パロディはオリジナルがよく知られていないと面白さがうまく伝わりません。そんな逡巡から紹介をためらっていたのですが、真面目な純文学作家が「こんなパロディ小説も書いていたのか!」ということを知ってほしくて取り上げます。遠藤周作氏の短編「初夢夢の宝船」です(2024.1.20)
目次
「沈黙」の作家
遠藤周作氏と言えば、代表作は「沈黙」でしょう。以下、ウィキペディアから。
1955年半ばに発表した小説「白い人」が芥川賞を受賞し、小説家として脚光を浴びた。第三の新人の一人。キリスト教を主題にした作品を多く執筆し、代表作に『海と毒薬』『沈黙』『侍』『深い河』などがある。
(略)
『沈黙』をはじめとする多くの作品は、欧米で翻訳され高い評価を受けた。グレアム・グリーンの熱烈な支持が知られ、ノーベル文学賞候補と目された。
ただ、遠藤周作氏は「狐狸庵」の雅号を名乗ってユーモアたっぷりな小説やエッセイも多く残した方で、きょう紹介する「初夢夢の宝船」も、ユーモア小説のひとつです。
何のパロディかと言えば、「ミクロの決死圏」という1966年製作のアメリカ映画です。

脳内出血の重症を負った科学者の命を救うため、想像もつかない治療法が試みられる。外科手術不可能と診断されたその患部に、手術担当員を細菌大に縮小して送りこみ、体の内側から手術しようというのだ。制限時間は1時間、果たして作戦は成功するのか?
「ミクロの決死圏」のパロディ
わたしは子どもの頃に父親に連れられて映画館で観た記憶がありますが、半世紀以上も前の映画です。
いくらサブスクで観ることができると言っても、さすがにもう一度観たいとは思いません。着想はとてもおもしろいので、今のCG技術でリメイクしたら絶対面白いのに…とは思いますが(ウィキペディアに「ジェームズ・キャメロン製作・ローランド・エメリッヒの監督で進行中。公開時期は未定」と書いてあるので期待して待ちましょう)
ただ、遠藤氏の「初夢夢の宝船」を紹介するなら、その前提として「ミクロの決死圏」がわからないと面白さが伝わりません。
そう思ってユーチューブを調べてみたら、予告編が20th Century Studiosの公式チャンネルにありました。字幕はありませんが雰囲気だけでも伝わるので、予告編をごらんください。
デヴィ夫人への質問
遠藤氏の「初夢夢の宝船」は、この「ミクロの決死圏」のパロディ小説です。こんな書き出しで始まります。
読者諸兄。
この女は嘘つき、嘘つきではないかを見極める方法を狐狸庵、教示いたそうか。なに、そんなムツかしい方法じゃないよ。多少の勇気をもてば誰だって、できることさ。
そして、「有名な東南アジア某国大統領の第三夫人」(と言っても、今の人はわからないかもしれませんが、今もテレビのバラエティ番組等で活躍しているデヴィ夫人のことです)とのやりとりが出てきます。
「あなたは……お風呂のなかで……おナラをされたことがおありですか?」
「えッ」
だが、狐狸庵が感心したのはこの時の彼女の態度であった。一瞬、絶句こそされたが、顔に決意をうかべられ、しかし蚊の鳴くような声で、
「いたしたこと……ございます」
「うーむ。偉い、立派。正直」
ということで、この短編はおならの話が書き出しです。
今から話すこの物語はな、狐狸庵のように女性にたいして小児的な感覚の持主が主人公である。そして、この話は、諸君のなかには御覧になったかもしれんが、医学者数名が患者の体内にもぐりこみ、病気の部分を手術して、ふたたび体外に脱出という点ではアメリカの奇ばつな科学映画「ミクロの決死圏」に似ていることをあらかじめお許し願っておく。ただし、結末においては大きな開きがある筈である。
勘のよい方なら「ああ、最後はおならで脱出するんだな!」とわかるでしょう(これをネタバレとは思わないでくださいね)
一九九〇年の初秋、K大学医学部が舞台で、患者は主人公の同僚の妹で女子大生の小百合。授業中に喀血したため、病院でレントゲンを撮影したところ、肺に癌が見つかった。
この当時、ミクロガンマ線の発見で人体をミクロ化することが可能になっており、
「ミクロの決死圏」という米国映画はこのような空想に基づいて作られた映画であるが一九九〇年、凡太郎の時代にはもはやこれは夢物語でも空想でもなかった。
小百合を愛する主人公の凡太郎は、手術チームに志願した。
(小百合さんのような美しい女性にも本当に胃があるのだろうか。腸があるのだろうか)
血管から誤って腸内に
凡太郎を含めた四人の手術チームは、注射液で小百合の血管から体内に侵入した。手術チームを乗せた潜水艇が患部に到達した。
「見たまえ」
猪口助教授が手をあげた。
「癌細胞による変色がはじまっている」
手術チームは癌細胞をことごとく切り取り、無事に執刀を終え、帰途に着いた。
ところが、彼らは血管から誤って大腸に出てしまったのだ。
「引きかえすことはできんのか」
椅子から立ちあがって平野講師はきいたが剛一は首をふって、
「駄目です。申し訳ありません。御存知のように腸内は胃から吹きこむ気圧で逆行不可能です」
(略)
「それより対策を考えることだ」
「大腸を突破し、妹の肛門から外に脱出します」
凡太郎は思った。
(これが……)
(これが小百合さんの腸なのか)
「浣腸はすませたろうね」
長い腸のトンネルを蛇行していると、平野講師がふと思いつき、小百合の兄の剛一に訊ねた。
「妹さんは術前に浣腸はすませたろうね」
「は?」
「いや、患者は」講師は兄の気持を察して言葉を改めた。
「術前、浣腸によって腸内を洗っただろうか」
潜水艇を取り巻く水が黄褐色に濁り始めた。平野講師の不安は的中した。
「この艇で普通便の固さを突破できるだろうか」
「下痢便なら大丈夫と思いますが、固形便なら進行不可能になります」
剛一は艇外に出て「妹の便に穴をあけてきます」と切り出した。凡太郎も同行を志願した。
黄濁した水をふたりで泳いでいると、腸壁から突進してくるものがあった。
「あッ、ギョー虫だ。気をつけろ」
「なにィ。ギョー虫」
「そうだ。腸内で君の妹さんの栄養を吸っていたギョー虫だ。君はなぜ、妹さんに虫薬を飲まさなかったのだ。
「そんなこと言っている暇はない。メスで殺すんだ。このギョー虫を」
ギョー虫との死闘を潜り抜けても、便の壁は厚かった。小百合は便秘気味だった。
「患者に放屁させるのだ」
手術チームは潜水艇を放棄し、黄濁した水の中を泳いで肛門を目指すことになった。
しかし、ここでも予想もしなかった難関が待ち受けていたのだ。それに最初に気づいたのは凡太郎だった。
「先生。肛門は必ずしも開いているとは限りません」
(略)
文字通りフン死とはこのことだろう。
猪口助教授が「たった一つ、考えがある」と言った。
「患者に放屁させるのだ」
「放屁ですか」
「そうだ。患者に放屁させれば肛門は開く。そしてその放屁に我々四人は吹き出されるだろう。相当な圧力が体にかかる事は覚悟せねばならぬが。それより仕方がない」
四人は腸の内壁を刺激し、懸命にさすりこすった。二度目も失敗、三度目も失敗、四度目…。腸が動きはじめたとたん、「凡太郎は風速七十米の台風の中心部にまきこまれるように舞いあがった」
筒井康隆編「12のアップルパイ」
わたしが「初夢夢の宝船」を読んだのは、筒井康隆氏のアンソロジー「12のアップルパイ」(集英社文庫)ででした。奥付を見ると昭和62年とあるので、かれこれ37年も前です。

