日本人形の怖さに増幅される狂気:筒井康隆「パプリカ」 

日本人形の怖さに増幅される狂気:筒井康隆「パプリカ」 

きょうは筒井康隆氏原作の「パプリカ」2回目ーー筒井氏の小説と、萩原玲二氏の漫画版「パプリカ」です。筒井氏いわく、「作者が一夜にして白髪となったほどの深層心理の異常性や狂気」の世界へようこそーー。(2024.3.15)

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原作も漫画も2部構成

まず、原作(小説)のあらすじを紹介します。 

精神医学研究所に勤める千葉敦子はノーベル賞級の研究者・サイコセラピスト。だが、彼女にはもうひとつの秘密の顔があった。他人の夢とシンクロして無意識界に侵入する夢探偵パプリカ。人格の破壊も可能なほど強力な最新型精神治療テクノロジー「DCミニ」をめぐる争奪戦が刻一刻とテンションを増し、現実と夢が極限まで交錯したその瞬間、物語世界は驚愕の未体験ゾーンに突入する! 

原作(1993年、新潮社 / 2002年、新潮文庫)も漫画(2003年、英知出版刊)も2部構成で、パプリカによる「夢探偵」の部分と、DCミニをめぐる「争奪戦」が第一部です。 

今回、漫画版を読んではじめて知ったのですが、小説が第一部と第二部に分かれているのは、単純に筒井氏の事情だったのだそうです。 

原作の方も「マリ・クレール」連載中、やはり第一部終了後に何カ月か休載している。新聞連載が始まり、この長編に集中できなくなったからである 

と書いてあります。 

「なんだ、そんな理由だったのか」と思いましたが、実は漫画版のほうは第一部で、連載は終わってしまい(連載元の「ミスターマガジン」の休刊と重なったようです)、第二部は8年後に書き下ろしされたものです。 

そのため、第二部は、筒井氏が「小説では判りにくい夢の場面なども詳細に描かれていて」と称賛する第一部の濃密さと比べると、はしょられた印象はぬぐえません(著者の萩原氏自身も「絵柄やコマ割り等、スタイルの変化・変容は遺憾ともしがたい」「第二部の位置づけは、いわば『ダイジェスト版』である」と述べています) 

夢探偵の面目躍如

前置きはこの程度にして、「夢探偵」の部分を紹介しましょう。 

パプリカの治療を受けるのは自動車会社の重役・能勢龍夫。ジャングルの中を歩く夢の中に、パプリカがジャック・インしてきた。 

夢に出てくる人物の顔が獣なのは映画「ドクター・モローの島」からの連想だったことや、パプリカの顔が一瞬だけ虎になるとにわかに場面が日本旅館に飛び、能勢の息子が現れたかと思えば虎が現れる、といったように支離滅裂な夢が続いた後、能勢とパプリカはこんなやりとりをかわす。 

「ねえ。なぜわたしが虎だったの」 

「この子の名前が、そう言えば寅夫だったよ。トラの字は違うがね」 

「なぜ息子さんに寅夫という名前をつけたのか、思い出せない」 

「好ましい名前だと思ったからだ。なぜかというと、つまり」 

「ええと。さっきの質問の答えだけどね。昔、仲のいい友達がいたんだ。名前を虎竹っていった。その子にあやかって、息子の名前を寅夫にしたんだと思うよ」 

「その子とぼくはよく一緒に映画を見に行った。『ドクター・ノオ』も虎竹と一緒に見に行ったんだ。大きな旅館の子だ。彼は映画少年だった。ぼくは映画監督に、虎竹はカメラマンになるのが夢だった。いつか一緒に映画を作ろう。そんな夢を語り合って」 

煙草屋の裏へ引き戻す

場面は旅館から能勢の勤めるビルに移ったが、そこでパプリカが大声で言った。 

「ここに煙草屋さんがあるわ。じゃ、さっき秋重君と篠原君が話していた場所はこの裏ね。つまり『煙草屋の裏』なのね」 

たちまち場面は昨夜の夢で見た小川のほとり、あの煙草屋の裏の小さな空地になる。「▲◎▽!」能勢は何ごとか自分でもわからぬことばを叫び、場面を変えた。彼がいちばん落ちつける場所。それが大学生時代によく通ったお好み焼屋のひと隅であることに恥ずかしさはあったが、こだわっていられなかったのだ。 

しかしパプリカは場所の移動を、同じ夢に登場している人物として拒否した。「残酷だけど、ごめんなさいね」 

半醒半睡ながら、おそらく彼女の指さきがバック・スキップのキイを叩いたに違いなかった。場面がまた煙草屋の裏に戻り、そこでは餓鬼大将の秋重が高尾、篠原と共に難波をいじめている。難波は地べたにころがっていて、いじめっ子の三人は彼を力まかせに蹴りつけていた。 

