こんな愛の伝え方もある:阿部智里「まつばちりて」

こんな愛の伝え方もある:阿部智里「まつばちりて」

きょうは阿部智里氏の傑作和製ファンタジー〈八咫烏〉(やたがらす)シリーズから、短編「まつばちりて」を紹介します。何度読んでも毎回泣いてしまいます。こんな愛の伝え方もあるのか……。主人公を愛した男の慟哭と咆哮に涙するばかりです(2023.12.28)

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「烏百花 蛍の章」所収の短編

「まつばちりて」は、短編集「烏百花 蛍の章」(文春文庫)に収められている短編です。その紹介の前に、〈八咫烏〉シリーズについて書いておきます。 

〈八咫烏〉シリーズは、人の姿をした八咫烏の一族が支配する異世界・山内(やまうち)を舞台に展開します。 

主要な登場人物は、貴族出身の四人の姫君が争う若宮の后選びが描かれる第1作(烏に単は似合わない)と、若宮と近習・雪哉が兄宮陣営の刺客と戦う第2作(烏は主を選ばない)で揃います。脇を固める登場人物も第4巻(空棺の烏)で出揃います。 

物語自身は第3作(黄金の烏)で人喰い猿の襲来という山内を襲う危機の出現から動き出します。そして、巻を追うごとに、そもそも山内という異世界は何なのか、なぜできたのかーーという謎が明かされていきます。 

このユーチューブ動画をみれば、おおよそのプロットは理解できるはずです。 

YouTube文芸春秋公式チャンネル 150万部の異世界ファンタジー。阿部智里「八咫烏シリーズ」 衝撃の新章スタート

このような壮大なファンタジー小説ですが、そのためもあって、長編の場合は(前回「空棺の烏」について書いた時に痛感したのですが)前の方から順番に読んでいないと、楽しみが半減してしまいます。 

短編の場合も、どうしても登場人物たちのこぼれ話?的なエピソードが描かれることが多いため、〈八咫烏〉シリーズにはまっている人は存分に楽しめても、読んだことがない人にとっては「この世界に入っていけない…」と不満をためる恐れがあります。 

独立した短編として読める

ところが「まつばちりて」だけは、〈八咫烏〉シリーズでほぼ唯一ではないかと思うぐらい、独立した読み物になっています。 

主人公の「まつ/松韻」は主要登場人物でも脇役でもありません(探せば登場する場面はありますが、大きなプロットにはまったく関係しません)し、相方の「忍熊」に至っては、「まつばちりて」以外に登場した場面はおそらく一か所もないはずです。 

そのような独立した読み物だからこそ、安心してお勧めできるわけです。 

さて前置きが長くなりました。次のページから、読めば落涙必至の「まつばちりて」の紹介です。 

男として生きる落

主人公のまつは女郎宿で生み落とされた。美形なら貴族を相手にする高級遊女になれる。しかし、まつは男が嫌いだった。歌舞音曲にも関心がなく、代わりに書にのめり込んだ。 

昔の能書家の写しをはじめてみた時、これほど美しいものがこの世にあるのかと衝撃を受けた。

字の練習を重ね、字を覚えれば意味が分かることが楽しくなる。女郎部屋で持て余し気味になってきたある日、男装姿の女が訪ねて来た。 

まつが女郎になりたくないと言うと、楓蚕と名乗る男装の女が「もしお前が望むのならば、もう一つの道を教えてやろう」と言った。 

「男として、宮中に上がるんだ」 

私のようにね、と女は雄々しく笑った。 

「落女という。落女になるためには、女としての生を諦めねばならない。それに、宮中に上がるためには、厳しい修行が必要となるがーー」 

「行きたい」 

即答だった。 

「女じゃなくたっていい。女郎にならないでいいなら、なんだってします」 

こうしてまつは山内を治める金烏代の正室、大紫の御前に仕える身となり、「松韻」の名をもらい、大紫の御前に忠誠を誓う女房兼護衛ーー藤宮連の一員となった。 

文字にあふれる才能

朝廷に仕えるのは、松韻のような落女のほかに、中央貴族の子弟からなる蔵人がいた。書に自信のある松韻は、蔵人たちの筆跡をみて「自分の方がよほどうまい」と自負していた。そんな中、 

