上話」は2億円のあたりくじを手にした23歳の主人公の日常が壊れていく様を描いたミステリー小説ですが、主人公のミチルには最初から最後まで共感が持てません。
ふつうの小説なら、主人公に気持ちを同化させながら、物語の世界に没入していくところですが、「身の上話」のミチルはとにかく場当たり的で、状況に流されるままで、最初についた嘘に嘘を重ねていく、そんなひどい人物です。
「古川は自分から、わざと男の言うなりになってみせるところがありました」と教えてくれたひとがいます。「男のわがままを許して、不幸な自分に自己満足するんです。だから見ていて歯がゆいときもあった。先輩たちのあいだの評判では、古川は、男のまえでは『土手の柳は風まかせ』みたいなところがあるからあぶなそう、お金が足りないって泣きつかれれば、いくらでもみついじゃう、みたいな言われ方でしたけど、でもあたしは、彼女がそこまでお人好しじゃないことは知っていました」
古川というのは私の妻の結婚まえの名字です。この話を語ってくれたのは初山さんという妻の同僚だったひとで、いまも同じ書店に勤めています。
あたしもバスに乗って空港まで行く
この「土手の柳は風まかせ」の性格からミチルは、書店に出入りする出版社の営業部員・豊増から言い寄られ、流されるままホテルに付き合い、翌日、豊増と別れがたく思う気持ちからバス停に見送りに行きます。
その際、職場の同僚から宝くじを買うように頼まれます。
この日、立石さんと沢田主任から渡されていたのはそれぞれ五千円ずつでした。それに出がけに初山さんに頼まれた三千円を加えて合計一万三千円。この金額をおのおのの宝くじの枚数にあてはめると、一枚が三百円なので、立石さんと沢田主任が十六枚ずつで二百円のお釣り、初山さんの場合はぴったり十枚という計算になります。つまり三人分あわせて宝くじは四十二枚しか買う必要はないわけです。このとき古川ミチルが買ってしまった宝くじは一枚だけ余計でした。
そんな宝くじの購入という”お使い”を職場の同僚に頼まれての昼食時間帯の外出にもかかわらず、ミチルは豊増と会うと「あたしもバスに乗って空港まで行く」と口走る…。
見送りのターミナルでは別れがたく、バスに乗ってしまったのはまだわかります。さらに空港でも名残惜しくなり、勤務先の制服姿のまま、財布と携帯電話とハンカチだけいれたポーチを持ってあろうことか羽田行きの飛行機に乗ってしまったのは、はずみがついたとでもいうのでしょうか。しかしそのときの気持ちについて、のちに初山さんから電話で説明を求められたときにも、古川ミチルはうまく答えることができませんでした。
いかがですか。流されるまま、行き当たりばったりで、計画性もなにもないーー。宝くじという”お使い”を頼まれたことも忘れて、妻子持ちの男について東京に出かけてしまう主人公に共感できますか?
もったいないと思わない?
