あなたに起こるやさしい奇蹟:浅田次郎「鉄道員」

あなたに起こるやさしい奇蹟:浅田次郎「鉄道員」

きょうは浅田次郎氏の直木賞受賞作「鉄道員(ぽっぽや)」を紹介します。初版の帯には「あなたに起こる やさしい奇蹟」。あるときは号泣させ、あるときは胸を苦しくさせる、読者にさまざまな「奇蹟」を起こす短編集です(2024.4.23) 

〈PR〉

最新コミックも600円分無料で読める<U-NEXT>

高倉健主演の映画は大ヒット

浅田次郎氏については「地下鉄(メトロ)乗って」で紹介したばかりです。高校生の頃から小説家を志し、様々な職業を転々としながら執筆を繰り返し、40歳を過ぎてから作家デビューを果たした遅咲きの作家です。 

長編の「蒼穹の昴」で直木賞受賞を逃したものの、「蒼穹の昴」執筆直後に書き連ねた短編を収めた「鉄道員」で、1997年に念願の直木賞を受賞。表題作は1999年に映画化され、高倉健さん、広末涼子さんらはまり役を得て大ヒットしました。 

北の果ての小さな終着駅で、不器用なまでにまっすぐに、鉄道員(ぽっぽや)としての人生を貫いてきた佐藤乙松。人生を振り返り思い出す、鉄道員としての生活と家族に対する様々な悔恨の念。そんな彼のもとに、ある日愛らしい少女が現れる。ありふれた出来事のように思えたこの出会いこそ、孤独な彼の人生に訪れた、やさしい奇蹟の始まりだった…。

半生を昇華させた短編集

ただ、短編集「鉄道員」は、浅田氏の来歴と深く関係する短編がそろっているにもかかわらず、表題作の印象が強過ぎて、ほかの短編が語られる機会がやや少ないような気がします。 

著者はあとがきで、こんなことを書いています。 

うらぼんえ」の冒頭の一行は、何度読み返してもまったく個人的な感情から胸が詰まる。「悪魔」や「角筈にて」に描かれた私の原体験を集約すれば、つまるところこの一行になる。 

夫の実家で離縁を迫られる主人公のもとへ懐かしい亡き祖父が現れる「うらぼんえ」の冒頭の一行は次のようなものです。 

ちえ子には帰る家がなかった。 

遅咲きの作家が自身の半生を振り返り、小説という形で昇華させた短編集ーーそれが「鉄道員(ぽっぽや)」です。 

角筈で見かけた父親

傑作揃いの短編集から2篇を紹介します。1つ目は「角筈にて」です。 

主人公の貫井恭一は、プロジェクト失敗の責めを負って南米の支店長に左遷されるエリート商社員。プロジェクトを共に取り組んだ部下たちが自責の念から「久しぶりにゴールデン街にでも出かけませんか」と声をかけた。 

「ゴールデン街ーーああ、角筈のゴールデン街だね」
「そう、ツノハズ。懐かしい呼び方ですな」
ロビーを歩き出しながら、若い部下が訊ねた。
「角筈って、何ですか。店の名前?」
「いやいや、今の歌舞伎町あたりはな、昔は角筈と言っていたんだ。『角筈のゴールデン街』って言い方は、ひとつの成句だったね。なあ、小田君」

恭一はゴールデン街の酒場を出ると、部下たちに言った。

「おまえら、会社の中で俺の名前は、もう二度と口にするなよ」
「リオのロートル支店長のことなんか、まちがっても口にするんじゃないぞ。いいな、おまえらが約束してくれなけりゃ、俺は成仏できない」
「明日の見送りはいいから。女房と二人で、ハネムーンみたいなものだ」