悪筆ばかりの筆跡の中でひとつだけ、どうにも侮れない筆があった。 

内容はなんてことはない。単に、今上陛下が体調を崩しているため、温かい飲み物を用意してくれという書付である。一文字一文字を丁寧に書いたわけでもなく、かな文字で綴られたそれは、だが、ほれぼれとするほど優美だった。 

やわらかで、精緻なのに華やか。 

文字の流れから夜の銀木犀の香りすら感じられるような、書き手のあふれる才能を充分に感じさせるものだった。 

書付には「忍熊」(おしくま)と署名されていた。松韻は思った。 

これを書いた忍熊という蔵人は、一体どんな男なのだろう。

しばらくして松韻は正式に落女として宮中に参内した。蔵人所で待機している際、「女のくせに、なんだその恰好は」と吐き捨てるようにつぶやいた蔵人がいた。 

松韻が「今のは誰だ。前に出ろ!」と声を上げると、ずんぐりむっくりとした体形の男が前に進み出た。もじゃもじゃ眉で山賊のような面構えの男だった。 

「先ほどの暴言、聞き捨てならん。撤回してもらおう」 

「謹んでお断り申し上げる。暴言も何も、ありのままの真実を申したまでのこと」 

「私は、女としての生を奉り、男としてここに立っている。愚弄するのも大概にしてもらおう」 

「だが、そこもとが女であることに変わりはなかろう。事実を事実と指摘されて、愚弄と感じるそちらの方がおかしいのだ」 

その男が忍熊だった。 

自分の正室としたい

以来、松韻と忍熊は顔を合わせるたびに衝突したが、ある時、体調を崩して倒れる寸前のところを忍熊に助けられた。礼に行った場面でも口論になった。 

「どうして、私を馬鹿にする? そんなに女が嫌いなのか」 

「俺は女が嫌いなんじゃない。落女が嫌いなんだ」 

「女のくせに生意気だからか?」 

「違う。痛々しくって、見てられん」 

忍熊は続けた。 

「女であることを誇るなら、女の格好のまま、女の官人として働けばよいではないか」 

「それはーー」 

今まで考えたこともない言葉に、思わず、ぽろりと本音がこぼれ出た。 

「確かに」 

「だろう?」 

ニヤッと、忍熊は笑う。 

それからも衝突する場面が幾度も続いたが、ある日、松韻は困惑する楓蚕から呼び出された。楓蚕のところへ、忍熊がこう直談判しに来たのだという。 

松韻を還俗させ、自分の正室としたい。そうすれば、今度は女房として宮中に上がることが出来るはずだ、と。 

松韻は驚き怒りもするが、その様子を見て「落女は自分の一代限り」と考えていた楓蚕は、大紫の御前に掛け合い、松韻の還俗ー忍熊との婚姻を認めることにした。 

「褒めたんだ」

「どうしてくれる。いよいよ、私は貴様の妻になるしかなくなってしまったぞ……」 

「今更なんだ。不満だったら拒めば良かっただろうが」 

「私は大紫の御前の忠実な臣下だ。あの方のご命令ならそれに従うまでのこと」 

そんな応酬のあと、忍熊は表情を改め、はじめて打ち明けた。 

「初めて貴様の書いた上奏文を目にした時には、どんな名士かと思ったものだが。実際に会ってみたら、まるっきりの小娘なんだからな」 

「この期に及んで私を侮辱するか」 

「馬鹿」 

く、と咽喉の奥で笑ってから、小さくぽつりと呟く。 

「褒めたんだ」 

こうして松韻と忍熊は夫婦になった。 

裏切者は処刑

ところが、嫉妬心の激しい大紫の御前のもとへ「ふたりはもともと恋仲だった」という偽りの讒言が寄せられ、松韻は牢に入れられた。裏切者は処刑される定めだった。 

牢に入れられて二日後、突然、無罪放免となった。放免を伝える楓蚕に、松韻は訊ねた。 

「……忍熊は、何をしたのです」 

引用はここまでにしておきましょう。 

忍熊が自らを犠牲にしてまで松韻を救おうとしたこと。松韻もまた忍熊の愛の深さを知り、忍熊の愛に応えるーー。このあたりから、もう涙なしに読むことができません。 

「まつばちりて」は、楓蚕がこう思う場面で幕を閉じます。 

花一つ、かんざしひとつ、甘い言葉ひとつとしてなかったけれど、それでも確かに、あの娘はこの男に愛されていた。 

それを、かすかにうらやましく思ったのだった。 

(しみずのぼる)

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