「12のアップルパイ」は、以前に紹介した「異形の白昼」と一緒に集英社文庫で再刊されたアンソロジーで、あとがきにこう書かれています。
楽屋話になるが、編者の、ユーモア・アンソロジイを編輯したいという希望は、前回の恐怖小説集アンソロジイ「異形の白昼」を編む前から立風書房にお話ししてあった。ただ、「ユーモア・アンソロジイは時期尚早であり、むしろ現時点では恐怖小説アンソロジイの方がより望ましいのではないか」という出版社側からの意見があったので、それに従ったのである。さいわいにも「異形の白昼」は好評を得て、数度版を重ねたため、ふたたび立風書房からお話があって、ここに「ユーモア・アンソロジイ」が実現することになった。

「異形の白昼」についてはこちら
「異形の白昼」から曽野綾子「長い暗い冬」
暗い官能の洞窟へ堕ちて:「甘美な牢獄」
末尾に「禁無断上映」
「12のアップルパイ」は古本で探すしかありませんが、「初夢夢の宝船」は遠藤氏の「ユーモア小説集」(講談社文庫、電子書籍あり)で読むことができます。

最後に「12のアップルパイ」のあとがきから、筒井氏の「初夢夢の宝船」評を紹介して、この文章を終えたいと思います。
「初夢夢の宝船」の原典「ミクロの決死圏」は、文学作品ではなく、とり立てて荘重でもなければ権威もない。それだけに、へたにパロディにすれば、とんでもなく下品なものになった筈である。だが一流の作家の手にかかれば、たちどころに一流のパロディ文学になってしまうのだから、まったく驚くほかない。
(略)
なお、この作品が雑誌に発表された際には、末尾に「禁無断上映」という痛烈なギャグがつけ加えられていたこともつけ加えておこう。
(しみずのぼる)
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