きょうは久々に読み直して、やっぱり泣いてしまった大槻ケンヂ氏の短編小説「くるぐる使い」を紹介します。コックリさんを絶妙に織り交ぜたストーリー展開に、せつなくて、哀しくて、涙があふれること請け合いです(2023.9.9)
フェリーニの「道」
手元にあるのは早川書房から出版された単行本で、1994年発行(初版)です。
わたしは書店でこの本をなぜ手に取ったのか、どうしても思い出せません。
大槻ケンヂさんがボーカルを務める「筋肉少女帯」は聴いたことがないですし、大槻さんのファンでもありません(すみません)
ですから、平積みされていた本の装丁もしくは書名に惹かれて手に取ったのかもしれません。
手に取っても中身がわからないので、おそらく「あとがき」を読んだのでしょう。そこには、こう書かれていました。
お気付きの方も多いと思いますが、この話、フェリーニの映画「道」を下敷きにしています。主人公の名からしてが、実は波野…ザンパーノ、美那…ジェルソミーナのもじりなんですね。「道」は大好きな映画で、僕は何度見てもホロホロ泣いてしまうのです。
きっと、この文章でレジに向かったのだと推測します。わたしも「道」は大好きな映画でしたから。
読んでみて「道」以上に泣きました。
「道」を下敷きにしているのはプロットだけで、中身はまったく別物でした。
この短編集にはほかにも惹かれる作品が入っていますが、自分としては「くるぐる使い」推しなので、この作品に絞って紹介します。
私は外道なんだ
「くるぐる使い」は、余命いくばくもない老人(波野)が看護師に語る懺悔話の体裁となっています。
私は本当に外道なんだ。行く果ては地獄と決まっておる。鬼どもも私がもうすぐ来るってんで手ぐすねひいて待ちかまえておることだろうて、恐しかない。それだけのことはしてきたからね、でもね、何というか……歳かのう、あんたを見とると、あのくるぐるを思い出していかんともしがたい。あんたに本当の私を教えておかないと、なんだか死にきれんのだ。
こうして自身がくるぐる使いだった頃のことを語り出します。
くるぐる……ってえのはねえ……頭のいかれた娘のことなんだ。
(略)
くるぐる使いとはつまり、そのくるぐる、……頭のいかれた娘に芸をさせて日本中を旅して巡る大道芸人のことなんだ。猿まわしの猿のかわりに、アンポンタンポカンの娘を見世物にして銭をかせぐって寸法だ。外道だよ。外道の芸だあな。
波野が地方を転々と回ってみつけた少女が美那だった。
美那は、実はくるぐるじゃあなかった。
(略)
他人の忌まわしい過去を読んじまう奇妙な力が美那にはあったんだ。
美那はその村の嫌われ者だった。まだ十五歳の小娘なのに、村人は美那を厄病神のように恐れていた。
村八分にされていた美那を手に入れるため、波野は美那をほんとうの狂人になるよう仕向けた。
コックリさんが動く
使ったのはコックリさんだった。波野は「オマエノイチバンシリタイコトヲキケ」と指を動かすと、美那は村でただひとり一緒に遊んでくれた「ミコちゃん」はどうしているか知りたいと言った。波野は指を動かした。
「ミコ シンダ」
「ミコ クルッテ シンダ」
「ミコ サビシクテ ナミダトマラズ ナキシンダ」
美那は激しく泣いた。「ミコちゃん泣き死んだんだ! 涙が止まらなくなって泣き死んだのね!」
「ヒトリキリ ヒトリキリ ミコ コノヨデヒトリキリ」
「ミナハヒドイヤツダ」
「ミコガシンデモナキシナナイ」
波野は「もうやめておこう」と言いながら指を動かす。
「ナキシネ ナキシネ ナキシネ」
こうして美那はほんものの「くるぐる」になった。
「力」を失い始めた美那
波野と美那の大道芸は人気を集めた。美那の支離滅裂な語りの中に、他人の忌まわしい過去を読み取る「力」が混ざっているためで、サーカス団から一緒に巡業しようと持ち掛けられるまでになった。
ところが、美那の「力」がなくなり始めた。女性らしい体つきになっているのを見て、波野は「美那は恋をしている」と気づいた。
相手はサーカス団の花形である綱渡りの男に違いないと思い込んだ波野は……。
フェリーニの「道」をごらんになった方なら、ザンパーノが天使の羽をつけた綱渡りの男とどういう悶着となったか、そして泣くばかりのジェルソミーナを持て余し、ジェルソミーナを捨て……というその後の展開をよくご存じでしょう。
ジェルソミーナのその後を聞いた夜、ザンパーノが海岸の砂浜に泣き崩れるラストシーンに涙した人は少なくないでしょう。
でも、「くるぐる使い」の波野が引き起こした出来事は、「道」とは若干異なります。美那を失うところまでは一緒ですが、そこからは大槻氏のオリジナルの展開となっています。
「私は阿呆だね」
砂浜で泣き崩れるシーンの代わりに、大槻氏はふたたびコックリさんを用意しています。
私はコックリさんに尋ねた。
「私も美那に惚れていたのか?」
ソ・ウ・ダ
「それであんなに腹が立っちまったのか?」
ソ・ウ・ダ
「美那を他の男に取られると思ったんだね?」
ソ・ウ・ダ
「私は阿呆だね」
ソ・ウ・ダ
この前後のくだりは、もう涙なしに読むことができませんでした。
映画史に名が残るフェデリコ・フェリーニと比べるのは大槻さんも嫌がるでしょうが、わたしの涙の量は「くるぐる使い」のほうが多かったのは間違いありません。
「くるぐる使い」は、現在は角川文庫で読むことができます。
装丁は「学校怪談」で有名な高橋葉介さん。美那を思い起こさせる、哀しげな表情にまた涙を誘われます。
(しみずのぼる)
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