妻は幼なじみで、兄妹同然に育ったまたいとこだった。子どもはおらず、ふたりだけで遠い赴任先に向かう。日本に戻ることはおそらくもうない。 

そんな思いで夜道を歩いていると、通りの向こう岸に父の姿を見かけた。 

「おとうさん……おとうさん……」 

白いパナマ帽をかぶり、開襟シャツに麻の背広を着た父が、シャッターを下ろした商店の前に立っていた。きょろきょろとあたりを見回し、行きかう人に物を尋ねている。 

「おとうさん! ここだよ、こっちだって!」 

恭一は四十年近く前、八歳の時、父に捨てられた。「恭ちゃん、おとうさんはちょっと用事があるから、淀橋のおじさんの家に行ってなさい。角筈からバスに乗って、二つ目。わかるよな」「ヤッちゃんもクミちゃんも夏休みだから、おとうさんが迎えに行くまで遊んでいればいい」。そんな言葉を残して……。 

その父が昔の格好のままで、自分を探しているーー。 

去来する養親家族の愛

家に帰るとクミちゃんーー妻の久美子は「そんなこと、あるわけないじゃないの。悪い酒飲んだのよ」「錯覚よ、錯覚。ーー何だか悲しいけどね」と声をかけた。 

恭一と久美子は翌日、日本で最後となる一日を淀橋の実家で過ごした。 

あの夜、路上で自分を迎えてくれた家族の姿が、ひとつひとつ胸に甦った。 

伯母の温かい掌。駆け寄ってすがりついた幼い久美子。縁台から笑いかけてくれた無口な伯父。両手を振って、保夫は自分を迎えてくれた。 

家族はやさしい決意をしていた。不幸のかたまりを、鋼の球のように胸に抱いてやってきた遠縁の少年。彼らはそのとき彼らのすべてを賭けて、恭一の苦しみを治癒しようと決心していたのだ。 

子を想う父の願いごと

夕方、夜のフライトに合わせて、久美子とふたりでタクシーに乗った。 

ネオンのともり始めた歌舞伎町の大通りを、タクシーは走る。角筈の雑踏を過ぎた。そのとき、花園神社の暗い参道の奥に父の姿を見た気がした。 

花園神社のおふだを買うと言ってタクシーをいったん停めた恭一は、ついに父と再会を果たした。 

四十年近く前、別れたときのままの姿に、恭一は訊ねた。 

「おとうさんは、もう死んじゃったの?」 
答えるかわりに、父はパナマの庇で顔を隠した。唇が震えていた。 
(略) 
「九州で死んだ。おまえと別れて、いくらもたたないころだよ」 

そして、霊となって現れた父が語り始める。からだを壊した父は、育ての親にある願いごとをしていた……。 

おぼろげに霞み始めた父に、恭一は気を付けをして、深々とこうべを垂れた。 

「ありがとう、おとうさん。ありがとうございました」 

浅田氏はあとがきでこう書いています。 

「角筈にて」は、私のいまわしい幼児体験を書いた。むろんありのままではないが、おおむね実話である。
直木賞を落選した失意のうちに小説誌の締切が迫り、「こんなのしか書けなかったよ」と編集者に泣く泣く原稿を渡した。しかし読み返してみると、どうやらそのときでなければ書くことのできなかった小説のようである。つまり、『蒼穹の昴』が直木賞に落選しなければ、「角筈にて」は永遠に書かれるはずがなかった。

浅田氏が直木賞を逃したおかげで、この感涙の作品を読めることは、読者にとっては僥倖でしかありません。 

かみさん死んだ

もうひとつ短編集「鉄道員」から紹介しましょう。「ラブ・レター」です。 

主人公の高野吾郎は裏ビデオ屋の雇われ店長。オホーツク海に面する漁業の町を20年前に飛び出し、新宿でしばらくバーテンを務めたが、20歳代後半からポルノ・ショップとゲーム屋の店長生活をかれこれ8年も続けている。 

