土俗的恐怖と心の闇を描く:坂東眞砂子「屍の聲」 

土俗的恐怖と心の闇を描く:坂東眞砂子「屍の聲」 

きょう紹介するのは坂東眞砂子氏のホラー短編集「屍の聲」(かばねのこえ)です。「因習としがらみの中で生きる人間たちの、心の闇に巣くう情念の呪縛。濃密な風土を背景に描く、恐怖の原型とは。記憶の底に沈む畏怖の感情を呼び起こす本格ホラー小説集」(背表紙の内容紹介)です(2023.10.17) 

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代表作は「死国」「狗神」

坂東眞砂子氏(1958-2014年)は高知県高岡郡斗賀野村(現・佐川町)出身。初期の代表作「死国」「狗神」は高知を舞台にした伝奇ホラーの傑作で、どちらも映画化されています(映画も雰囲気たっぷりで、どちらもおすすめです) 

20年ぶりに故郷である高知の矢狗村を訪れた比奈子は、幼馴染みの莎代里が18年前に事故死していたことを知った。その上、莎代里を黄泉の国から呼び戻すべく、母親の照子が禁断の“逆打ち”を行っていたのを知り、愕然とする。四国八十八ヶ所の霊場を死者の歳の数だけ逆に巡ると、死者が甦るというのだ――。そんな中、初恋の人・文也と再会し、恋に落ちる比奈子。だが周囲で不可思議な現象が続発して……。古代伝承を基に、日本人の土俗的感性を喚起する傑作伝記ロマン(「死国」角川文庫) 

過去の辛い思い出に縛られた美希は、四十路の今日まで恋も人生も諦め、高知の山里で村人から「狗神筋」の一族と忌み嫌われながらも、静かに和紙を漉く日々を送ってきた。そんな時、一陣の風の様に美希の前に現れた青年・晃。互いの心の中に同じ孤独を見出し惹かれ合った二人が結ばれた時、「血」の悲劇が幕をあける! 不気味な胎動を始める狗神。村人を襲う漆黒の闇と悪夢。土佐の犬神伝承をもとに、人々の心の深淵に忍び込む恐怖を嫋やかな筆致で描き切った傑作伝奇小説(「狗神」角川文庫) 

新聞のコラムで知る

わたしが最初に読んだ坂東ホラーは「死国」で、次に「狗神」だったと記憶します。ちょうどその頃、新聞の夕刊に坂東眞砂子氏を和製伝奇ホラーの旗手として高く評価するコラム記事が掲載されたのです。 

そのコラムが取り上げていたのが、文芸誌「新潮」に掲載された「猿祈願」ーーのちに「屍の聲」に収められた短編ーーでした。 

ふだんは文芸誌を買ったことのない身でしたが、そのコラムを読んで「これはおもしろそうだ」と書店に「新潮」を買い求めに走ったものでした。 

人間の心の闇を描く

「屍の聲」(集英社文庫)に収められている短編は収録順に、 

  • 屍の聲 
  • 猿祈願 
  • 残り火 
  • 盛夏の毒 
  • 雪蒲団 
  • 正月女 

となります。 

このうち、怪異現象がストレートに描かれているのは「猿祈願」と「正月女」ぐらいで、「盛夏の毒」と「雪布団」はそのような場面はひとつも出てきません。

ただ、すべての作品に共通するのが、田舎の因習やしがらみが濃厚に漂う土俗的な雰囲気(その土地の方言を巧みに使うことで効果を倍加させて)と、そのなかで浮かび上がる人間の心の闇です。 

不倫…離婚…妊娠 

傑作揃いですが、個人的にいちばん思い出深い「猿祈願」を紹介しましょう。 

舞台は夫となる巧の実家がある秩父の山奥。主人公の里美は、会社の上司である巧と不倫関係となり、巧は離婚。その後、里美が妊娠していることがわかり、にわかに巧と結婚することになり、巧の母親に挨拶するため秩父の地に降り立った。 