「難波君じゃないでしょう。誰なの」 

パプリカの容赦ない質問に能勢は悲鳴をあげ、またお好み焼屋に逃げ込む。 

バック・スキップ。 

煙草屋の裏。いじめられているのは能勢の息子だ。三人のうち、篠原は地べたに倒れている四、五歳の寅夫に馬乗りになって首を絞めていた。 

「やめろ」能勢は絶叫し、篠原に殴りかかっていく。「そうだよ。これは寅夫じゃない。虎竹だ」 

能勢龍夫は覚醒した。汗にまみれた顔で彼はベッドに上半身を起した。泣いていた。コレクターの画面に向かっているパプリカに、彼は言った。「そうだ。虎竹は死んだんだ。殺したのは、ぼくだ」 

メモに書き留めた夢

小説と漫画は、このパプリカによる「夢探偵」の場面と、千葉敦子が務める精神医療研究所で、千葉が愛する同僚の時田浩作が開発した「DCミニ」が何者かに盗まれ、相前後して所員が次々におかしくなっていくミステリーの要素が交互に展開していきます。 

DCミニを盗み出すことに加担した所員・氷室に対して、黒幕のひとりの小山内は「重症の分裂病患者の夢」を識閾下(しきいきか)投射して、氷室を発狂させます。 

その「重症の分裂病患者の夢」に出てくる日本人形は、筒井氏自身が「怖さの極限」と認識するものなのだそうです。漫画版の対談に出てきます。 

萩原:実際、先生がご覧になった夢で挿入したものはありますか? 

筒井:それはたくさんありますね。頭で考えて、夢の雰囲気を出すような話というのはなかなか考えつかない。やっぱり参考にするのは実際の夢なんですね。 

萩原:『パプリカ』の中で読んでいていちばん怖ろしいと思う夢、でっかい大仏があって団地の中で日本人形がたくさんいるという……あれもそうなんですか? 

筒井:あれはそうですね。ぼくが怖さの極限として認識しているパターンなんですけどね。やっぱり人形というのは夢でなくても怖いわけでね。大きな人形が枕元の箪笥の上に置いてあったこともあるけれども夜中怖いですものね。 

筒井氏は自分が見た夢をメモに書き留める日々を続けるうちに、「朝、目を覚まして鏡の前に行ったら、頭の髪の毛が真っ白になってた」そうです。 

夢というものは、あまり真面目に追求してはいけないものなのかもしれませんね。 

実体化する日本人形の

続いて第二部です。漫画版はダイジェストになっていますが、小説はいよいよ夢と現実の混淆が始まります。映画版「パプリカ」の世界です。 

突然鋭い悲鳴がつん裂いた。それはすぐ近くのボックス席にいた若い女性のものであるようだ。次いでウェイトレスの粗相によると思える、床に落とした金属性のトレイの破裂音とガラス食器の割れる音が、おそらくはこのレストランの設計者が予想もしていなかったであろう音量で店内に響き渡った。 

あちこちで客が立ちあがり、ガラス天井を指さして騒ぎはじめていた。天井の彼方、青空を背景にして、巨大な日本人形がガラス越しに店内を見おろしていた。おかっぱの彼女は漆黒の眼をまん丸に見開いたまま、青白い顔で無気味に笑っていた。おちょぼ口である筈のその赤い唇が大きく開かれていた。笑い声は聞こえなかった。 

「ひゃあ」「きゃあ」 

「何あれ」 

「化けものだ」 

敦子は立ちあがれなかった。これは氷室の夢ではないか。氷室の夢が現実に流れこんできたのだろうか。それともこれは、またしても自分の夢なのだろうか。自分はまだDCミニの副作用で眠りから醒めず、乾や小山内によって氷室の夢を見せられているのか。 

「これは氷室だ」時田浩作が悲鳴まじりにそう叫んだ。 

(略) 

日本人形が短い両手の指をいっぱいに拡げて、掌紋のように見える胡粉塗の黒いひび割れを下に向けた。振袖姿の彼女はさしのべた両手をいったん肩のあたりにまで振りあげてから、それを天井のガラスに叩きつけた。 

(略) 

逃げきれるのだろうか。たとえばこれが夢ではなく、あれが夢の中からやってきた氷室の象徴のようなものであるとするなら、あの気味の悪い人形はただ敦子たちだけをどこまでも追いかけてくるのではないだろうか。 

「たしかに、啓はあんな日本人形を持っていて、だいじにしていました」母親は混乱したままで、顫えながら、それでも懸命に息子の身と所在を、やはり大きく顫えるままの声で先に立つ時田から訊き出そうとする。「でもどうして、どうしてあれが啓ですか。なぜ時田さんがそう思ったのか、教えてください。教えてください」 

「やめなさい」父親が彼女の肩を抱いて揺すり、やはり顫える声で諭す。「逃げるんだ。訊くのはあとだ」 

映画版「パプリカ」にも、当然、巨大な日本人形が出てきます(下記の予告編にも登場します) 

Sony Pictures Entertainment – PAPRIKA [2007] – Official Trailer (HD)

こうやって文章にしてみると、今敏監督の「パプリカ」は、原作のもっとも怖い部分を見事に映像化した作品だったのだなあ、と改めて思います。 

それにしても、日本人形は筒井氏の言うとおり「夢でなくても怖い」です。 

大きな人形が枕元の箪笥の上に置いてあったこともあるけれども夜中怖いですものね 

想像するだけで、首筋がゾクっとします。以前に書いた人形のホラーを思い出してしまいました……。 

(しみずのぼる) 

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