その日も新宿署を釈放され、次は何をしようと思案しているところへ、新宿署の刑事から声をかけられた。 

「おまえのかみさん、死んだぞ」
「けさ、千葉県警から連絡があってな。ええと何てったっけーー」
「白蘭。いい名前だな。その、高野白蘭っていう女が病気で死んだから、仏さんを引き取りにこいってよ」

吾郎は昨年夏に頼まれて戸籍を貸したことを思い出した。 

「ええと……俺が、行くんですか」
「あったりめえだろう。偽装結婚だろうと何だろうと、そんなことはこっちの知ったこっちゃない。ともかく、伝えたからな。ケツぐらいてめえで拭けよ」

吾郎は、売春させる出稼ぎ外国人をあっせんする事務所に顔を出し、白蘭の書類を受け取った。 

「女房の履歴はここに全部書いてある。みちみち覚えて行けばいいさ。あとは写真と、戸籍謄本、住民票、パスポートの写し、みんな揃ってる。あれーーこれ何だっけ」
書類の間から水色の封筒が出てきた。達筆な漢字で、「高野吾郎さん」と書いてある。
「ああ、忘れてた。吾郎ちゃんがパクられた日に届いたんだ。ラブレターか、遺書か、まあどっちでもいいや、一緒に入れとこう」

事務所で若い組員サトシをつけられ、吾郎は列車で房総半島の最果てにある町に向かった。車中で手紙を読んだ。 

高野吾郎さんへ

高野吾郎さんへ。
昨日の朝、急にお腹が痛くなって、救急車で病院来ました。お客さんとは別れたあとだったので大丈夫です。ホテルの人にたのんで、救急車来ました。
とても悪いようなので、中国の家と吾郎さんへ手紙を出すことにしました。夜こっそり書いています。痛くて眠られないので書いています。けれども、明日はもう書けないと思います。だから夜こっそり書いてます。
結婚ありがとうございました。謝謝。

白蘭の手紙は、こう結んでいた。 

みんなやさしいけど、吾郎さんがいちばんやさしいです。私と結婚してくれたから。
謝謝。多謝。おやすみなさい。

館山の先、終着駅の千倉で降りたのは吾郎とサトシだけだった。小さな待合室にはひとけはなく、駅前は飲み屋が何軒かあるだけだった。 

吾郎はふと、去年の夏にこの駅頭に立った、見知らぬ妻の姿を想像した。女にとってこの暗い終着駅は、堕ちるところまで堕ちた地獄そのものにちがいない。 

簡単すぎるじゃねえか

翌日、吾郎は警察に向かった。手続きはあっという間に済んだ。あとは病院で、と言われただけだった。 

「それだけで、いいんですか。警察の方は」 

「説明はいらないんですか。調書とか、書類を作るとか」 

サトシが慌てて吾郎を警察署のカウンターから引き離した。 

すんでのところで吾郎は言葉を噛みつぶした。ーー俺は五十万で戸籍を売った。そんな女、見たこともねえんだ。あいつは海も知らない中国の田舎町からやってきて、やくざの間でたらい回しにされて、借金でがんじがらめにされたあげく、とうとう医者にもかからずに死んじまったんだ。変じゃねえか。どこがどうはっきりしてるってんだ。変じゃねえかよ。
「ヤベエよ。吾郎さん、いったいどうしちゃったんだよ」
玄関を駆け下りると、サトシは声を殺して言った。
「だって、簡単すぎるじゃねえか。佐竹さんにしたって、こっちの親分にしたって、おまえだってそうだ。人が死んだってのに」
(略)
「そんなの知らねえよ。法律がねえんだろ」
「冗談よせ。管理売春だろ、不法就労だろ、拉致監禁じゃねえのかよ。スケベな客にエロビデオ売って十日もぶちこまれるのに、どうしてみんな平気のへいざなんだ。俺たちみんなしてあの女を殺したんじゃねえのか」

