きょう紹介するのは「ゲゲゲの鬼太郎」で有名な漫画家、水木しげるさんの自伝「のんのんばあとオレ」です。こんな幼少期を過ごしたからお化けや妖怪を身近な存在として描けたのか…と驚くと同時に、勉強以外にも大事なものがあると教えてくれる一冊です(2025.4.13)
〈PR〉
小中学生を意識した自伝
「のんのんばあとオレ」(ちくま文庫)は、鳥取県境港出身の水木しげる氏(1922~2015)が自身の少年時代をふりかえった自伝です。1977年に「ちくま少年図書館」シリーズの一冊として書かれたので、書き出しも、
私が妖怪の絵やマンガをかくようになったのは、子どものときに、近所に、”のんのんばあ”というおばあさんがいたからです。
というふうに、もっぱら小中学生あたりを意識して書かれています。
学校の勉強もたいせつかもしれませんが、そればかりが勉強ではないでしょう。私は変わった子どもだったようで、遊んでいるうちに、いろいろな興味をおぼえ、自分かってに遊びながら、将来に必要なことを勉強していたような気もします。
勉強ができなくてもいいんだ…自分が好きと思えることに打ち込んでも、ちゃんと大人になれるんだ…というふうに読んでもらえたらーーという水木さんの気持ちが、行間のはしばしに感じられる自伝です。
天井なめ…川赤子…
最初に”のんのんばあ”の部分を紹介しましょう。
オレが子どもだったころは、境港あたりでは、神仏に仕えたりする人のことをのんのんさんといっていた。その人がおばあさんなら、のんのんばあさんとよばれることになるわけだ。
その、略してのんのんばあが、どうしたわけか、子どものとき、いつもオレの家にきていた。
水木さんが「のんのんばあと寝る」といって添い寝した際に、のんのんばあが語って聞かせたのがお化けの話でした。
うす暗い台所の天井のしみを見ては、あれは、夜、寝静まってから「天井なめ」というお化けが来てつけるのだ、とまじめな顔をしていう。天井をよくみると、なるほど、それらしきシミがある。疑う余地はない。
「川赤子」のくだりも紹介しましょう。
家を出てすこし歩くと、カモメもいないのにやたらとカモメのような声がする。オレがきょろきょろしていると、のんのんばあは、あれは「川赤子」だというのだ。川赤子は、あちらだとおもうとこちら、こちらだとおもうとあちらというように声が聞こえる、すがたを見たものはない、と、のんのんばあはまじめな顔で説明した。
そういわれると、カモメよりもネコの声に似ていて、たしかに「川赤子」だとおもえてくる。のんのんばあは笑いもせずまじめな顔でなにげなくいうから、疑う気はミジンも起きない。お化けはいるのだ、しかもそこらじゅうにいるのだ、という気持ちになってくるのだ。
こんなふうに次々とのんのんばあの口からお化けの名が出てきます。野寺坊、白うねり、家鳴り、あかなめ、ぶるぶる、べとべとさん……。
オレはますます目に見えない世界があるような気がしてきた。そこには、のんのんばあのいうさまざまなものがいるのだ。そいつは、なにかの機会でふと現れるのだろうと、オレは思った。
こんな幼少期だからこそ「ゲゲゲの鬼太郎」などの妖怪漫画が生まれたのだろうと思える場面が随所に出てきますが、「のんのんばあとオレ」はそれだけではありません。ガキ大将に仕えた時期や自身がガキ大将になった時期まで、水木少年の日常が描かれます。
温かく見守る先生
勉強はまったくできないのに、ものすごい凝り性な部分も丁寧に描かれます。
おやじが大阪から帰ってきた。
みやげに、木箱にはいったぶどうを持ってきた。この木箱を利用して、オレはギターを作ろうと考えた。
あれこれくふうをこらし、学校の書道の時間にも熱心にギターの設計図をかいていた。先生は二、三回まわってきたのだが、まったく気がつかなかった。
図が完成したとき、先生はオレのうしろにきていた。
「これはなかなかいい考えだ」
(略)
「ギターの線はなんで作るの」
と、やさしい質問。
「はあ、針金で作るつもりです」
「なるほど。これは鳴るよ」
こんな先生に出会えたらいいですね。先生の”保証”付きというので張り切って作ったギターでしばらく演奏に興じたそうです。
映画館を作ることを思い立つ
オレはまた、映画館を作ることをおもいたった。
本で紙芝居のようなワクをつくり、これをスクリーンに見立てる。フィルムは「少年倶楽部」のマンガである。そのころのマンガは四コママンガが多かった。これをのりではってたくさんつなげ、両はじをワリバシにまきつける。このフィルムをスクリーンにあて、ワリバシをまきとりながら一コマずつ出すわけだ。説明役の弁士もオレがやった。
娯楽が限られる時代ですから、水木少年お手製の映画館は好評だったものの、漫画の切り張りでは画面が小さいという不満も寄せられたそうです。
大きくするにはフィルムを自分でかかなければならない。オレは自分で画用紙にフィルムをかいた。ストーリーはいろいろな笑い話からとった。
うっかり者がつぼ屋でつぼを買いに行く。店頭にならんでいるつぼがふせてあるのも知らずに、
「なんだ、このつぼは、口があいてないぞ」
手にとって、ひっくり返してみて、
「ありゃ、底もない」この話を大型フィルムにしたてた。
これは大好評で、上級生まで見にきた。
それ以来、オレのあだ名は「つぼ」になってしまった。
ほかにも山陰地方の立体地図や動物園を作ったり……。油絵に凝ったときは教頭先生から「武良(=水木氏の本名)よ、こや(これは)展覧会ができーぞ、個展が」と言われて個展をやったりと、周囲の大人に助けられながら勉強(とくに算数)ができない水木少年が温かく育てられるさまが描かれます。
世界はオドロキに満ちている
「おわりに」という文章では、自身の少年時代を踏まえて、読者であろう小中学生に対して、こんなふうに書いています。
世界はオドロキに満ちており、ぼくはいつも、少年時代をなつかしく思い出す。
ゲエテがいっておるように、少年時代には少年時代、中年には中年時代、老年には老年時代、それぞれ、その時に味わっておかなければならないものがある。
(略)
新鮮な子供の時の、自然やみるものきくもののオドロキは、やはり子供の時に味わっておかなければならない大事なことなのかもしれない。
勉強も大事ですが、勉強以外にも大事なことがある。そんなことを教えてくれる「のんのんばあとオレ」です。小中学生にはもちろん読んでほしいですが、親世代の人にもぜひ手にとってほしい一冊です。
(しみずのぼる)
〈PR〉