《ピープル》 2作目「血は異ならず」も再復刊を

《ピープル》 2作目「血は異ならず」も再復刊を

ゼナ・ヘンダースンの代表作《ピープル》シリーズ、きょうは2作目「血は異ならず」(ハヤカワ文庫SF。原題:The People:No Different Flesh)を紹介します。前回記事で紹介した「果しなき旅路」(ハヤカワ文庫SF。原題:Pilgrimage)同様、読者投票で2000年に復刊した本ですが、すでに品切れ。シリーズ2冊とも再復刊が待ち望まれます(2023.9.30)

〈PR〉

【日本旅行】思い出に残る家族旅行を。

火刑にされた《ピープル》

シリーズ2作目の「血は異ならず」も、「果しなき旅路」に勝るとも劣らず傑作です。

子供をなくしたばかりのメリスは吹きすさぶ嵐の中で、赤ん坊の泣き声を聞いたような気がした。翌朝、夫のマークが森の中で見つけた三、四歳の少女は、つかまえようとすると宙を飛びまわって逃げるのだ。この子はいったい何者なのか……? 表題作ほか、爆発まぢかの故郷の星での最後の日々を物語る「大洪水」など六中短編を収録。超能力をもつ、人間そっくりの異星人と地球人の交流を描きだすピープル・シリーズ第二弾。

わたしが特に好きなのが、第3話「知らずして御使いを舎したり」と第4話「されば荒野に水わきいで」です。

崩壊する《故郷》で恋人同士だったライサとティミーは、地球に着いてから離れ離れになり、それぞれ大きな困難が待ち受けます。そこでかかわる地球人が善良な人たちでなければ、彼らは生き残れなかったでしょう。この2つの話は、その艱難辛苦を描いています。 

ライサは地球漂着後、偏狭な人たちに焼き殺されそうになる。その町はお互いを監視し、何か掟に背いた時は聖書の引用を記した紙切れを扉に貼る習慣がある。

以下、ライサを助けた夫婦ーーニルスとゲイルが紙切れを見つける場面です。

「見ろよ、ぼくの見つけたものを」ニルスは薄よごれてけば立った紙片をよこした。「家畜小屋の扉に釘でとめてあったんだ。扉は燃えていなかった」 

わたしはその紙切れをそっとつかんで、そこに書かれている内容に首をひねった。文字はほとんど読めないくらいだったーー〈出・22・18〉 

「なあに、これ?」わたしは訊いた。「なんにも書いてないわ」 

「引用さ」とニルス。「聖書からの引用なんだ」 

「そうだったの。なるほどね。ええと、出エジプト記、二十二章、十八節ってわけね。どんなくだりか知ってる?」 

(略) 

そこでわたしたちは聖書を見つけだし、ニルスの人差し指が捜しあてたくだりと、家畜小屋の扉から彼がはずしてしわをのばした紙片の上で顔を見合わせた。 

「おお、まさか!」わたしはぞっとして叫んだ。「ありえないことだわ! 今のこの時代に!」 

「ありうるさ」ニルスは言った。「人間が善と愛と服従を悪用して、神を自分たちのしなびた心にふさわしいちっぽけなものにしてしまえば、いつの時代だってありうることだ」彼の指は再びその短い一節をたどった。<魔術を使う者を生かしておくべからず>

いまの時代にも偏狭な人々はいる。決して善なる者だけではない。このくだりは深く心に刺さります。

汝他国の人を虐ぐべからず

でも、ゼナ・ヘンダースンは、善良なる人たちに深く心を寄せているのが、文章のはしばしに感じられます。

中でも、ニルスが町を離れる時、町の人々に対して残した紙片ーー「出エジプト記、二十二章二十一節から二十四節まで」は秀逸です。 

「天罰が欲しいなら、彼らの上にくだそうじゃないか!」 

本文ではニルスがこう言い放った場面しか出てきませんが、聖書に不案内な日本人の読者のため、文庫の解説者があとがきでどういうくだりなのか教えてくれています。

”汝他国の人を悩すべからず、又これを虐ぐべからず、汝らもエジプトの国にいる時は他国の人たりしなり。汝凡て寡婦あるいは孤子を悩すべからず。汝もし彼等を悩まして彼等われに呼らば、我かならずその呼りを聴くべし。わが怒り列しくなり、我剣をもて汝らを殺さん、汝らの妻は寡婦となり汝らの子は孤子とならん”

人間は生来、異質な存在には警戒感、さらに高じて拒否感を抱くものなのかもしれません。でも、それではいけないと理性が働き、異質であることで排撃しようとする気持ちを自省し、自らの心を寛容であろうと努めるのだろうと思います。

そんな心のひだを感じさせる場面が、《ピープル》シリーズには随所に出てきます。 

愛がそうさせただけ

「血は異ならず」の第1話で、《ピープル》の赤ん坊を拾って育てた夫婦が、町の不良少年たちのせいで夫の発表論文が台無しにされた時、ヴァランシーやカレンが助けに来ます。

