悲しい幸せを描く:凪良ゆう「神さまのビオトープ」

悲しい幸せを描く:凪良ゆう「神さまのビオトープ」

きょう紹介するのは凪良ゆうさんの「神さまのビオトープ」です。「流浪の月」「汝、星のごとく」で本屋大賞に2度輝いた凪良さんですが、この連作短編集が出版社の編集担当の目にとまったことが後続の小説執筆につながったそうです(2023.9.28)

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一般向け小説の1作目

凪良ゆうさんは、もともとBL小説でデビューして、一般向けの小説は「神さまのビオトープ」(講談社、2017年)が一作目です。 

以後、「すみれ荘ファミリア」(講談社、2018年)、「流浪の月」(東京創元社、2019年)、「わたしの美しい庭」(ポプラ社、2019年)、「滅びの前のシャングリラ」(中央公論新社、2020年)、「汝、星のごとく」(講談社、2022年)を出版。このうち「流浪の月」と「汝、星のごとく」が本屋大賞を受賞し、「流浪の月」は李相日監督、広瀬すずさんと松坂桃李さんの主演で映画化されました。 

わたしの読書歴は、「流浪の月」の映画を観に行く前に原作を読もうと思って「流浪の月」を読んだのが最初で、その後はさかのぼって「神さまのビオトープ」「すみれ荘ファミリア」「わたしの美しい庭」「滅びの前のシャングリラ」を読み、「汝、星のごとく」は出版されてすぐに読みました。BL小説は読んでいません。 

世間と相いれない人たち

今回、本屋大賞の受賞で世評もすでに確立している「流浪の月」と「汝、星のごとく」は除外して、残り4冊を再読して1冊選んでおすすめしようと思い、ここ数日、凪良ゆうさんの小説漬けでした。しかし、1冊だけ選ぶのは至難の業でした。なぜなら、4作ともよいのです。ウィキペディアによると、

一貫しているのは「どこまでも世間と相いれない人たち」を書いてきたこと

とありますが、4作ともこの通りの内容です。どれも考えさせられる作品です。 

幽霊の夫と暮らすうる波

前置きはこの程度にして、一般向け小説のデビュー作ともいえる「神さまのビオトープ」を紹介します(あらすじは背表紙から) 

うる波は、事故死した夫「鹿野くん」の幽霊と一緒に暮らしている。彼の存在は秘密にしていたが、大学の後輩で恋人どうしの佐々と千花に知られてしまう。うる波が事実を打ち明けて程なく佐々は不審な死を遂げる。遺された千花が秘匿するある事情とは? 機械の親友を持つ少年、小さな子どもを一途に愛する青年など、密やかな愛情がこぼれ落ちる瞬間をとらえた四編の救済の物語。

連作短編集の「神さまのビオトープ」は、「秘密」と題した短いプロローグとエピローグにはさまれるかたちで、 

  • アイシングシュガー 
  • マタ会オウネ 
  • 植物性ロミオ 
  • 彼女の謝肉祭 

という表題の短編からなっています。 

プロローグの秘密は、世話好きのおばさんから再婚をすすめられるも、うる波が、事故死した夫「鹿野くん」の幽霊と一緒に暮らす生活を選び取る、というストーリーです。

ここにいるのは幻の夫。 

けれどそれでいい。 

いけない理由がわたしの中に見当たらない

「アイシングシュガー」は、背表紙のあらすじで紹介されている佐々くんと千花の物語です。 

千花は佐々くんが死んだあと、自分のそばに佐々くんがいると言いふらす。うる波さんならわかってくれますよね?と千花はすがる。 

わたしと鹿野くんを、あなたの夢の共犯にしないで。 

それであなたの夢を強化しようとしないで。 

機械の親友を持つ少年

「マタ会オウネ」は、あらすじで紹介される機械の親友を持つ少年の物語です。 

こちらは千花の物語とは趣が異なり、明るさを感じます。でも、プロローグでも千花との物語でも涙をみせなかったうる波が、はじめて涙を流す場面が出てきます。 

親友のロボットを失った少年に、うる波は鹿野くんのことを打ち明ける。 

「わたし、死んだ旦那さんの幽霊と暮らしているの」 

秋くんはまばたきを繰り返した。 

「花火大会の夜、わたしの隣に旦那さんの幽霊がいたのよ。それで事故で火傷したわたしを見て、旦那さんが身体がほしいって言ったの」 

「それは、うる波サンを守りたいカラ?」 

(略) 

