映画を観るように読む:「ユゴーの不思議な発明」

映画を観るように読む:「ユゴーの不思議な発明」

きょうはブライアン・セルズニック「ユゴーの不思議な発明」(原題:The Invention of Hugo Cabret)を紹介します。映画にもなったので、映画を観た方はあらすじはすでに知ってしまっているかもしれませんが、それでも、これは単行本で読むべき本です。映画を観ていない方なら、ぜひ単行本から物語の世界に入ってください。すでに古書を探すのも容易ではありませんが、決して期待を裏切らないでしょう(2023.8.10) 

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厚さ5センチの重量級

あらすじを最初に紹介します(わたしの手元にある邦訳本の表紙カバーから引用します) 

舞台は1930年代のパリ。主人公はパリ駅の時計台に隠れ住む12歳の孤児ユゴー。彼は、父が遺したからくり人形に隠された秘密を探っていくうちに、不思議な少女イザベルに出会う。からくり人形には二人の運命をも変えていく秘密が隠されていたのだ。……からくり人形のぜんまいが動き始めるとき、眠っていた物語が動き出す! 

わたしは最初、原書で読みました。英語の勉強ついでに「児童書なら読みやすいか」程度の意識だったのですが、ネット注文で届いた原書にびっくり。厚さ5センチ、重さ1・2キロという超重量級の本でした。 

その後、金原瑞人氏が翻訳した「ユゴーの不思議な発明」(アスペクト)も購入して読みましたが、これまた原書に忠実で、表紙カバーこそ違いますが、中身はまったく一緒。紙質までほぼ同じです(厚さは5センチ弱で原書より若干スリムですが、翻訳者の金原氏と出版社の編集者のこだわりが感じられ、原書に忠実な翻訳本を出していただいたことに感謝しかありません) 

「ユゴーの不思議な発明」は原書に忠実な翻訳本です
左が原書、右が邦訳本

古本を探してでも、図書館を探してでも、単行本で読んでほしいーーというのは、この分厚い邦訳本です(原書ももちろんおすすめです) 

まるでモノクロ映画のよう

ページをめくる前に、まず想像してほしい。自分が闇の中にすわっているところを。闇は闇でも、映画がはじまる前の暗闇だ。やがてスクリーンに太陽が昇る。そしてパリの街の真ん中にある、鉄道の駅がぐんぐん近づいてくる。ドアが開いて人でごったがえす構内に入っていくと、人ごみの中に少年がいる。 

これが「はじめに」に書いてある文章です。まさにこのとおり、ページをめくると、モノクロ映画のはじまりのように、エンピツ画が展開していきます。その間、ずっと文字はありません。主人公のユゴーが駅構内のおもちゃ屋の老人ジョルジュと出会うところまで、ずっと精細なエンピツ画がひたすら続いて、54ページ目でようやく文章となります。 

そうなのです。これは絵本ではなく、イラスト(エンピツ画。一部モノクロ写真)に文章が埋め込まれている構成なのです。数多くのイラストもエンピツで精緻に書かれ、まるでモノクロ映画のよう。邦訳本の帯に書いてあるとおり、「映画を観るように読む」本なのです。 

「ユゴーの不思議な発明」は精緻エンピツ画が満載です
精緻なエンピツ画(左がイザベル、右がユゴー)

冒頭53ページは著者HPで視聴可

金原瑞人氏も訳者あとがきでこう書いています。 

いままで、こんな本があっただろうか。160枚近いイラストのなかに、物語がちりばめられている。 

まるで映画のフィルムのコマを並べたような絵が続くかと思うと、街の風景や、大時計の裏側が出てきたり、文章が数ページ続いたかと思うと、また絵が出てきて、今度は数行のページが現れたり……この流れとリズムがとても楽しい。そして、なにより、ストーリーが素晴らしい。 

幸いなことに、冒頭から53ページまでのイラストは、著者ブライアン・セルズニックのホームページで見ることができます(Click hereをクリックするとスライドショーがはじまります) 

映画へのオマージュ

さて、ストーリー自体が映画へのオマージュですが、これはもう映画を観ていない方のために、ここで詳細を語るのはやめて、いくつか印象に残る場面を紹介するにとどめましょう。  

