おとといは兎をみたわ。きのうは鹿、今日はあなた:「たんぽぽ娘」

おとといは兎をみたわ。きのうは鹿、今日はあなた:「たんぽぽ娘」

本国のアメリカでは、生前もぜんぜん有名じゃなかったし、死後はすっかり忘れ去られてしまったのに、なぜか日本では、ひそかなファンが今もずっといるという不思議なSF作家のお話です。ロバート・F・ヤングの甘酸っぱいSF短編「たんぽぽ娘」を紹介します(2023.7.2)

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「こんなSFも書けるのか」 

日本で最初にヤングの作品を紹介したのは、SF小説の翻訳家である伊藤典夫氏です。日本で独自に編纂された短編集「ジョナサンと宇宙クジラ」(ハヤカワ文庫SF)に、伊藤氏は「たんぽぽ娘」(原題 : The Dandelion Girl)との”出会い”を書いています。

家庭向きの週刊誌にのった短編で、内容はひと目でわかる甘い恋愛小説、文章も、小説にあまりかたくるしいものを求めない主婦の好みに合いそうに、そうした作品に特有の常套句がならんでいる。はじめは編者の趣味を疑いたくなるほどだった…辟易する感じは、読みおえたときにはすっかり吹きとんでいた。「こんなSFも書けるのか!」という理性的な驚きが、その下の感情レベルから湧きあがるセンチメンタルな興奮を正当化した。この作家は職人だ、緻密な構成、結末を盛り上げるために周到に選ばれた言葉…。

コバルト文庫版は稀覯本に

「たんぽぽ娘」はその後、集英社コバルト文庫の海外ロマンチックSF傑作選の1冊、風見潤氏のアンソロジーで読めるようになります。

「たんぽぽ娘」など3冊のコバルト文庫は稀覯本です
海外ロマンチックSF傑作選の3冊

初版は昭和55年(1980年)、このシリーズは全部で3冊ありますが、いまや古本屋を探してもなかなか見つからない稀覯本として知られてます(コバルト文庫版の「たんぽぽ娘」は、三上延氏の「ビブリオ古書堂の事件帖」でも扱われています)

前置きはこの程度にして、あらすじを補いながら、「たんぽぽ娘」を紹介しましょう。 

夏の森の丘で出逢うふたり

主人公のマークは40歳代の中年男性。妻が所用があったため一人で夏季休暇をいなかで過ごしていたとき、森で若い女性と出会う。そして、思わず声をかけてしまう。

わたしはもう四十四だ。軽い驚きをおぼえながら彼は思った。この女は二十そこそこじゃないか。わたしは何をしようとしているんだ? 「どうです、いい景色ですか?」と声にだしてたずねた。「ええ」と女はいい、ふりかえると、こらえきれなくなったように伸ばした手を半円に振った。「すばらしいと思いません?」 

こうして会話が始まると、彼女は驚くべきことを話し出す。自分は今から240年先の未来からやってきたのだと。もちろん、マークはぜんぜん信じないけど、二人はこんな会話を続ける…。 

「すると、タイム・マシンでこちらに来たわけか」「ええ。父が発明したんです」 マークはまじまじと女を見つめた。こんなに底意のない表情を見るのははじめてだった。「ここにはよく来るんですか」「ええ、しょっちゅう。ここはわたしのいちばん好きな時空座標ですもの。何時間も立って、もう、ただ、うっとり見とれていたりして。おとといは兎をみたわ。きのうは鹿、今日はあなた」

「来られなかった時のために…」

こうして二人は出会い、翌日も、その翌日も、同じ森の丘で会う。マークは、妻に申し訳ないと思いつつ、それでも森の丘に惹きつけられる。ジュリーと名乗る彼女のほうも、別れ際に「あした、また会えるかしら?」とたずねてくる。

あくる日の午後、マークが丘にあがると、彼女の姿がない。翌日も、その翌日も。四日目に丘に登ったとき、ジュリーが喪服姿で立っていた。そして、父が死んだと告げる。

抱き寄せてなぐさめるマーク。「あした、また来てくれるね?」と問うと、ジュリーは答えた。

「タイム・マシンは消耗が激しいの。入れかえたほうがいい部品がいくつもあるんだけどーーやり方知らないんです。わたしたちのーーわたしのマシンもあと一回旅行ができるくらい。でも、それも怪しいわ」「しかし、来る努力はしてくれるね?」ジュリーはうなずいた。「ええ、やってみるわ。それから、ランドルフさん?」「なんだい、ジュリー?」「もし来られなかったときのためにーー思い出のためにーー言っておきます。あなたを愛しています」 そのときには彼女は走りだしていた。丘をかろやかに駆けおり、一瞬のちにはさとうかえでの林の中に姿を消した。 

マークは翌日を緊張の中で迎えた。でも、彼女はあらわれなかった。あくる日も来なかった。森を抜けて町へ出て、彼女を探したが、どうしても見つけられなかった。

夏季休暇が終わるまで毎日、丘に通い続け、休暇を終えて家に戻ってからも、週末は必ず森にやってきて丘に通った…。 

日曜日の午後には、いなかにドライブに出て、あの丘を訪ねる習慣がついた。森は今では金色に染まり、空もひと月前よりはぐんと青く澄みわたっている。彼は何時間も花崗岩のベンチに腰かけ、彼女が消えた地点を見つめていた。おとといは兎をみたわ、きのうは鹿、今日はあなた。 

さて、引用はここまでにしておきます。

繰り返しリフレインされる「おとといは兎をみたわ、きのうは鹿、今日はあなた」が、あと一度だけ来ることができるかも…と言い残して去った彼女の姿を追い求め、待ち続ける主人公のせつなさを、とても効果的に際立たせてくれます。 

続きがどうしても知りたいという方は(稀覯本のコバルト文庫版ではなく)河出文庫の「たんぽぽ娘」をお買い求めください。

古本屋を探し回らなくても「たんぽぽ娘」がすぐに読めるなんて。本当に幸せな時代になりました。

高校の用務員…人生は驚きと勝利に

最後に、結局マイナーな作家として1986年に70歳余で亡くなった作家の晩年のことが、新装版「ピーナッツバター作戦」(青心社)に書かれています。その引用でこの文章を終えたいと思います。 

ヤングは、三十年以上にわたっていろんな雑誌にSFを発表し続け、二百近い短編と四作の長編を書き上げたが、その私生活についてはSF界でもほとんど知られていなかった。ところが、晩年になってようやく、小説を書く一方で、長年公立高校の用務員をしていたことがあきらかになった。バリー・N・マルツバーグは、ヤングの人生について以下のように語っている。

「もしヤングが、用務員として働いている作家だったのなら、彼は不満の多い人生を過ごしていたことだろう。だがもし、創作の才能に恵まれた用務員だったのだとしたら、彼の人生は驚きと勝利に満ちあふれていたものだったのだろう」 

(しみずのぼる)