ふしだらな女。 

十二歳年上の上司を誘惑して、不倫関係に陥らせた女。 

また、胃がせり上がってくるような気分を覚えた。 

このまま引き返したい。せっかくの日曜日、秩父にまで来て、冷たい仕打ちを受けるよりは、家でゆっくりしてるほうがいい。 

だが、いつかは通らないといけない道だった。巧と結婚するのなら。 

巧の母親とは観音堂で待ち合わせていた。母親は秩父の観音霊場巡りに来た巡礼の人たちの接待を務めていた。だが、姿が見当たらない。住職に訊ねても、「変だいねぇ。このへんにいるんは、確かなんだけんど」 

巧は家に探しにでかけ、ひとり残された里美は観音堂の前で合掌した。 

巧さんのお母さんが、私を気に入ってくれますように。 

観音堂の中に入ると、何か赤いものが顔にぶつかった。 

天上から吊るされた、お手玉ほどの大きさの布の人形だった。てるてる坊主のような白いのっぺらぼうの頭に、真っ赤な胴体がついている。躰の真ん中で、四隅の突起を括り合わせているために、手足を抱えて背中を丸めている子供に似ている。 

その時、背後から声が聞こえた。もんぺ姿の老女だった。 

「括り猿ってもいうらしいけんど、こけえらへんじゃ、のぼり猿っつわいねぇ」 

願掛けの猿人形

里美がその人形にどんな意味があるか訊ねると、老女は言った。 

「安産祈願さぁ。子供や孫が無事に生まれるように、元気に育つようにっつんで、昔っから秩父の女衆は、野良仕事の合間にせっせとこれをこしらえて、観音様に奉納したもんなんだいよ」

老女の顔をみると目元が巧に似ていた。この人が巧の母親ではないだろうか。心臓の鼓動が速くなった。

すると、老女は「あんた、間引きっつうんは知ってるかい」と聞いてきた。 

「こけえらへんでも、子供を間引きするしかねえ貧乏な家もあったもんなんだよ。生まれたばかりのまだ血まみれの赤ん坊を、畳や枕で押し潰したっつんだからね。ほんとに酷えことだいねぇ」 

(略)

まだらになった白髪の間から、白っぽい頭皮が見えた。とても子供っぽく、痛々しかった。巧の母親を怖がっていたことが、不思議に思えた。この人もまた自分と同じような女なのだ。子供を孕み、それにまつわる苦しみも味わってきた。 

この人となら、うまくやっていけるかもしれない。いい嫁姑の関係を築けるかもしれない。 

老女は「頼みがあるんだけんども」と言い、手にしているのぼり猿を自分の代わりに奉納品の台に引っ掛けてほしいと頼んだ。 

「母ちゃんがおれが生まれる前にこしらえて、奉納したのぼり猿なんだよ」 

(略) 

「願をかけ直すべえと思ってさ。身内の者がおめでただと聞いたもんだからさあ。新しくこしらえるんもいいけんど、こうして昔のもんで願をかけ直したほうが、ずっと御利益があるっつう話だからさぁ」 

里美は嬉しさで体が熱くなった。自分の妊娠を知って、「安産祈願のかけ直しを思いついたのだ」「巧の母は、やはり優しい人だった」……。 

さて、ここから物語はいきなり暗転します。老女がのぼり猿にこめた願掛けが「安産祈願」でないとしたら……。この老女の正体は? 

短い短編ですので、この後の暗転とその結末は、「屍の聲」を手に取って自身でお確かめください。 

声なき者たちの叫び

「屍の聲」所収の短編でアンソロジーに選ばれたものがあります。朝宮運河氏が編者の「宿で死ぬーー旅泊ホラー傑作選」(ちくま文庫)に「残り火」が入っています。 

編者解説の文章が、坂東ホラーの魅力をとても端的に表していると思うので、そのまま引用してこの文章を終えたいと思います。 

奈良県の山中にある温泉宿。檜で造られた湯屋の中、こんこんと湧き出る湯が、疲れ切った主人公の心身を癒してくれる。彼女は権威的な舅に支配された嫁ぎ先から、着の身着のままで逃げてきたのだ。そこにふと兆す怪異の影。浴室の窓越しに交わされる熟年夫婦の会話を軸に、家父長制に虐げられてきた主人公の半生を鮮烈に浮かびあがらせた一編。声なき者たちの叫びを、土俗的恐怖の世界に封じこめた坂東ホラーは、今日あらためて広く読まれるべきものだろう。 

(しみずのぼる) 

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