最初は、片目に眼帯をかけたエティエンヌの場面です(映画では省略されています) 

映画館で働くエティエンヌは「映画が好きな人の気持ちはよくわかる」と言って、子供には代金を求めずに映画館に入れてくれる好青年。老人ジョルジュと同居する少女イザベルに連れられ映画を観たユゴーは、別の日に本屋でエティエンヌと遭遇する。ユゴーはマジックの本をどうしても欲しくて盗みを働いたところだった。 

盗みを目撃した時に…

「ユゴー」エティエンヌの声がした。背もたれのない椅子にすわって本を読んでいる。「何を持っているんだい?」 

ユゴーはぎょっとした。逃げだしたい。けれど、エティエンヌはユゴーの前までやってくると、脇の下の本を抜き取った。 

「なるほどマジックか」エティエンヌはにっこり笑うと、ユゴーに本を返した。「この眼帯の下に何があると思う?」 

エティエンヌは本気でぼくにきいているのだろうか? 

答えを待っているみたいだ。 

ユゴーはおずおずと答えた。「目?」 

「はずれ。ぼくは子どものころ、花火で遊んでいて、目を片方失った。ロケット花火が突きささったんだ」 

(略) 

「で、眼帯の下に何があるか知りたい?」 

「うん」ユゴーは答えたが、ここから逃げ出したくてたまらなかった。 

エティエンヌは眼帯の下に手を差し入れると、硬貨を1枚取り出して、ユゴーに渡した。 

「ぼくの知っているたったひとつの手品さ」エティエンヌはいった。 

「さあ本を買っておいで」 

エティエンヌのような大人でありたいし、そうすれば世の中はもっともっとよくなる。そんなふうに思いませんか。 

ひとつも要らない部品はない

別の場面です。ユゴーとイザベルのおもちゃ屋での会話です。 

ユゴーは、からくり男について、父さんからきいたことを考えた。「知ってる? 機械はすべて、目的があって作られるって」ユゴーはイザベルにたずねた。「例えばこのネズミは人を笑わすためだし、時計は時を告げるためだし、からくり男は人をびっくりさせるためだ。だからこわれた機械を見ると、いつもちょっと悲しくなるのかもしれない。もう役立たずになっちゃったってことだろう?」 

(略) 

「たぶん人間も同じだ。もし目的を失ったら……こわれた機械みたいなもんだよ」 

「パパ・ジョルジュみたいに?」 

「たぶん……たぶん、ぼくたちで直せるかも」

続いて、駅舎の時計台からふたりでパリの夜を眺めるシーンです(この場面は映画にも出てきます) 

「すごくきれい」イザベルはいった。「まるで街全体が星でできてるみたい」 

「ときどき、夜、ここにくるんだ。点検の必要はなくても、ただ街をながめにね。世界ってひとつの巨大な機械だと思うと楽しくなるんだ。機械にはひとつとしていらない部品はない。ちゃんと必要なだけの数と種類の部品がある。もし世界が巨大な機械なら、ぼくも何か理由があってここにいるに違いない。そう思えるからね。きみだってそうさ。きっと理由があるからここにいるんだよ」 

自分は将来何者になるのだろう。ユゴーやイザベルのような10代はじめの少年少女に共通する悩みだろうと思います。 

「ひとつとしていらない部品はない」。人もまたそうなのだーーと語るこの場面は、著者のやさしさがあふれています。

ふたりが紐解くジョルジュの過去

ユゴーとイザベルが一緒になって紐解くジョルジュの過去。過去の封印を解いて「こわれた機械」のジョルジュを「直す」ふたり……。続きはぜひ(重量級の本ですが)手に取ってご自身の目で確かめてください。 

最後に映画版「ヒューゴの不思議な発明」(原題:Hugo)について一言。 

マーティン・スコセッシ監督の映画版は、基本的に原作に忠実で、「映画への愛」があふれる点は原作に負けず劣らずです。 

ただ、映画版では、ユゴーの敵役である鉄道公安官が登場する場面が増えています。公安官とユゴーの絡みが多い分、スリルあふれる出来栄えのように思います。 

原作を読んだら、ぜひとも観ていただきたい作品です。 

(しみずのぼる) 

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