マークは突然、肩肘をついて起き上がった。「待ってくれ」彼は言った。「これじゃあんまり事がうまく運びすぎる。いったいーーいったいどういうわけでぼくたちのためにこんなことをしてくれるんだ? 友だちでもないのに。あなたがたとは関係ないことなんだ。ララの面倒を見たお返しというわけかね? もしそうならーー」 

カレンはほほえんだ。「それならあなたはなぜララの面倒を見たの? 彼女を当局へ引き渡すこともできたはずだわ。あなたがたとはなんの関係もない、知らない子供なんですから」 

「そんな質問はばかげてる」マークは言った。「彼女には助けが必要だったんだ。寒さに震え、びしょぬれで迷子になっていたんだからね。だれだってーー」 

「わたしたちが今これをしようとしているのも、まったく同じ理由なのよ」カレンは言った。「祖先をたどれば、あなたがたとわたしたちは異なる世界に生まれたけど、持って生まれた血までは異なるというわけじゃないわ。神の創りたもうた宇宙の中では、みんなが友だちなのよ。あなたはある不幸な状態を発見し、自分で何かできそうだと思ったから手を差しのべたんでしょう? なぜとかどうしてなんて考えもせずにね。愛がそうさせただけなのよ」

現在入手可能な唯一の本、ゼナ・ヘンダースンの短編集「ページをめくれば」(河出書房新社)におさめられた本邦初訳「忘れられないこと」(原題:The Incredible Kind)のことも軽く触れておきましょう。

邦訳で読めるのは13編

「血は異ならず」の最後を飾る「月のシャドウ」の登場人物たちが出てくる中編で、これを「ページをめくれば」に加えてくれたことに感謝です。ですので、日本で読める《ピープル》シリーズは、「果しなき旅路」所収の6編、「血は異ならず」所収の6編、「ページはめくれば」の1編の合計13編となります。

その中で、どれがいちばん好きかと聞かれると判断に迷いますが、わたしがとても惹かれたのは「果しなき旅路」の5番目の話「囚われひと」です。 

主人公は、サーカス団に属した母(《ピープル》)が死に、養い親(地球人)のもとで鬱屈した日々を過ごしているフランチャー・キッド。町の悪事はすべて彼のせいにされていて、誰も味方がいない孤立無援の状態のなか、新しく赴任した女性教師キャロル(地球人)との交流がはじまる。

フランチャーの能力は「音楽をつくる」こと。それに最初に気づいたのは同じクラスの少女トワイラ(地球人)だった。

「あなたと踊りたい」

「あのひと、いつだったかじっとわたしを見つめたことがあるの。ほんとうに、穴があくほどよ。おかしなひとーーべつに滑稽ってことじゃないんだけど」彼女は早口になった。「あのひとがわたしを見つめると、それがーー」頭がかしぐほど強くおさげをひっぱって、上目使いにわたしを見あげながら、「それがわたしのなかに音楽をつくるの。 

そしてダンスパーティー。 

かろうじて聞きとれるほどの低い声で、トワイラが言った。 
「あなたと踊りたいんだけど」 
「こんなぼくとか?」彼は服をゆびさした。 
「もちろんよ。服なんてどうでもいいわ」 
「みんなの見ている前で?」 
「あなたさえよければ。あたしは気にしないわ」 
「あそこじゃいやだ」彼は言った。「窮屈で、かたくるしくて、とても耐えられないよ」 
「じゃあここで」トワイラは両手をさしのべながら言った。 
「音楽がーー」そう言いながらも、彼の手はしぜんにトワイラの手のほうへと動いていた。
「あなたの音楽があるわ」 
「おかあさんの音楽だ」彼は訂正した。 

そして音楽が始まった。忘れられない陽気な三拍子のメロディだった。足もとで舞う枯葉にも劣らず軽やかに、二人は相擁してその空地をぐるぐる踊りまわった。 

その場面に居合わせたキャロルは、少年少女の踊りに見とれる。 

いまでもあの光景は眼に残っている。けれどもそれを表現する形容詞は見つからない。あのような魅惑にふさわしい形容詞など存在しないからだ。音楽はしだいにはやくなり、高くなり、やさしく、豊かになったーーひとりの母親がわが子に残した、失われた音楽だった。 

悪童のレッテルに惑わされず、音楽に惹かれて「あなたと踊りたい」と誘ったトワイラもまた、善良なる人のひとりです。 

 ゼナ・ヘンダースンが描く登場人物は、《ピープル》も地球人も分け隔てなく、あたたかな眼差しで描写されているところが魅力なのでしょう。それが多くの人が復刊を待ち望み、読者投票で第一位に輝いた原動力なのだと思います。 

(しみずのぼる)