きょうはアンディー・ウィアーのSF小説「火星の人」(原題:The Marthian、ハヤカワ文庫SF・上下巻)を紹介します。不慮の事故で火星に置き去りにされた宇宙飛行士が持てる力を駆使して生き残りを図る…という胸アツ必至のストーリーです(2026.1.12)
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目次
ウィアーの商業デビュー作
アンディー・ウィアーは先日紹介した「プロジェクト・ヘイル・メアリー」(上下巻、ハヤカワ文庫SF)の作者で、「火星の人」は彼の処女作です。
ウィアーの商業デビュー作で、もともとWeb小説として連載していたものが2011年に自費出版され、2014年にクラウン・パブリッシングより再出版されるという形で刊行された。
日本語版は第46回星雲賞海外長編部門を受賞した他、『SFが読みたい! 2015年版』のベストSF2014海外篇1位を獲得している。
ウィキペディアより

2015年?自分は何をしていたんだろう?
と記憶を遡ると、仕事に忙殺されていて読書もままならない時期でした。
今回「プロジェクト・ヘイル・メアリー」がとても面白かったので、同書の前に書かれた2作ーーデビュー作の「火星の人」と次作「アルテミス」(上下巻、ハヤカワ文庫SF)を一気読みしたところです。幸せな読書タイムでした~
不慮の事故で火星に取り残される
「火星の人」はこんな書き出しで始まります。
【ログエントリー:ソル(火星の一日。二四時間三九分三五秒)6】
ボロボロの最悪。
これが熟慮を重ねたうえでの見解だ。これを読んでくれる人がいるのかどうかもわからない。たぶん、いつかはだれかが見つけてくれるだろう。一〇〇年後かもしれないが。
火星に降り立ったアレス3のクルーたちは、砂嵐でMAV(火星上昇機)が倒れそうになり、ミッションを中止してMAVに乗り込み、火星軌道上の母船〈ヘルメス〉に戻ることになった。
主人公のマーク・ワトニーはMAVに乗り込む寸前、からだごと砂塵の中に吹き飛ばされた。烈風で折れたパラボラアンテナの一本が脇腹を貫き、データで生存反応が途絶えたため、他のクルーはワトニーが死んだと判断、MAVで火星を離脱した。
ところが、ワトニーは生きていた。運よく傷口からの出血がスーツの裂け目をふさぎ、スーツから酸素が抜ける事態とならず、息を吹き返したのだった。火星探査のために設置されたハブは、砂嵐にも耐えてそのまま残っていたものの、MAVの姿はすでになかった。
つまりこういうことだ。ぼくは火星に取り残されてしまった。〈ヘルメス〉とも地球とも通信する手段はない。みんな、僕が死んだものと思っている。そして僕は三一日間だけもつように設計されたハブのなかにいる。
もし酸素供給器が壊れたら窒息死。水再生器が壊れたら渇きで死ぬ。ハブに穴があいたら爆死するようなもの。そういう事態にならないとしても、いつかは食料が尽きて餓死する。
ああ、まったく。最悪だ。
食料が3年分足りない
ワトニーはエンジニア兼植物学者としてクルーに加わっていた。ハブのなかの探索で最初に行ったことは食料の確認だった。
【ログエントリー:ソル7】
さてと、ひと晩ぐっすり眠ったら、情況はきのうほど絶望的ではないような気がしてきた。地表でのミッションは三一日間の予定だった。余裕を見て、サプライ搭載機にはクルー全員が五六日間食べていけるだけの食料が積みこまれていた。
大混乱が起こったのは六日めだったから、まだ六人が五〇日間食べていけるだけの食料は残っているわけだ。実際にはぼくひとりだから、三〇〇日は食べられることになる。
食事を切り詰めれば400日分は稼げそうだ。医療エリアには大量のビタミン剤もあった。
しかし、次のアレス4が火星に到着するのは4年後だった。
植物学駆使してジャガイモを生育
1年分の食料で4年生き延びるにはどうしたらよいか。そこで役立つのが植物学の知識でした。【ログエントリー:ソル14】にはこんなくだりが出てきます。
ハブには高性能のトイレがある。大便は真空乾燥して密閉袋にためておき、外に捨てるのだがーー。
もうそんなことはしない!