「スゴク悲しいね」 

なんの含みもない、素直な言葉だった。悲しいね。悲しいね。それはきっかりと言葉分の重みを持って、わたしの心に迫ってきた。 

「……うん、すごく悲しいのよ」 

うなずくと、思いがけず涙がこぼれた。 

「毎日、毎日、すごく悲しい」 

江國香織さんは「明るい絶望」を描くと言われますが、凪良ゆうさんの小説は似ているようで似ていなくて、「悲しい幸せ」を描くことが上手な作家のように思います。 

心だけで好きになる

「植物性ロミオ」は、小さな子どもを一途に愛する青年の物語です。 

小児性愛者の青年を、うる波は感情では拒絶しながら、理屈では反論できない。 

「身体には触れてない。ただ心だけで誰かを好きになる。それは罪ですか?」 

それは、いつもわたし自身が問いかけていることだった。 

「……いいえ」 

わたしは首を横に振った。 

「僕は心の中でまで、世間の人たちに合わせなくていけませんか?」 

「……いいえ」 

魂がとても近い少年と少女

「彼女の謝肉祭」は、背表紙のあらすじで一言も触れていない短編ですが、わたしがいちばん好きな短編です。 

絵の才能のある少年と、誰もが振り向く美少女でスクールカーストの頂点にいる少女が主人公。少年が少女につきまとっているというストーカー疑惑が持ち上がり、しかし少年は超然としている。むしろ少女の方が謎めいた行動をとり、果たしてこのふたりの関係は……。 

「別にいいけどね。男なんて大嫌いだから」 

立花さんはまっすぐ窓の外を見つめた。 

今まで繰り返し、繰り返し、何回も自分に言い聞かせたんだろう。 

その気強い横顔が安曇くんに重なった。 

この子たちは似ている。鹿野くんのアトリエで、ひとりで絶対に大丈夫と自分に繰り返し言い聞かせていた安曇くん。顔だの性格だのわかりやすい部分ではなく、自分たちの魂がとても近いことに、この子たちはいつ気づくんだろう。 

悲しいけれど幸せ

ふたりの未来を温かく見守るうる波は同時に、自分と「鹿野くん」の未来を思う。 

この家は、世界という名前のケーキから切り取られた無価値なピースだ。ひどく悲しい。さびしい。けれど、それでも、わたしは幸せだ。 

最後のエピローグの「秘密」もとても大好きな一篇ですが、これは少しでも書いてしまえば意味をなさなくなりそうなので、紹介は控えます。「世間と相いれない」でも幸せはあるのだーーということをさりげなく訴えかける一篇です。大好きです。 

道を切り開いた1冊

なお、「ダ・ヴィンチ」の23年10月号に凪良ゆうさんのインタビューが載っていて、「神さまのビオトープ」は最初ぜんぜん売れ行きが思わしくなく、重版まで2年以上かかったそうです。ところが、この一作が大きな副産物を生むことに……。 

「『神さまのビオトープ』を読んだ方々が、私に声をかけてくださったんです。『流浪の月』の東京創元社の編集さんがそうですし、『わたしの美しい庭』(2019年)のポプラ社の編集さんや、『滅びの前のシャングリラ』(2020年)の中央公論新社の編集さんもそうでした。最初は本当にもうどうしようもないくらい売れなかったけれど(笑)、道を切り開いてくれた1冊だったんです」 

「ダ・ヴィンチ」2023年10月号より

「神さまのビオトープ」のおかげで、その後の傑作群が誕生したと思うと、もう感謝しかありません。 

(しみずのぼる)

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