病院はもっと簡単だった。肝硬変による腹水を除去したものの、静脈瘤破裂で手の施しようがなかったと医者は説明した。看護師に霊安室に案内された。 

美しい女だった。これが自分の妻だと思ったとき、吾郎はたまらず冷えきった頬を抱いて慟哭した。
看護婦が合掌して出て行ってしまうと、サトシはおそるおそる吾郎の肩を揺すった。
「しっかりして下さいよ、吾郎さん。いったいどうしちゃったんですか」
たしかにどうかしていると吾郎は思った。子供の時分から、泣いた記憶などなかった。
「そりゃあ、可哀想すよ。だけど、なにも泣くことないじゃないの。まいったなあ、ハマッちゃったんか、吾郎さん」
見知らぬ外人女の死が、どうしてこんなに悲しいのだろう。自分自身を疑わしく思うそばから、涙がとめどなく溢れ、吾郎は獣のように咆えながら泣いた。
(略)
ようやく吾郎は、悲しみのありかに思い当たった。列車の中で女の手紙を読んだときから、自分はおかしくなっていたのだ。

ふるさとで暮らす夢

その夜、吾郎は夢をみた。ふるさとのオホーツク海に面した町に戻り、白蘭と、白蘭とのあいだに授かった子供と共に暮らす日々をーー。 

(あにき、俺、もうずっとここに住もうと思うっけが、いいかね) 

(ああ、かまわんよ。浅蜊も牡蠣もとりきれんほどあるものね。おめえと嫁さんと子供の二人ぐれえ、何ともねえべや) 

(おふくろもおやじも、許してくれっかな。俺、葬式にも帰らんかったっけが) 

(なんも。二人とも心残りっていや、おめえのことだけだったんだから、喜ぶべ) 

夢の中で見当たらなくなった白蘭を探していると、(死んでしまったからもう一緒に暮らせない)と話す白蘭と、吾郎は夢の中で会話をする。 

(そったらことねえべや。せっかく帰ってきたのに、なしておめえ、そったらこと言うの。俺、一生けんめい働いて、きっとおめえのこと幸せにするから、今までの苦労の分、ちゃんと埋め合わすから。だから死んではなんねえって。さ、病院行くべ。おぶってってやるから、俺と病院さ行って、肝臓なおすべ)

(ありがとう、吾郎さん。あたし、もういいよ。お客さんみんなやさしいけど、吾郎さんが一番やさしいです。私と結婚してくれたから)

(俺、やさしくなんかないもね。やくざもおまわりもお客も、みんなしておめえのこといじめたもね。一番ひどいのは俺だよ。五十万で籍を売って、その金だって三日で使っちまった。おめえ、その金も体で返すんだろ。血を吐きながら、返すんだろ。俺たち、みんな鬼だもね。おめえを骨になるまで食いちらかした鬼だもね。鬼がやさしいはずないべや)

末期のラブレターに号泣

翌日の焼場での葬儀も簡素なものだった。吾郎はサトシと一緒に白蘭の骨を抱いて千倉を後にした。 

列車の車中で広げたわずかな白蘭の荷物ーー赤いポシェットから、降りたたまれた封筒が出てきた。 

「高野吾郎さんへ」と書かれた末期のラブレターに、何が書かれていたか、本書を手に取ってご確認ください。 

なお、浅田氏はあとがきで 

「ラブ・レター」は、ろくでもない生活を送っていたころに身近で実際に起こった出来事を小説にした。事実は小説より奇になりという格言を地で行った物語である。 

と書いています。 

白蘭のラブレターの文面まで実話なのか知りませんが、こんなに泣かされる短編はありません。わたしは何度再読しても、2通目のラブレターの文面を読むたびに号泣してしまいます。 

短編集「鉄道員」は、浅田氏が言うとおり、読者に「やさしい奇蹟」を起こす名作です。おすすめです。 

(しみずのぼる) 

〈PR〉

映画化・実写化・アニメ化で話題のマンガを読める 【Amebaマンガ】