もっとひどいのは東京についてからです。
「もしもし? 古川?」
と鋭く聞き返されました。
「うん」
「ああ、よかった。ほんとにもう、なんで携帯切ってるのよ、心配させないでよ」
初山さんの声は心配しているというよりも怒っているようで、いったいいまどこにいるの? とすぐに続けて訊ねます。
「どこ?」
「品川のホテル」
「古川、なに言ってるの?」
「それがね」
とミチルはそこで声をひそめて打ち明けました。
「いま豊増さんといっしょなの」
すると電話のむこうで息を呑む気配がありました。
「ごめんね」
「バスの見送りにいったんじゃなかったの? もう夕方の五時だよ。なに考えてるのよ、いつまで待っても帰って来ないから、タテブーも沢田主任も心配しておろおろしてるのに。もうすこしで警察に捜索願出すところだよ。古川、あんたね、昼休みとはいっても仕事の途中でお使いに出てるんだから、何の連絡もしないで東京まで行っちゃうなんてひどすぎない?」
初山さんのおっしゃるとおりです。この主人公はひどすぎます。
それでもミチルはずるずると東京に居残ります。その理由もひどすぎます。
せっかく東京まで来たのにたったのいちんちでとんぼ返りするのはもったいない、竹井にだって会っていきたいし、という驚くほど幼稚な理由を初山さんに語っています。
「もったいない?」
「そうよ、もったいないと思わない? こんな機会、めったいにないんだもん」
それから次に、いますぐ帰っても職場の沢田主任や実家の父親は頭に血がのぼった状態だろうし、二三日置いて冷静になった頃に会って謝ったほうが得、などという身勝手な屁理屈もこねてます。
さらに会社の特別休暇を前倒しで取ったことにすればいい…などと、認められるはずもない”提案”まで口にする始末です。
何でもない、ただのリュックよ
ここで出てくる「竹井」はミチルの2歳下の幼馴染で、吉祥寺のマンションで暮らす大学生です。ミチルは結局、竹井のもとへ転がり込み、そこで頼まれて買った宝くじのなかに2億円のあたりくじがあったことを知ります。
「今日は遅くなるはずじゃなかったの」
「そうだけど、でも、ちょっと予定が狂って」
「なにやってたの、ひとりで」
「べつに」
「べつにって、気味悪いなあ、部屋真っ暗にして、それ何のまね?」
「え?」
竹井に指摘されて自分が片方の腕でリュックを胸に押しあてて立っていることに気づきました。
「これは、何でもない、ただのリュックよ」
「なんで部屋の中でそんなもの抱きしめてるの」
文庫の表紙(アイキャッチ画像)をごらんください。帯にはこう書いてあります。
そのリュック、いつも何を入れてるんですか?
このあたりから、あらすじにある「災厄」が始まり出すのですが、すでにページは3分の1ほどになっています。
読者は最初とまどうかもしれない
ですから、最初のうちはなかなかページをめくるのがもどかしいかもしれません。文庫版の解説で池上冬樹氏も次のように書いています。
おそらく読者は最初とまどうかもしれない。いったいこの小説は何だろう、どこに向かっていくのだろう、と。
昨年の話題作「熟柿」もそうですし、山田風太郎賞を受賞し映画化もされた「鳩の撃退法」もそうです。佐藤正午氏の小説の魅力を一文で表すなら、
いったいこの小説は何だろう
だと思います。
でも、ご安心ください。物語の中盤以降、大金をしまったミチルのリュックが惹き起こす「災厄」について、池上氏は次のように書いています。
中盤から小気味いいほどのツイストがあり、読者の予想を裏切り、とんでもない方向にいく。大金で人生を狂わせる女の話かと思いきや、ゆがんだ欲望と愛をめぐるジェットコースター的なサスペンスになり(これが怖い)、緊迫した逃走劇になっていくのである。
物語の「話者」は誰なのか
日本推理作家協会賞の選考委員・佐々木譲氏は、選評のなかでこう評しています。
「土手の柳」と評されるような主体性のない女性が、意識しないままに周囲に破綻を呼び寄せてゆく過程を、じつに計算された語り口で描いてゆく。物語の「話者」は誰なのか、彼は主人公の人生とどう交錯するのか。最後にはけっきょく何が起こったのか。その謎の提示のしかたも最後まで魅力的だ。
物語の「話者」は誰なのかーーそれは最初からわかっています。この物語のはじまりは、
私の妻の郷里は、私たちがいま暮らしている都会から、新幹線でおよそ一時間行ったところにあります。妻はその町で二十三歳になるまで、これといって特筆することもない人生を送りました。
という文章ですから「話者」はミチルの現在の夫です。
にもかかわらず、彼がミチルの「身の上話」をなぜしているのか、その謎が明らかになるのは、この小説のラストの一文です。
「身の上話」などという変哲もない題名なのに、読み終えてみれば、きっと極上の読書体験だったと思えるはずです。ぜひ多くの方に手に取ってほしいミステリー小説です。
(しみずのぼる)
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