(略)
大きな容器が見つかったので、そこに少し水を入れて、乾燥クソを加えた。それ以外、ぼくのクソもそこに入れている。臭くなればなるほど、いい兆候。バクテリアが働いている証拠だ!
備蓄食料を漁ると、ジャガイモも何個か見つかった。
そのなかのどれかひとつでいい。試練の旅を経たあとでもまだ芽を出してくれたなら、すばらしい。ビタミン剤はほぼ無尽蔵にあるから、あと必要なのは生きのびるためのカロリーだけだ。
ハブの総面積は約九二平方メートル。ぼくはそのすべてをこの試みに捧げるつもりだ。ぼくは痩せても枯れても植物学者だぞ! みなの者、ぼくの植物学パワーを畏れよ!
と、こんな調子でワトニーがめげずにコツコツと課題を解決していく過程が、彼が記録のために残すログエントリーを通して、読者の前に提示されていきます。
TVコメディにディスコ
その端々に現れるワトニーのユーモアにもクスリとさせられます。
例えば、他のクルーの残した私物を漁って、火星でのサバイバル生活に潤いを与えようとします。【ログエントリー:ソル26】から引用します。
ルイス船長の私物をくまなく探して、個人用のデータスティックを見つけた。みんなそれぞれ好みのデジタル・エンタメをもってきているのだが、ヨハンセンのビートルズ・アルバム集をきくのはもう飽きた。こんどはルイスがなにをもってきたか見てみた。
くだらないテレビ番組。それが彼女のもってきたものだった。大昔のテレビ番組がシリーズ全作ずらずらずらずら。
とはいえ、物乞いにえり好みはできない。『スリーズ・カンパニー』(一九七〇ー八〇年代に高い人気を誇ったアメリカのTVコメディ)だと。
こんなふうにクサしておきながら、【ログエントリー:ソル29】では、
今夜は、『スリーズ・カンパニー』にもどらないと。昨夜はミスター・ローパーがなにかを見て誤解するというエピソードの途中で止めちゃったんでね。
とすっかりハマってます(笑)
こんなくだりもあります。
【ログエントリー:ソル38】
このローバーを最後に使ったのはルイス船長だ。ソル7にも使う予定だったのに、家に帰ってしまった。なので彼女の個人用トラベル・キットがまだ後部座席にある。漁ってみたらプロテイン・バーと個人用のUSBが出てきた。たぶん運転中にきく音楽がめいっぱい入っているのだろう。
バーを食べながら、有能な船長がどんな音楽をもってきたのか見せていただくことにしよう。【ログエントリー:ソル38(2)】
ディスコですか。勘弁してくださいよ。船長。
衛星画像で生存に気づくNASA
ワトニーが生存していることにNASAが気づくのは、ワトニーのログエントリーで言うと【ソル42】あたり。すでに大統領が追悼スピーチを行った盛大な葬儀を終え、ワトニーが事故に遭った地点の衛星画像を確認することになってからです。
衛星画像の確認がこんなに遅れたのは、NASAが撮影した衛星画像はすべて24時間後に公開されるため、ワトニーの死体が映るのを恐れてNASA長官が禁じていたためでした。
サットコン(衛星コントロール)のミンディ・パークは、火星ミッションの統括責任者ヴェンカト・カプーアから送られてきた作業指示書に従って、ハブの緯度経度を入力した。
少しばかり自分を恥じながらも、彼女はいそいでマーク・ワトニーの遺体らしきものはないかと捜しまわった。一分間の捜索がむだに終わると、ほっとすると同時に失望している自分がいた。
彼女はひきつづきほかの画像も調べてみた。ハブは無事だったーーこれを見たらドクター・カプーアはさぞよろこぶだろう。
彼女はコーヒーの入ったマグカップを口元にもっていき、そのまま固まってしまった。
「あら……」言葉にならないつぶやきが口から漏れてくる。「あああ……」
ミンディはすぐにヴェンカトと連絡をとった。「緊急事態です」
作業場所に現れたヴェンカトに、ミンディは衛星画像をみせた。ヴェンカトは「ハブは無事なようだな」「メインのパラボラは見当たらないな」とひとつひとつ確認して、ミンディに訊ねた。「一大緊急事態というのは、何なんだね?」
