霊よりも女性が怖い:大原まり子「憑依教室」 

霊よりも女性が怖い:大原まり子「憑依教室」 

きょう紹介するのはSF作家、大原まり子さんの「憑依教室」です。「恐怖のカタチ」と題するホラー短編集に収められているのですが、どの短編も「少女から女性へ」と変わる年頃にスポットをあてており、読んでいると霊より女性のほうが怖い…と思ってしまいます(2023.9.22)

放課後にコックリさん

「憑依教室」は、大槻ケンヂさんの「くるぐる使い」の記事を書いた時から「次は『憑依教室』を書こう」と思って「恐怖のカタチ」(朝日ソノラマ文庫、1995年刊)を再読していました。どちらもコックリさんを作品のプロットにしているからです。 

「憑依教室」はこんな書き出しで始まります。 

やっとここへもどってきた。 
このなつかしい教室に。 
女子高を出てから、故郷へ、母校へ、いいやもっとはっきり言おう、ここへ、この教室へ、惹かれるようにずっと戻りたかった。 
十年だ。 
ここを出てからどこをどうさ迷っていたのか、十年間もここへ帰ってこなかった。

わたしが「もどって」これたのは、和子先生が三角関係の末に「恋人に刺されて死んだ」からだーーということで、十年前、放課後の教室でコックリさんに興じる3人の少女たちの話になっていきます。 

当時二十代後半だった和子先生の描写が出てきます。 

つつみかくしていてもあふれでる色気、歩くたびに男をたぶらかす腰の動き、誘惑する濡れたまなざし、匂いたつような艶めかしい肌……。 
わたしたちはみな知っていた。 
あの年ごろ独特の直感で、たちまちのうちに知ってしまったのだ。

少女たちの直感

なにを「知ってしまった」かと言えば、コックリさんの十円玉が”し”でとまり、次に”お””ろ””さ””れ””た”と動いたからだ。

しばらくまえ、和子先生は盲腸で二週間ほど学校を休んだ。わたしたちにとってあこがれの先生がいないのは火が消えたような日々だったが、あれは盲腸なんかじゃなかったんだ。先生は子供を……赤ん坊を、堕ろしたのだ! 
(略) 
わたしたちは知っていた。少女たちはみな天才的なひらめきによって、たちまちすべてを悟る。

少女たちのひとりが、和子先生が「半分ヒモみたいな」DV男と付き合っているという情報を聞きこんできた。 

少女たちは、大好きな和子先生のために、その男を放課後の教室に呼び出し、コックリさんに呪ってもらうことを思いつく……。 

内容の紹介はここまでにしますが、「あの年ごろの直感」「天才的なひらめき」と表現する少女たちと、大人の女性(あふれでる色気や腰の動き……)の描き方をみれば、作者は〈少女〉と〈女性〉は別の存在としてとらえているように思えます。 

〈少女〉と〈女性

〈少女〉と〈女性〉は別の存在としてとらえるかの記述は、「恐怖のカタチ」所収のほかの短編にも出てきます。

この曲が好きだったのはいつのころだったか……確か中学生のころ。 
 なんだかとても悲しくて、失恋なんて知らないころだけど、その曲を聴くたびに涙ぐんでいた。輝くような想いの混じった夏の風景を、夏が過ぎてからふと思い出すような……そんなステキな恋をするんだと、あのころそう思っていた。なつかしい……。 
胸に痛みが走った。 
むかしはもっと……純粋だった。 
いまは? 
いまはもう、損か得かを考えて男とつきあうようになってしまった。

(「海亀アパートの怪」) 

そんな作者の女性観が如実に表れるのが「僕は昆虫採集が好きじゃない」です。 

ナオミが恐ろしい

「ぼく」は、つきあっているナオミが別の男性と親し気に歩いているところを偶然見てしまう。 

 ゆっくりとすれちがったにもかかわらずーー男のことに夢中で、すべて忘れ去ってーーふるえるようなぼくの恐怖、存在そのものにさえ、気がつきもしなかった。 
 それは背中が凍りつくような体験だった。 
 その生き生きとした表情、いつもはぼくにだけ向けられているエネルギーのすべてが、まったく別の男に向けられているーーその光景は、なにか、とんでもなく悪い夢をみているようで、足もとがフラつくほどだった。 
(略) 
二人の関係が怖かった。 
なによりも、ナオミが恐ろしかった。
彼女がいったいなにを考えているのか、まるでわからなかったのだ。 

ナオミは別の男がいながら、「ぼく」と会う時は男性器にハチミツを塗って口にふくみ、セックスにいざなう。「ぼく」は聞きたいことも聞けず、子どものころ不得手だった昆虫採集を思い出す……。 

ただ、作者は〈少女〉から〈女性〉への変容や、男との関係性を否定的にとらえているわけでもなく、このナオミの物語は、最後はこんな文章で結ばれています。 

あの子はここから抜けだして、別のものに生まれ変わった。 
いちど死に、再生した。 
あの子は成長するのだ。 
人をパーツで見るのをやめる。 
人をモノのように感じることをやめる。 
人を役に立つかどうかだけで判断することをやめる。 
これはぼくたちの宣言だ。 
ぼくらはたえまなく変化し、生きつづける。 
そして、生きているかぎり、はてしなく成長しつづける。

でも、この境地に至るまでの、女性を昆虫になぞらえる描写と表現はやはり衝撃的です。セックスを嫌悪しているのか、独特な女性観のように思えます。 

「少女怪談」もおすすめ

わたしは、大原まり子さんの「憑依教室」を、1994年に出版された恐怖アンソロジー「少女怪談」(学研)で読みました。カバー扉にこうあります。 

この世とあの世、正気と狂気、エロスとタナトス 
さまざまな境界領域を変幻自在に浮遊する少女たち 
黒魔術に耽る少女、人肉をむさぼる少女 
異形に変じる少女、霊となった少女…… 
あなたを魔界へと誘う極上の恐怖譚、全7編!

編者は書かれておらず、いちばん最後のページに「編集制作」として東雅夫氏の名があります(のちに学研M文庫で文庫化された際は、きちんと東雅夫編と書かれていました) 

「憑依教室」と、この短編を収めた「恐怖のカタチ」について(東雅夫氏の文章だと思いますが)こう書かれています。

「憑依教室」は…(略)…粒よりのホラー短篇を収めた作品集「恐怖のカタチ」(朝日ソノラマ・1993)に収録された。収録作品中、恐怖度の点で最も読者の反響が大きかった作品とのことだが、宜(むべ)なるかな。ちなみに同書には、作者の〈少女観〉が直截に吐露された異色作「僕は昆虫採集が好きじゃない」も含まれており、併読をお勧めしたい。 

「恐怖のカタチ」と合わせて「少女怪談」もおすすめです。どちらも絶版・品切れの書ですが、古書を探してでも読んでほしい二冊です。 

(しみずのぼる)