せつないホラーは好きですか:福澤徹三「幻日」 

せつないホラーは好きですか:福澤徹三「幻日」 

夏と言えば怪談です。ひたすら怖がらせるホラーも好きですが、個人的にはせつないホラーが好きです。きょうはそんなお気に入りの短編、福澤徹三氏の「幻日」を紹介します(2023.8.17)

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人ではないものとの逢瀬

日本には「せつないホラー」とも言うべきジャンルがあるように思います。 

山田太一氏の「異人たちとの夏」(新潮文庫)が代表例でしょうか。大林信彦監督の映画でも有名です。小説も映画も、浅草のすき焼き店のシーンは、嗚咽をおさえられません。 

人ではないものと逢瀬を重ねるーー。「幻日」と「異人たちとの夏」の設定は似通っています。泣けるのはまちがいなく「異人たちとの夏」ですが、読後に漂う何ともせつない寂寥感は「幻日」のほうが上のような気がします。 

実話系怪談の収集家

作者の福澤徹三氏は、実話系怪談で有名です。ご本人自身、怪談収集家として小野不由美さんの「残穢」(新潮文庫)に実名で登場します。 

「幻日」が入っている福澤氏の短編集「再生ボタン」(幻冬舎文庫)で、カセットテープに吹き込まれた怪談話と、それが生む怪異を描いた「怪の再生」は、文庫の解説(東雅夫氏)によると、 

作中人物たちがこもごも語る怪談話の迫真性はただならぬものがあり、実話怪談ファンのあいだに一躍、福澤徹三の名を知らしめることとなった。実際、その大半が作者自身の見分にもとづいた実話であるらしく……. 

ということのようです(「怪の再生」はただひたすら怖いです) 

さて、前置きはこの程度にして、せつないホラー「幻日」です。 

著者の最初の書籍(ブロンズ新社刊)は、この「幻日」が表題となっています。それだけ自信作だったということでしょう。このデビュー作が好評を博し、幻冬舎から文庫化されたのが「再生ボタン」です。 

終電で出逢う中年男と美女

主人公の清水は中堅印刷会社の営業課長。日曜にもかかわらず取引先の印刷物に誤植がみつかり、ひと回りも下の取引先の係長に「来月から印刷会社変えるから」「この分の金払えないから」と言われ、さんざんな一日を終えて終電に飛び乗った。 

申しわけ、ありません、か。清水は胸のなかで呟く。 

この言葉をあとどのくらい吐けば、自由な日々が訪れるのだろう。 

郊外の家まで片道二時間。定時なら身動きできないほどのラッシュになる車内は、日曜の終電とあって席が空いていた。 

いま頃、我が家では、女房と娘がスナック菓子で口のまわりを汚しながら、テレビの前に座っているだろう。二年前、女房の実家に平身低頭して出してもらった頭金と、気が遠くなるような長期のローンで買った家だ。 

(略) 

いつの日か、いまの生活から解放されることが彼の切実な願いだった。だが、そのためにはなにをどうすればいいか、皆目見当がつかなかった。 

電車に揺られて一時間ほどたち、止まった駅で降りていった客と入れ替わりに向かいの座席に若く美しい女が座った。 

後頭部が薄くなった髪、疲労が浮いた脂ぎった顔、不格好にたるんだ腹を抱えて生活に喘いでいる自分とはちがう。同じ電車に乗り、同じ空気を吸っているのに、彼我を隔てる埋めがたい溝が眼の前にある。 

清水は女を遠いものを見る思いで眺めていた。 

しかし、自宅のある駅でおりて歩いていると、その若い女が足をくじいてしゃがみこんでいた。 

「お住まいは、どちらですか。歩いていけますか」 

清水の声は幽かにうわずっていた。 

「家はあそこに見えるマンションです」 

肩を貸して瀟洒な高層マンションに送り届ける清水。「これだけご迷惑をおかけしたのに、家の前で追いかえすようなことはできません。どうぞお茶でも呑んでいってください」と誘う女。部屋にあがり、ワインをふるまわれ、女に誘われるまま男女の関係に。その日から清水は仕事を終えると深夜に家に帰るまで、加奈子という名の女の部屋に通う生活が日常になった。 

君のことがもっと知りたい

逢瀬を重ねるようになって半年。清水は加奈子に訊ねた。 

「自分に自信のない男は嫌いだというかも知れないが、どうして、ぼくのような男とつきあう気になったのかな。君とこうしていられることはほんとうにうれしい。でもどうにもよくわからないんだ。なんだか夢のようでね」 

「別に理由なんかないわ。好きだから。ただそれだけなの」 

「君のことがもっと知りたい、というのはわがままかな。僕は君のことをなにも知らないのが、凄く不安なんだ」 

わたしはこのままでいい

交際をはじめて一年。夜のマンションで逢瀬を重ねるだけの日常に不安をおぼえた清水は、加奈子に結婚を切り出した。だが、加奈子は「このままじゃ、だめなの」と返した。 

「そういってくれるのは凄くうれしいけれどーーでも、わたしはこのままでいい。あなたとずっと、このままでいい」 

しかし、加奈子との日常を前にすすめようと、清水は翌日会社を早退した。 

やがて加奈子のマンションが見えてきたとき、清水は安堵すると同時に息を呑んだ。

汚れている。真っ白だと思っていた加奈子のマンションの外壁は、灰色に近いほどくすんでいる。 

(略) 

清水は早足になってマンションに急いだ。やがてエントランスの前に立ったとき、彼は愕然とした。

マンションは一夜にして朽ち果てていた。 

清水はマンションの隣の家から出て来た中年の主婦に訊ねると、マンションはバブル崩壊で朽ち果て、そこにひとり住んでいた女も自殺したことを知らされる。 

せつないホラーだと前置きしていますし、逢瀬の相手が人ではないことも最初に明かしています。それでもすこし踏み込み過ぎました。お許しください。 

ここからの数ページーー真相を知られた加奈子と、そして清水の悔恨と待ち受ける現実は、ぜひ「再生ボタン」で確認してください。 

(しみずのぼる) 

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