「あの」彼女は指で画面に触れた。「これ」
(略)
「ローバーのポップ・テントみたいに見えますけど」
ヴェンカトはふたたび画面を見つめた。「うーん、どうやら、そのようだな」
ミンディはソル1からソル6までの全ログを確認したことを説明して、「クルーは一度もポップ・テントを開いてません」と続けた。
ミンディは太陽電池がきれいなことも指摘した。
必死に涙をこらえながら、ミンディはいった。「ものすごい砂嵐があったんですよ。どうして砂が積もっていないんですか?」
「強風が吹けば、そうなることもあるんじゃないのかな?」ヴェントカトも確信はもてなかった。
「ワトニーの遺体が見つからなかったことはいいましたっけ?」鼻をすすりながらミンディはいった。
画像を見つめるヴェントカトの目が大きく見開かれた。「ああ……」彼は静かにいった。「そんなばかな……」
ミンディは両手で顔を覆って静かにすすり泣いていた。
ワトニー帰還に全力を尽くす
ワトニー生存に激震が走るNASA。翌日の記者会見で明かすと社会全体が騒然となった。NASA長官のテディ・サンダーズは「彼をかならず救出すると約束することはできませんが、これだけはお約束しますーーNASAはマーク・ワトニーを帰還させることに、もてる力すべてを結集する所存です」と約束した。
この章(第6章)の最後の数行を引用します。
「どんな気分だろうな?」彼(テディ)は思いをめぐらせた。「ワトニーは火星で立ち往生している。まったくのひとりぼっちで、みんな自分のことはあきらめてしまっただろうと思っている。そういう状況は人間の心理にどんな影響をおよぼすのか?」
彼はふたたびヴェントカトのほうを向いた。「いま、いったいなにを考えているんだろうな?」【ログエントリー:ソル61】
アクアマン(アメリカン・コミックのスーパーヒーロー、水陸両棲の海底人で、水棲動物とテレパシーで話ができる)がクジラを思いどおりに動かすって、どういうことだ? クジラは哺乳類だぞ! ナンセンス。
長々と引用しましたが、想像を超える逆境であるはずなのに、時折笑いも誘いながら、めげることなく前を向き続けるワトニーの姿に心が熱くなること必定です。
原作に忠実な映画「オデッセイ」
「火星の人」は2015年に映画化され、日本でも「オデッセイ」のタイトルで劇場公開されています(映画の原題は原作と同じ「The Martian」)
リドリー・スコット監督で、ワトニー役はマット・ディモン。原作にほぼ忠実な内容です。
人間はだれでも互いに助け合う
こういうストーリーですから、最後はワトニー帰還のミッションに成功するエンディングとなるのは当然です。
本書のラストに「火星の人」を終始一貫貫く基本思想であり、著者が本書に込めたメッセージを表す文章が出てきます。その文章を引用して、わたしの拙い紹介文を終えたいと思います。
ぼくを生かすためにかかったコストは何億ドルにもなるはずだ。ばかな植物学者ひとりを救うために、なんでそこまで?
うん、オーケイ。ぼくはその答えを知っている。一部はぼくが象徴しているもののためだろうーー進歩、科学、そしてぼくらが何世紀も前から描いてきた惑星間宇宙の未来。だが、ほんとうのところは、人間はだれでも互いに助け合うのが基本であり、本能だからだと思う。そうは思えないときもあるかもしれないが、それが真実なのだ。
ハイカーが山で遭難したら、捜索隊が組織される。列車事故が起きたら、献血する人の行列ができる。地震で都市が崩壊したら、世界中の人が緊急救援物資を送る。これは深く人間性に根ざしたものだから、どの文化圏でも例外なくおなじことが起こる。たしかになにがあろうと気にかけない大ばか野郎もいるが、そんなやつより、ちゃんと気にかける人間のほうが圧倒的に多い。だからこそ、何十億もの人がぼくの味方をしてくれたのだ。
(しみずのぼる)
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